カモさんありがとう

我が家の近くに池がある。小さくて、また、水が濁って汚い池。そんな池にも生き物はいる。鯉と亀です。秋には鴨が飛来してくれる

老いを見つめてーーー(NO40 狭心症入院 その3)

2019-02-08 20:23:21 | 健康

また今日も寒い一日でしたね。

それでも、近所の生垣のゆきやなぎの細い枝をじっと観察しますと、もう小さな緑のふくらみが見つかりました。

さて、肝心の狭心症です。

手術をするにしても、心構えが必要です。

医療は総合して進んでいます。でも、手術は人間の手で行われております。

100%成功するとは限りません。ときおり、手術の失敗により病院側が訴えられていますね。

将来は、AIロボットによる手術が行われるのではないかと思います。

それでも、信頼できませんね。


ちょっと横道に逸れます。

人は「死」に直面した時には「痛み」を伴います。

どんな痛みが生じるのでしょうか?

その一つは、直接的な「身体への痛み」でしょうか。

  もちろん、無痛であの世へ旅立つ人も少なからずいるでしょう。

  でも、多くの人たちは、苦痛を伴ってから、黄泉へ旅立つのではないでしょうか。

二つ目は、「心の痛み」でありましょう。

  肉体の痛みと共に、心の痛みも、少なからず背負いこみ耐える方が多いのではないかと思います。

  この痛みも又重い痛みではないでしょうか。

三つ目は、「社会的な痛み」でしょうか。

  この世に生を受けて、長い人生の中で、どれだけ沢山な人と袖すり合わせてきたか。

  人生最後の瞬間までたくさんの人にお世話になります。

  中でも、「家族」でありましょう。

  人の死は、年老いた親から順番に亡くなっていくのが一般的であります。

  自分を生んでくれた、父や母を見送る側も見送られる側も、悲しい思いになるのが当然のことでありましょう。

四つ目は、「魂の痛み」であります。

  すなわち、身体も魂も「神様」によって母の胎内からこの世に生を受けるのです。

  人生は1回限りです。

  この1回限りの人生の、この世に分かれなければならない。
  
  別れを告げて、黄泉の国へ旅立たなければならない。

  今の世の中、正直つらいことが多すぎます。でも、1回限りの人生への

  別れはつらいことでもあります。

4つの「痛み」がありますが、肉体は滅んでも、「魂」は永遠に生き続けます。

 この世の修行が終わり、また、あの世で修業が始まります。

 でも、この世の生きているうちに、積善が出来れば、あの世の修行は少しは楽な修行のはずです。
 
「狭心症の入院」と書きながら、また、横道に逸れてしまいました。

申し訳ありません。

次回には、狭心症の状態から退院までのことを書きたいと思います。

今日は、小さい頃のことを思い出していただきましょう。

次の「歌」--童謡の歌詞です。

懐かしいですね。誰の作詩でしょうか。名前を列記しますので、誰の歌か当ててみてください。

  清水かつら  加藤まさを  西城八十  三木露風  野口雨情

① あの町 この町、 日が暮れる 日が暮れる
  今来たこの道、 かえりゃんせ かえりゃんせ
  ---( あの町 この町 )

② 夕焼け、小焼けの 赤とんぼ
  負われて見たのは いつの日か
  ---( 赤蜻蛉 )

③ てんてん手鞠 てん手鞠
   てんてん手鞠の 手がそれて
  どこからどこまでとんでった
  ---( 鞠と殿様 )

④ 月に砂漠を はるばると
  旅の駱駝がゆきました。
  ---( 月の砂漠 )

⑤ 叱られて
  叱られて
  あの子は町まで お使いに 
  --- ( 叱られて )

さー次は、2月4日のブログ「防げぬ 虐待!!」の答えです。

正しい答えだけ書きますので、問題は2月4日のブログを見ていただけませんか、よろしくお願いいたします。

① 君子豹変 ② 古色蒼然 ③ 驚天動地 ④ 五穀豊穣 ⑤ 豪華絢爛

以上でした。

お読みいただきありがとうございました。

ではまた!!!


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