出版社 宝島社
監修 門田隆将
発行日 2020年 10月 23日
この本は 昨年7月30日 97歳で亡くなった 元台湾総督の李登輝氏の
言葉を 収録したものです。
改めて 氏の偉大さが ひしひしと伝わってきました。
簡単に 氏を 表現いたしますとーーー
「大人(たいじん)」な方であった。
「仁」に生き「公」に捧げ 台湾の民主主義を推し進めた
人物であった。と 私は思う。
そんな氏は尊敬できる方であります。
この本の正式なタイトルは
「愛する日本人へ 日本と台湾の梯となった 巨人の遺言」と
なっています。
そこで、
氏の 足跡をたどるため 日本とのかかわりのある部分を
少しでありますが 抜粋してみます。
(その1)並びに(その2)は 氏の経歴の抜粋だけですので
あまり内容がありません。その点、ご了承ください。
1923年1月
日本統治時代の台北洲淡水郡三芝郷ほ坪村の「源興居」で、警察官の
父・李金龍と母・江錦の次男として生まれる。(大正12年1月15日)
1926年3月
同郷の曾文恵誕生(大正15年3月31日)
1929年4月
汐止校学校に入学。後に南港校学校、三芝公学校、淡水校学校に転校。
1941年3月
旧制淡水中学校を4年で修了、旧制台北高等学校文科甲類入学に合格。
当時、日本名の岩里正男を名乗っていた。
4月 旧制台北高等学校に入学
1942年8月
戦時下のため旧制台北高等学校を繰り上げて卒業
10月 京都帝国大学農学部農林経済学科に入学。農林経済学を
選択した理由として、農業問題は台湾の将来と密接な関係が
あると考えたことによる。
1943年12月
学徒出陣に志願して 旧日本陸軍に、高射砲部隊に配属
1945年2月
二つ上の実兄の李登欽(日本名 岩里武則)がフィリピンで戦死
靖国神社に祀られる
8月 名古屋の高射砲部隊に陸軍少尉として配属になり、大東亜戦争
終了を名古屋で迎える。 少尉で除隊。
10月 日本が台湾の行政権を中国国民党政権に譲渡。
1946年4月
中華民国国民党政府の占領下に入った台湾に日本内地から船で帰国後、
台湾大学農学院農業経済系に編入。
10月 北京で中国共産党政権の「中華人民共和国」が成立
12月 蒋介石と国民党政権の「中華民国」政府が台湾に移る。
*
*
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時は流れてーーーー
1978年5月
蔣経国が第6代総統に就任
蔣経国が李登輝を台北市長に任命。台湾大学大学院兼任教授と
農復会顧問を辞任
1988年1月
蔣経国総統が死去。規定により李登輝は副総統から第7代総統(
代行)に昇格。
代行)に昇格。
7月 国民党大会で正式に党主席に就任。
この後、自らの政権基盤を固め、民主化を進めていった。
経歴が長くなりますので 今回はこの辺で 留め置き
次回に続きを書きます。
この経歴には 氏の「心」や「考え」など つながると
思われることを 抜粋してみました。
※ 一口メモ ※
< 名 言 >
『 過去の日本人が持つ、公に尽くして、責任を負い
忠誠を尽くして 職を守る日本精神が 今 失われつつ
あるように思われます。
これは日本社会の「最大の危機」であります。』
( 李登輝 中央大学オンライン講座 2003.12.12)
さて、――閑題ーーーです。
次のカタカナを漢字に直してください。
1.「サイカン」
① お釣りを「サイカン」してから、お客に返却した。
② 名匠が「サイカン」をふるう。
2.「アカス」
① 身の潔白を「アカ」す。
② 夜を「ア」かす。
以上です。
次は、22日のブログのクイズの答えです。
「花」 「花言葉」
① アマリリスーー 人工的・おしゃべりなど
② アヤメーーーー 良い便り
③ センニチコウー 不朽・変わらない愛
➃ タチアオイーー 豊作
⑤ オリーブーーー 智恵・平和
以上でした。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた。!!!