あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

猪瀬氏の変遷に考える

2013年11月25日 21時39分14秒 | Weblog
 猪瀬直樹東京都知事が徳洲会から五千万円を受け取っていたとして騒がれている。しかもそれを仲介したのは新右翼である一水会の木村三浩代表だったという。
 木村三浩氏というと、ぼくの世代では統一戦線義勇軍の議長のイメージが強い。直接会ったことはないが、個人的には若い頃に義勇軍にひどい目にあわされたと思っている。向こうは何も知らないかもしれないが。

 自民党の厚生族の大物と、豪腕の東京都知事、そして右翼を結ぶ怪しい関係。ちなみに新右翼というのは、旧来型の街宣右翼、ヤクザ右翼とは一線を画す理論武装をした勢力で、まるで新左翼のようなスタイルをした実力闘争派だ。しかし新左翼が旧左翼を徹底的に否定し敵対関係にあるのとは違って、新右翼は旧来型の右翼とも密接に関係し、その境界は曖昧である。

 さて、その渦中の猪瀬氏だが、実は彼自身は1960年代に信州大学の全共闘議長として運動を指導しており、どうやら中核派に属していたようだ。どうでも良い話だが、同じ頃コピーライターの糸井重里氏も日大で中核派系の活動家だった。北野武氏は明治大学でブント系の学生運動に関わっていたそうだ。

 猪瀬氏の、この極左から極右、そして既存権力の中枢までに渡る変遷というか、活動範囲の広がりはいったい何なのだろうか。転向の歴史なのだろうか。
 確かに左翼から右翼に転向する人は多い。有名なところでは昭和の怪右翼・赤尾敏がそうだし、ファシズムを作ったムッソリーニもそうだ。しかし猪瀬氏の変遷はどうもそういう「転向」とはニュアンスが違うように感じる。

 猪瀬氏から感じるのは腐敗の臭いである。権力を手に入れるに従って段々と嫌らしくなっているような感じがする。これが権力の魔力なのだろう。自分が正しいと思うことを実現するためには権力がいる。だから権力を目指すのだが、いざ権力を手に入れると、いつしか逆に自分が自らの権力欲に支配されるようになる。手段としての権力が目的としての権力に変わっていく。
 もちろん、これはあくまで、ぼくのイメージである。猪瀬氏の本心は猪瀬氏にしかわからない。しかし、たぶん多くの人が、こういうのはいかにも政治家(というより政治屋か)っぽいなあと思っているだろう。「汚い政治家」の典型的なイメージだ。

 時を同じくして、沖縄選出の自民党議員たちがそろって辺野古移転容認に「転向」した。以前のブログに書いたように自民党執行部からの強烈な圧力に屈したのだ。
 たぶんこういうことになるだろうことは、多くの人が知っていたはずだ。ぼくは一人くらいは、それでも自分の主張を曲げずに党に反旗を翻すのではないかと思っていたが、結局五人全員が打ちそろって「転向宣言」を行った。
 政治主張が大事なのか、権力が大事なのか。もちろんそれは政治家だけではなく、彼らを選ぶ有権者にも突きつけられた問題である。自民党がどんな政党か、誰でも知っている。それでも多くの人が結局は自民党を選択するのだ。
 悲しく切ない、と言ってしまって良いのかどうか。ともかくこれが21世紀の日本の実情なのである。
コメント
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