あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

「日本ブランド」の劣化

2013年11月10日 18時12分45秒 | Weblog
 このところ問題にされているニセ食材事件やネット通販の価格不当表示問題、また原発事故問題、もう少し古くは耐震偽装事件や阪神淡路大震災時の高速道路倒壊、少し毛色が違うがいわゆるバカッターの迷惑写真投稿の連続など、世界一安全で真面目、正確、親切で礼儀正しいと言われ、また我々自身もそう思ってきた日本の「よさ」が揺らぐ時代になってしまった。それにあわせるかのように自然まで日本的な四季が失われ、一年の半分が熱帯、もう半分が寒冷地になってしまう有様である。
 いわば誇るべき「日本ブランド」が失われつつある。その根底には「日本らしさ」の変質と喪失があるのだろう。
 きょう見ていたテレビ番組で写真家の浅井慎平氏が、最近の「オ、モ、テ、ナ、シ」という流行語について、もてなす気持ちを表にあらわすこと自体が違うのではないか、日本のもてなしはそれを相手に気づかせないように裏側で気遣いするところにあるのではないか、というような主旨の発言をしていた。

 ところが一方で世の中はナショナリスト、国粋主義者が跋扈し、日本国内での「日本ブーム」も続いている。テレビを見ていると、つくづくみんな褒められるのが好きなんだなあと思う。辟易するくらい「外国人の見た日本の素晴らしさ」みたいな番組ばかりが放送されている。本来外国のことを紹介するはずの番組でさえ、かなりの部分が「外国で評価される日本」の話であったりする。
 日本人が自信を持つようになったということなのかもしれない。ぼくの記憶の中では20世紀半ば頃のメディアは、日本のマイナス・イメージばかり取り上げていたような気がする。たとえばエコノミック・アニマルだとか、農協の海外団体旅行とか、島国根性とか。我々はそれを恥ずかしく思い、自分たちを変えていきたいと思った。
 皮肉な話なのか、それとも〈だから〉なのか、日本人の自己評価が高まり「自分大好き」になっていくに従って、「日本ブランド」が揺らぐようになってきたような気がする。

 もう少し別の言い方をすれば、政治の面ではそれは「普通の国」化の進行であるとも言える。日本を「普通の国」にするというのは確か小沢一郎氏のスローガンだったような気がするが、それは右翼・保守政治家共通のテーマでもある。彼らの言う「普通の国」とは一般的な「普通」のことではない。彼らにとっては、ようするにアメリカ合衆国こそが唯一正しい国家の姿であり、普遍的国家像である。「普通の国」とはアメリカ型の国、アメリカ型の社会になることを意味している。
 あるひとつの国(もちろん人でも同じことだが)が、他の国と比べて評価されるのは、他の国と違うところがあるからだ。「日本ブランド」はまさに他の国にはない日本的なものが評価されたのである。それが他の国と同じになることを目指そうというのだから、そうした独自の特色が失われるのは当然のことである。
 「良いところは残して、良くないところだけ変えていけばよい」と、脳天気な「いいとこ取り」を主張する人もいるかもしれない。しかし、一つの国の特色がその国の歴史と文化の上に成り立っている以上、根幹の部分を変更したら表面的な事象だけを残すなど不可能だ。

 こんなことを言うと排外主義者のように思われてしまうかもしれないが、現実の問題として、「日本は治安がよい」と言われる背景の大きな理由の一つは、日本が極端な排外主義政策を採っているからである。日本は世界で最も外国人が移住するのが難しい国だ。難民でさえほとんど受け入れない国は珍しい。
 しかし、そのことが結果的に貧富の差が拡大するスピードを抑制しているし、文化的衝突の度合いを緩和している。
 日本人が外国人に親切だ、お人好しだ、などと言われるのも、あえていえば〈残念ながら〉、こうした日本政府の政策によって「鎖国」が続けられているおかげでもある。

 「日本的」なるものの背景にあるのは、日本の歴史と文化である。それは日本に資本主義がもたらされるはるか以前から存在するもので、非資本主義的、非近代主義的、というよりむしろ反近代的なものだ。もちろん現代にあってその全てを肯定的に受け入れることは難しい。我々はもはや近代主義の洗礼を受けてしまった。しかし「日本的」なものを支えているのは、肯定できると出来ないとに関わらずそうした歴史と文化であることは理解しておかねばならない。
 現代の右翼、ナショナリスト、保守派の矛盾は、そうした文化や歴史をスローガン的にというか看板的に掲げながら、実はその中身を全く知らず、本心としては近代主義の終着駅であるアメリカのようになろうとしているところにある。彼らにとって日本の歴史と文化とは、自分に一番都合の良い明治以降の(つまりは実は近代の)皇国史観や国家神道、帝国主義、富国強兵イズムに限定されたものでしかない。まあこれもまた「いいとこ取り」ということなのだが。

 かつて日本の高度経済成長を支え、「Japan as No.1」(エズラ・ヴォーゲル)と言われるまでになった1970年代の日本社会は、やがて「日本型社会主義」「護送船団方式」などと揶揄され批判された。
 日本型社会主義と言っても、もちろんその実態は社会主義でも何でもない戦後日本型資本主義と呼ぶべきものであり、基本的には大企業を支えるシステムだったのだが、しかし確かに「社会主義」と呼ばれる要素が無かったわけではない。
 そこには非近代的な、いわば合理主義を支える非合理主義的感性が存在した。
 こうした「日本型経営」は結果的に成功し、世界第二位の経済大国に上りつめたわけだが、その本当の意味を誰も理解しなかった。それはつまり経済大国になったという経済的勝利、つまり世界二位になったという結果ではなく、アメリカ型資本主義やファシズム、スターリニズムなどには無い日本的感性による社会倫理、もしくは共生思想のようなものを、現実の社会制度の中にリアルに実体化させることが出来た点だ。
 そして当時の日本人はこれが民主主義=近代主義の成功の道程であり、これが更に進んでいくものと信じていた。それを象徴するのが、たとえば市民運動、学生運動、労働運動の高揚であり、野党第一党としての社会党の大きな存在感であった。まさに当時の日本人にとって民主主義日本は平和主義であり、人権の拡大を意味していたのである。

 しかし多くの人々はそれを経済的成功と一体のものととらえた。ある意味で「世界第二位」という高順位が人々の意識を規定してしまったのかもしれない。本来なら民主主義を充実させていく方向で進んでいくべきだったのに、日本人が目指したのは経済大国化の方向であった。思想より強欲が勝ったとも言えよう。
 近代合理主義が経済的効能としてのみとらえられてしまい、バブル景気とその後の「不況」の中で日本型経営は間違いとされ、強競争社会、新古典主義的経済、グローバリズムと、脱「日本的」社会へ日本人は転落していくのである。

 既成左翼(社会党、共産党)は、基本的に「モノ取り路線」であった。資本から労働者に経済的権益を少しでも奪い取ってくるのが使命であった。つまりモノ・カネで労働者の支持を得ていたのだ。だから高度成長やバブルの時期にはより多く取ることでなんとかなったが、不況になるとそれは難しくなり行き詰まってしまった。
 一方の新左翼はレーニン主義の原理的解釈、つまりは中途半端な近代主義に陥っていた。新左翼の目指した方向は経済主義ではなく思想主義的な革命であり、それはマルクス主義を近代=資本主義を乗り越える思想と位置づけてのものだった。
 しかし彼らに見えなかったのは、マルクス主義自体が近代合理主義であったことだ。そしてレーニン主義は(しかたなかったのではあるが)それを更に無自覚に継承し、近代合理主義によって近代主義を縛り上げコントロールする政治手法として確立していった(この点はもっと詳細な論議が必要なのだが申し訳ないが今はその余裕がない)。
 そのような新左翼には「日本的」なるものは、一律に否定すべき前近代的遺物でしかなかった。現実には自分たちはかなりの部分においてそうした「日本的」なものに浸っていたと思うのだが…

 ぼくは「日本的」なるものと真正面から向き合えば、そこには西洋近代主義とは違う視点が存在し、そこから本当に近代を乗り越えるヒントが得られると思う。こう言うとまるで「近代の超克」のように聞こえるかもしれないが、言うまでもなくぼくは復古主義でも侵略主義でもない。もちろんこの問題はおそらく非常に危険で微妙な問題ではある。それでもこれはいつか立ち向かわなくなはならない課題だと思う。

 結局のところ歴史的事実としては、その後のソ連崩壊と世界的なマルクス主義の衰退、アメリカの一極支配宣言と原理主義勢力の台頭という世界史の嵐の中で、近代を乗り越える思想どころか右傾化=復古主義の勢力が拡大していく中で、日本社会はどんどん劣化していった。
 ぼくたちはもはや単純に「日本的」なるものを取り戻すことは出来ない。もう一度根幹に立ち戻って、本当にぼくたちに必要なのは何なのか、何を目指すべきなのか考えるべき時が来ている。それはこのまま強欲に支配されたまま普通でない「普通の国」への道を進むのか、歴史上いまだに誰も到達したことのない新しい文化を創出する方向へ向かうのかということなのかもしれない。

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