おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ミンボーの女

2021-12-14 08:25:01 | 映画
「ミンボーの女」 1992年


監督 伊丹十三
出演 宮本信子 宝田明 大地康雄 村田雄浩
   大滝秀治 三谷昇 結城美栄子 関弘子
   鶴田忍 三宅裕司 伊東四朗 中尾彬
   小松方正 我王銀次 柳葉敏郎 田中明夫
   ガッツ石松 不破万作 上田耕一

ストーリー
ヤクザにゆすられ続けるホテル、ホテル・ヨーロッパ。
ヤクザの脅しに屈して簡単に金を出してしまう体質から日本中のヤクザが引っ切り無しに訪れるようになり、危機管理の甘さを露呈してサミットの招致も断られてしまう。
この状況を打開すべく、総支配人の小林(宝田明)は経理部の鈴木勇気(大地康雄)、ベルボーイの若杉太郎(村田雄浩)の二人をヤクザへの対応役として任命する。
しかし、何の知識もない二人はヤクザを追い出すどころか火に油を注ぐ結果となり、ますますヤクザの恐喝を悪化させてしまう。
見かねたホテルの幹部はついに外部からプロを雇うことになる。
それが民事介入暴力(民暴)を専門とする弁護士、井上まひる(宮本信子)であった。
まひるはヤクザ相手に経験と法律の知識を武器に堂々と立ち向かい、鈴木と若杉に「ヤクザを怖がらない」ことを教え、二人は徐々に勇気を持つようになった。
そんな中、小林はゴルフ場で知り合った入内島(伊東四朗)という男に誘われるがまま賭けゴルフをしてしまう。
しかし実は、入内島はヤクザ組織の中心人物であり、ホテルに街宣車を送り込む等の嫌がらせを行う。
それに対してまひるは、一歩も引かず対処するが、「鉄砲玉」(柳葉敏郎)によって腹部を刺されてしまう・・・。


寸評
僕は在職時に社を代表して暴力団対策法に基づく不当要求防止責任者を担当し、大阪府警による講習会にも参加していた時期があった。
講習内容は暴力団による、みかじめ料要求やユスリ、タカリの類に応じないためのノウハウを警察組織の暴力団担当者に教示してもらうというものであった。
作品中でもその中の主なものが紹介されている。
第一は、相手の指定した場所では会わない。
第二は、嫌な役目を一人に負わせずに相手より多い人数であたること。
第三は、トップを出さず担当者が対応すること。
その他、相手がどこの誰かを確認する、要求内容をハッキリと確認する、録音やメモで正確に記録する、詫び状など不必要な書類は書かない、安易な妥協をせず解決を急がない、警察や弁護士などに相談する、不当要求には法的な対抗処置をとることなどが主な内容であった。
自分たちは公安と司法の指示に従っていることを伝えるとのことだが、幸いにして僕の在任中にはそのような相手には出会わなかった。
ところが従兄が暴力団員と思われる男から脅迫を受け財産をなくしてしまったという出来事があり、民事暴力は身近に存在していることを痛感したことがあった。
この作品にもめ事を解決してやるという人物が登場していたが、従兄のケースでもそのような男がいて、気の弱い従兄は何人かに依頼したところそれぞれから金を巻き上げられた。
弱いと見れば付け込んでくるのがヤクザの手口なのだ。
相談を受けた僕は押しかけてくると言う脅迫電話の録音を聞き、「そんな者が来るわけがない、押しかけてきたらこっちのもんや」と伝えたのだが、その男が押しかけてくることはなかった。

「ミンボーの女」では民事暴力対応で、最初はおどおどしていた者が、女弁護士の指導の下で暴力団組織に負けないようになるまでを手口の紹介を含めて描いている。
脚色はエンタメ性に富んだものとなっているが、描かれている内容は絵空事ではないもので、映画公開1週間後にそれを根に持ったヤクザ組織の5人組に伊丹が自宅の近くで襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うという事件が起き、5人の組員は4年から6年の懲役刑となっている。
伊丹は1997年12月20日に飛び降り自殺で死亡しているのだが、これにもヤクザが関与していたとの噂がある。
この映画は暴力団対策法が施行された直後のこともあってヒットしたのだが、前述の通り内容的にはリアルだ。
まず大地康雄と村田雄浩がヤクザ対策担当を命じられるが、これは誰もが嫌がる役回りだ。
クレーム担当のお客様相談室担当などもそれに準じた職務で、僕の勤めていた会社でも担当者は悩んでいた。
伊東四朗が行ったゴルフを利用した恐喝も、会社が属してい同業団地の理事たちが引っかかったと聞いた。
中尾彬が行う街宣車騒ぎは以前は市中でよく見かけた光景だ。
こんなことに拘わったら厄介だなと思わせるリアルさがこの映画の面白いところにもなっている。
伊丹十三は宮本信子を主人公にして、「マルサの女」、「マルサの女2」、「ミンボーの女」、「スーパーの女」、「マルタイの女」と女シリーズを撮っているが、回を重ねるごとにその表現パワーは落ちて行った感がある。
本作はまだその水準を辛うじて保っている。