カモさんありがとう

我が家の近くに池がある。小さくて、また、水が濁って汚い池。そんな池にも生き物はいる。鯉と亀です。秋には鴨が飛来してくれる

「愛する日本人へ 日本と台湾の梯となった巨人の遺言」を 読んで!!(その2)

2021-05-26 17:02:33 | つぶやき
今日は、お天気そのものは良くありませんでした。
でも、風が心地よく 気持ちの良い日でありました。
昨日から始まった、プロ野球の交流戦で 阪神タイガースは
白星ではありませんでした。
 今日は、ぜひ勝ってもらいたいものです。
 ただ過去の交流戦の成績は芳しくないのも気がかりです。
 今年こそ 勝ち越してほしいですねーーーー。

さて、
本題に入ります。
李登輝氏の経歴であります。ーーー
前回は、1990年代の経歴を辿りました。
今回は 90年代最後 からになります。
(日本に関係のある分だけの抜粋です)

1999年6月
  『台湾の主張』日台で出版。のち山本七平賞を受賞。
   9月 台湾中部の大地震発生。連日被災地を回る。
   12月 高速鉄道の車両システムで日本の「新幹線」が導入。

2000年代に入ります。
 
2000年12月
 拓殖大学から日本で初めてとなる名誉博士の称号を贈られる。
2001年3月
 「李登輝の人生哲学」京都大学生新聞に掲載。
   4月 心臓病の治療のため16年ぶりに訪日。岡山で治療を受け
      倉敷市などを訪問
2002年9月
  「沖縄タイムス」のインタビューに答え、はじめて
   『尖閣諸島は日本の領土』と明言。
   11月
    慶応大学での講演が 政府のビザ発給拒否のため
    講演予定の原稿「日本人の精神」が産経新聞に掲載された。
   12月
    「台湾精神と日本精神」と題して「日本李登輝友の会」設立大会
     にて記念講演。
    :
    :
2007年5月
    初めてノービザで約2年半ぶりに来日。
   松尾芭蕉の「奥の細道」を散策するため芭蕉記念館を皮切りに、
   宮城、山形、岩手、秋田などを訪問。
   6月
    6月1日に第1回後藤新平賞を受賞、授賞式謝辞として「後藤新平と
   私」記念講演。
    秋田国際教養大学で「日本の教育と台湾ー私が歩んだ道」を
   テーマに特別講演し、日本李登輝友の会熊本分会台湾研修団講話
   で「私が体験した「奥の細道」、東京で「2007年以後の世界情勢」
   と 題して講演。
    6月7日 兄が祀られている靖国神社を初参拝。
2009年9月
   塩川正十郎が理事長、江口勝彦が副理事長を務める武士道協会と、
   東京青年会議所による講演のため、1年ぶりに来日。
   東京、高知、熊本をめぐり、東京は「竜馬の『船中八策』に
   基づいた私の、皆さんに伝えたいこと」
    高知は「竜馬の『船中八策』と台湾の政治改革」
    熊本は「台湾と日本・百年来の歴史及び今後の関係」
   と題して講演。
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     :
2015年7月
   台湾総統経験者として初めて 、衆議院第一議員会館で講演。
   講演には国会議員の4割を超える292人が出席。
    日本外国特派員協会で講演。
   福島県郡山市の総合南東北病院で最新のがん治療法の治療装置を
   視察。仙台滞在中は、松島の瑞巌寺境内に建立された李登輝夫妻の
   句碑除幕式に出席。

2020年2月
   産経新聞社が主催する「正論大賞特別賞」に。
   台湾の民主化を推し進めた信念や、純粋な日本精神を持ち続けた
   ことなどが、受賞理由。
    7月
   台北市内の台北栄民総医院(病院)で死去。 97歳。
 
   氏の人生の ほんの少々の抜粋にすぎません。

  前回にも書きましたが
   大人(たいじん)な人であった。
   「仁」と「公」に生き切った人であった

  日本にとっても 惜しい人をなくしたものであります。

 二回にわたり 氏の 日本とのかかわりを 書きました。
 疲れましたーー今日はこの辺で終わります。

   ※ 一口メモ ※
    < 名 言 >
     『 日本が理想の日本人を作り上げようとして
         できたのが 李登輝という人間だ 』
         ( 李登輝 )

    ――閑題ーーーです。
次の一文字漢字を読んでください。
   ① 壜 ② 甃 ③ 厠 ➃ 笄 ⑤ 蜩
   ⑥ 蝗 ⑦ 棗 ⑧ 鵯 ⑨ 簪 ⑩ 磔
以上です。
次は、一昨日のブログの漢字の答えです。
1.「サイカン」
  ① 再鑑 ② 彩管
2.「アカス」
  ① 証す ② 明かす
以上でした。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた。!!!



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