いわゆる「ナッツ・リターン」裁判で被告の大韓航空前副社長に対して懲役一年の実刑判決が出された。被告は控訴した。
この問題に関する日本のテレビ・マスコミの対応にはとても違和感を感じていたので、記事を書こうと思ったのだが、ちょうど同じようなことを論じている記事があったので、それを紹介しておきたい。
『とくダネ!』小倉智昭がヘイト発言!韓国人は他人に責任を押しつけるのか、と
http://lite-ra.com/2015/02/post-862.html
ぼくは小倉智昭氏の発言については知らなかったが、まあだいたいどの局のテレビショーでも(これほどはっきり言わないにしても)似たような発言ばかりだった。
まったく、隣の国の騒動をしつこく報道して批判を続け、しかも被告に厳しい判決が出たらそれも批判するという、日本マスコミの品の無さをさらけ出すような対応には日本人として恥ずかしい。これは昨年の韓国フェリーの沈没事故と、その後の産経による韓国大統領を侮辱するようなコラムが刑事事件に発展してしまった問題と同根である。
それでいて自国の問題についてはどうなのかと言えば、実は自分の国の政治や総理大臣に対する批判は完全封印しているヘタレぶりである。
イスラム国報道でテレビ局が出演者に「安倍政権批判しないで」
http://news.livedoor.com/article/detail/9775582/
このことをつなげて見ればコトは明白だ。
だいたいにおいてジャーナリズムはなぜ社会的に必要とされるのか。それは真実を暴いて権力を検証し、その暴走を止めるためである。もちろんそんなに高尚なことを言わずとも、瓦版の時代からジャーナリズムは基本的に庶民の立場から理不尽を批判する(もしくは茶化す)ことで支持を受けてきた。
ところが安倍政権のあまりにも強権的な圧力にメディアは完全に屈し、政権に対して何一つ核心的な批判が出来ないところまで追い込まれてしまった。だが何かを批判しなければジャーナリズムの意味が無い。誰も注目してくれない。それではマスコミは何を批判するのか。けっきょく殺人犯か外国しか無くなってしまったのである。国内の重要問題を扱えないから隣の国の不祥事をこれでもかというほど叩くのだ。なんと情けないことだろうか。
話を元に戻そう。そもそも今回の判決は、日本のマスコミが批判するように世論に迎合して歪められているのだろうか。テレビのコメンテーターは、韓国の司法関係者が事前の予測で執行猶予がつくだろうとしていたことを根拠に、普通ではない重い判決だったと言っている。しかし実際の韓国のネット世論では、むしろ軽すぎるという意見が多いという記事もある。
ナッツ事件の大韓航空前副社長に懲役1年の実刑判決=韓国ネット「短すぎる!」「やっぱり金の力か…」
http://www.recordchina.co.jp/a102424.html
この記事を読むと、韓国人の感覚では、これが庶民だったらもっと厳しい判決が出ていたはずだということのようだ。もちろん韓国のことは全くわからないが、先の韓国司法関係者の予測は、大財閥の娘だからこのくらいという意味が含まれていたのではないのか。もし仮にそうだとしたら、むしろ今回の判決は外部の影響を受けなかったとさえ言えるかもしれないのである。日本のコメンテーターたちはそういうことまで考えて発言しているのだろうか。
また日本においても、司法の判断は一般人の感覚とずれているとさかんに批判してきたのは当のマスコミである。その結果、司法でも立法でも厳罰化の風潮がどんどん加速し、死刑判決が増え、また死刑執行も復活してしまった。さらに一般人の感覚を司法に生かすとして裁判員制度が始まり、その裁判員裁判の判断が上級審で覆されると、今度は裁判員制度の意義が失われると批判している。
日本国内では司法が庶民の感覚を取り入れないと批判し、韓国の問題では世論の影響によって裁判が不当に歪められると批判する。いったいこの二枚舌は何なのか。歪んでいるのは韓国の裁判所どころか日本のマスコミの方であろう。
更に考えねばならないことがある。
裁判の公平性と言うが、司法制度は本当に公平なのかということが検証されていない。今回の裁判で言えば、逮捕され実刑判決を受けたのは大財閥の令嬢である。彼女は表向きは会社の地位を何かしら失ったかもしれないが、事実上いまだに権力を握る側にいる。彼女の妹が「復讐する」と宣言して発言を撤回させられるという騒動が起きたが、まさに前副社長は裏側では今でも何でも出来る立場にいるのである。
もっと言おう。彼女は逮捕され実刑を受けても、別に生活に困ることはない。出所したらいずれにせよ親や一族が面倒を見てくれるはずだ。しかし、もしこれが一般の庶民だったら、少なくとも日本であれば起訴されずに釈放されたとしても逮捕されたと言うだけで仕事を失う可能性は高い。アルバイトなら一発で何の保証も無くクビである(憲法にも法律に違反しているが)。
そうしたとき、その人の社会的地位や立場を考慮することなく、同じ罪に対して同じ罰を与えることが、果たして公平と言えるのか。日本の一般的な裁判では普通はそうしたことが考慮されることが多い。コメンテーターたちはそうしたことまで考えているのだろうか。
こうした日本のマスコミに全体を覆う雰囲気は、これがつまり右傾化なのだと思わざるを得ない。今回はこれ以上書く余裕がないが、ともかくマスコミがここまで腐ってくると、本当に日本社会と戦後民主主義は危機に直面してしまっているのだと感じてしまう。
この問題に関する日本のテレビ・マスコミの対応にはとても違和感を感じていたので、記事を書こうと思ったのだが、ちょうど同じようなことを論じている記事があったので、それを紹介しておきたい。
『とくダネ!』小倉智昭がヘイト発言!韓国人は他人に責任を押しつけるのか、と
http://lite-ra.com/2015/02/post-862.html
ぼくは小倉智昭氏の発言については知らなかったが、まあだいたいどの局のテレビショーでも(これほどはっきり言わないにしても)似たような発言ばかりだった。
まったく、隣の国の騒動をしつこく報道して批判を続け、しかも被告に厳しい判決が出たらそれも批判するという、日本マスコミの品の無さをさらけ出すような対応には日本人として恥ずかしい。これは昨年の韓国フェリーの沈没事故と、その後の産経による韓国大統領を侮辱するようなコラムが刑事事件に発展してしまった問題と同根である。
それでいて自国の問題についてはどうなのかと言えば、実は自分の国の政治や総理大臣に対する批判は完全封印しているヘタレぶりである。
イスラム国報道でテレビ局が出演者に「安倍政権批判しないで」
http://news.livedoor.com/article/detail/9775582/
このことをつなげて見ればコトは明白だ。
だいたいにおいてジャーナリズムはなぜ社会的に必要とされるのか。それは真実を暴いて権力を検証し、その暴走を止めるためである。もちろんそんなに高尚なことを言わずとも、瓦版の時代からジャーナリズムは基本的に庶民の立場から理不尽を批判する(もしくは茶化す)ことで支持を受けてきた。
ところが安倍政権のあまりにも強権的な圧力にメディアは完全に屈し、政権に対して何一つ核心的な批判が出来ないところまで追い込まれてしまった。だが何かを批判しなければジャーナリズムの意味が無い。誰も注目してくれない。それではマスコミは何を批判するのか。けっきょく殺人犯か外国しか無くなってしまったのである。国内の重要問題を扱えないから隣の国の不祥事をこれでもかというほど叩くのだ。なんと情けないことだろうか。
話を元に戻そう。そもそも今回の判決は、日本のマスコミが批判するように世論に迎合して歪められているのだろうか。テレビのコメンテーターは、韓国の司法関係者が事前の予測で執行猶予がつくだろうとしていたことを根拠に、普通ではない重い判決だったと言っている。しかし実際の韓国のネット世論では、むしろ軽すぎるという意見が多いという記事もある。
ナッツ事件の大韓航空前副社長に懲役1年の実刑判決=韓国ネット「短すぎる!」「やっぱり金の力か…」
http://www.recordchina.co.jp/a102424.html
この記事を読むと、韓国人の感覚では、これが庶民だったらもっと厳しい判決が出ていたはずだということのようだ。もちろん韓国のことは全くわからないが、先の韓国司法関係者の予測は、大財閥の娘だからこのくらいという意味が含まれていたのではないのか。もし仮にそうだとしたら、むしろ今回の判決は外部の影響を受けなかったとさえ言えるかもしれないのである。日本のコメンテーターたちはそういうことまで考えて発言しているのだろうか。
また日本においても、司法の判断は一般人の感覚とずれているとさかんに批判してきたのは当のマスコミである。その結果、司法でも立法でも厳罰化の風潮がどんどん加速し、死刑判決が増え、また死刑執行も復活してしまった。さらに一般人の感覚を司法に生かすとして裁判員制度が始まり、その裁判員裁判の判断が上級審で覆されると、今度は裁判員制度の意義が失われると批判している。
日本国内では司法が庶民の感覚を取り入れないと批判し、韓国の問題では世論の影響によって裁判が不当に歪められると批判する。いったいこの二枚舌は何なのか。歪んでいるのは韓国の裁判所どころか日本のマスコミの方であろう。
更に考えねばならないことがある。
裁判の公平性と言うが、司法制度は本当に公平なのかということが検証されていない。今回の裁判で言えば、逮捕され実刑判決を受けたのは大財閥の令嬢である。彼女は表向きは会社の地位を何かしら失ったかもしれないが、事実上いまだに権力を握る側にいる。彼女の妹が「復讐する」と宣言して発言を撤回させられるという騒動が起きたが、まさに前副社長は裏側では今でも何でも出来る立場にいるのである。
もっと言おう。彼女は逮捕され実刑を受けても、別に生活に困ることはない。出所したらいずれにせよ親や一族が面倒を見てくれるはずだ。しかし、もしこれが一般の庶民だったら、少なくとも日本であれば起訴されずに釈放されたとしても逮捕されたと言うだけで仕事を失う可能性は高い。アルバイトなら一発で何の保証も無くクビである(憲法にも法律に違反しているが)。
そうしたとき、その人の社会的地位や立場を考慮することなく、同じ罪に対して同じ罰を与えることが、果たして公平と言えるのか。日本の一般的な裁判では普通はそうしたことが考慮されることが多い。コメンテーターたちはそうしたことまで考えているのだろうか。
こうした日本のマスコミに全体を覆う雰囲気は、これがつまり右傾化なのだと思わざるを得ない。今回はこれ以上書く余裕がないが、ともかくマスコミがここまで腐ってくると、本当に日本社会と戦後民主主義は危機に直面してしまっているのだと感じてしまう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます