ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

イシュタルの首飾り 5

2006-07-19 18:29:37 | イシュタルの首飾り
5.
天上界で、神々は大騒ぎです。アルルの女王のもとに使者が送られ、エレシュキガルはイシュタルの釈放を認めました。タムムズ(ドゥムジと同じ)は、一年に1回だけ地上に帰ることが出来ることになりました。その時には様々な祭儀が催される。今でも、ドゥムジ月(6月から7月)にニネヴェで行われるこの儀式では、ドゥムジの像が沐浴、塗油され、正装安置される。

 小さなイシュタルは第七の門でロープを取り戻した。偽りと邪悪な陰謀は逃げていった。また暗闇を歩いて第6の門で手足の腕輪を受け取った。物質的な蓄財と富裕は消え、イシュタルは元々の万物の所有者となった。第5の門では腰帯を受け取った。彼女は分別と繊細な優しさを取り戻した。
第4の門で胸飾りを受け取り、野心は砂糖菓子のように溶けていった。再び歩きつづけ第3の門で、深い海の底で生まれた真珠のネックレスを受け取った。心に居座った情欲という感情は、正しい理性に変わった。
第2の門、そこでイシュタルは太陽と月のイヤリングを取り戻した。策謀、欺き、奸計を及ぼす知力は、正しい智慧と変わった。最後の門では、偉大な王冠を取り戻した。種々の花や果実で出来た王冠は、枯れて死んでいたように見えたが、イシュタルが手にすると花は咲き、見事な果実がたわわに実って現れた。実在界は地上に反映し、その瞬間神々も地上のすべてが、イシュタルが復活したことを知った。

今や、深淵を抜けんとする天と地の境界で、彼女は首飾りを手にするとそれをバラバラにし、天と深淵にむかって投げつけた。
天にむかったイシュタルの珠は、元々の元素である水となった。蒸気に満ちた空気から水滴が生じ、水滴は雨となって大地に落ちた。天と地は2つに分かれ、空に初めて虹がかかった。
深淵にむかった珠は、イシュタルの分身となった。珠の一つ一つに光の性質と、自然と混じり合って得た万物を生み出す力を持っていた。イシュタルの珠は、深淵に散らばり、アルルの女王エレシュキガルがイシュタルの子らを受け止めた。

「イシュタル、わが妹よ。お前からの贈り物をいただこう。お前は王冠を取り戻し、太陽と月の耳飾りを取り戻し、首飾りを取り戻し、胸飾りを取り戻し、腰帯を取り戻し、手足の腕輪を取り戻し、その身を覆うマントを取り戻したが、この界がお前を染めたものをお前は持ち続けることになるだろう。お前はわがアルルで自由という果実を手に入れたのだ。お前は善なるものにも悪なるものにもなれる自由を手に入れた。お前は今から両極のバランスの上を歩まねばならない。神々でさえ、肉体を持ったときには危険と隣り合わせになるだろう」

エレシュキガルの声が低く、アルルの界を流れてゆきました。

イシュタルの首飾り 4

2006-07-18 10:09:55 | イシュタルの首飾り
4.
種々の花からなる冠が、彼女の頭のその崇高な頂にあった。冠の中央、額のすぐ上には鏡のようななめらかな珠、白く輝く光があった。あらゆる種類の花と果実から作られた冠は、波打つ深い黒色のマントのはしに結びつけられていた。そのロープには輝く星が散りばめられ、星の中央には満月が光を放っていた。彼女の片耳には月、もう片方には太陽があり、この二つがすべての自然物の能動者と受動者、父性原理と母性原理を示していた。彼女自身は月であり、月は自ら光を持たず、その光や力を太陽から受け入れていることを意味していたのです。

第四の門番にイシュタルは胸飾りを奪われましたが、彼女の上半身を取り巻く帯には多くの神秘的な象徴がありました。帯は体の前で四角形の金の板で結ばれていました。金の板は四つの要素(生命、光、熱、力)であり、それが万物を生成することを意味しました。この帯には強い力を放つ多くの星が見られ、明るいところにも暗いところにも、マントの主人が力を持っていることを表したが、いまやイシュタルは力を失った。アルルの門を一つ通り抜けるたびに、地上的物質的なものを一つ受け取り、代わりに霊的なものを一つ失った。最後の門を通ったとき、イシュタルは物質的なものに満たされ、神としての本質、霊的な法則をまったく忘れてしまった。

煙のような蒸気を生む神秘的で水のような物質が渦を巻いていた。空気は聞きとれないほどのうめき声とため息に満たされたが、それは闇に飲み込まれた光から来ているように思われた。かって地上の豊饒神だったイシュタルは、もともと光そのものだ。1滴づつでもコップに水がたまるように、ある時イシュタルのコップから光が溢れた。突然にか、あるいは徐々にであったか、漆黒のアルルに光が生まれた。神としての本質、霊的な法則をすべて忘れ去ったはずのイシュタルは、時間の留まったなかにあって蒸気に満ち、すべての自然物を養い、大気からの滋養である水分を与えてそれらを潤した。

イシュタルがいなくなった地上では、作物は実らず、動物も子供を産まなかった。生殖に関わるあらゆる営みがとだえていた。

 「牡牛は雌牛にいどみかからず、牡ろばは雌ろばをはらませず、
 街では若者が娘をはらませることなく、
 若者は自分の部屋で眠り、
 娘は女友達どうしで眠った」
           (この粘土板訳は、ヘンリエッタ・マッコール著、青木薫訳)

イシュタルの首飾り 3

2006-07-17 16:35:11 | イシュタルの首飾り
3.
タムムズはバビロニアとアッシリアの「母なる女神」 イシュタルの息子で、しかも夫なのですが、ある時死んでしまいます。タムムズを失ったイシュタルは悲しみ 、下界へ降りていくのです。
不死のイシュタルが天から地をのぞくと、地の上に自らの影を見、水の中に自らの似姿を見ました。自然は、天界の女神が地上に下るのを見ると彼女を愛し、愛する彼女に絡みつき両者は混じり合いました 。このため地に降りたイシュタルは 、枯れて死すべき肉体を自らの外側にまとうことになりました。

翼を広げ地に降りたイシュタルは、深淵をのぞき込みました。双子の姉エレシュキガルの住まう アルルは、「後戻りのならぬ場所」でした。そこには光はなく、ただ暗闇が続くばかりです。やがて第一の門が現れました。門にはほこりがたまり番人たちは鳥のように羽毛でおおわれていました。

 「門番よ、わたしのために門を開きなさい。
 門を開いてわたしを入れなさい。
 もし門を開けなければ、わたしは門を打ち破り、かんぬきを打ち壊しましょう。
 門の側柱を打ち壊し、扉を打ち壊しましょう。
 死人を立ち上がらせ、生者を食べさせましょう。
 生者よりも死者を多くしてやりましょう」

門番はすぐにエレシュキガルのところに行った。

 「ゆけ門番よ、イシュタルのために門を開けてやれ。
 古き掟にしたがって彼女をもてなすのだ」

この門を通りすぎる時、イシュタルは感覚を手に入れ、地上においてバランスや増減を知る能力を得たのでしたが、代わりに偉大な王冠を渡さねばなりませんでした。

 「門番よ、なにゆえお前は偉大なるわたしの王冠を持ち去るのです」
 「入りたまえ、わが君。これが大地の女神のしきたりです」

再び暗闇の中をイシュタルは進みます。次に第二の門を通り過ぎるときイシュタルは策謀、欺き、奸計をおよぼす知力を得ましたが、代わりに太陽と月の輝きを放つイアリングを門番に奪われました。

 「門番よ、なにゆえお前は神秘なる星の耳飾りを持ち去るのです」
 「入りたまえ、わが君。これが大地の女神のしきたりです」

またイシュタルは暗闇を進みます。第三の門を通りすぎるときは、情欲と情熱を知ることとなりましたが、深い海の底で生まれた真珠のネックレスを失います。

 「門番よ、なにゆえお前はわたしの首飾りを持ち去るのです」
 「入りたまえ、わが君。これが大地の女神のしきたりです」

イシュタルは一番大事なものが何なのか少しづつ忘れるようになりました。また第四の門が現れました。この門を通って野心というものを受け取りました。この第四の門の門番は、彼女の胸飾りを要求しました。

 「門番よ、なにゆえお前はわたしの胸飾りを持ち去るのです」
 「入りたまえ、わが君。これが大地の女神のしきたりです」

第五の門でイシュタルは無分別とより地上的な大胆さを受け取り、門番に腰帯をとられました。

 「門番よ、なにゆえお前はわたしの腰帯を持ち去るのです」
 「入りたまえ、わが君。これが大地の女神のしきたりです」

第六の門では蓄財と富裕を受け取り、門番に手足の腕輪をとられました。

 「門番よ、なにゆえお前はわたしの手足の腕輪を持ち去るのです」
 「入りたまえ、わが君。これが大地の女神のしきたりです」

第七の門では偽りと邪悪な陰謀がイシュタルを染め、たった一枚残ったマントが門番に取り去られる。

天界の女神イシュタルは、深く重くネガティブな闇に沈んでゆくばかり。かっての地上の豊饒神は光を失い、地上の植物は実ることなく、あらゆる生命は熟する機会を失った。


イシュタルの首飾り 2

2006-07-16 06:54:38 | イシュタルの首飾り
2.
女主人公はアッダ・グッピ。バビロン王ナボポラサルの治世16年目のこと。神々の王ナンナル(エンリルとナンナルの子)は、自らの町と民に怒り、天界へと飛び去った。こうして町と民は廃れた。ハランの住民は神に見捨てられた都市を捨てた。しかし、女祭司アッダ・グッピだけはハランに居残った。彼女は何ヶ月も何年も、毎日休むことなく、昼も夜も神に見捨てられた神殿を訪れた。アッダ・グッピは裂けた衣をまとい、音もなく神殿を訪れては立ち去った。

そんなある日、荒れ果てた神殿でアッダ・グッピはナンナル神の礼服を発見した。その礼服は、ナンナル神在りし日のままのきらびやかさだった。アッダ・グッピは礼服の裾をにぎって、涙ながらに祈った。

「あなたが都に戻られるなら、黒き頭のものはみな、あなたを神として崇拝するでしょう」
アッダ・グッピは霊能力に優れた女祭司で、そうした幻視が見えたのでしょうか。

「ナンナル、天と地の神々の王は、われの善き行いに微笑んだ。神は我が祈りを聞き届け、わが誓いを受け入れた。神の怒りは鎮まった。エフルフル、ハランの神殿、神の喜びである神聖なる住居にて、神は妥協された。神は心を変えられた。ナンナル、神々の支配者は、わが言葉を受け入れられた。ナブネイド、わが息子、わが子宮より出でし者を、神は王と呼ばれた。シュメールの王と。エジプトの国境より上海(地中海)から下海(ペルシア湾)に至る地を、神は息子の手に委ねた」
そして、アッダ・グッピの息子ナブネイドが母親に代わって約束を果たしました。ナブネイドの石柱にアッダ・グッピの最後が記録されているそうです。
「ナブネイドの治世9年目のこと、天命により彼女は世を去った。ナブネイド、バビロンの王。彼女の息子、彼女の子宮より出でし者は、彼女の亡骸を葬り、王家の礼服と純白の亜麻布で包む。彼女の亡骸を美しい宝石で飾る。輝かしい黄金で飾る。彼女の亡骸に甘い香油を塗り、秘密の場所に埋葬する」

王母アッダ・グッピの死は、全メソポタミアの悲しみとなった。・・こちらは、とりあえずハッピーエンドです。

 ところで、どうしてネフェルティティのことを書くのかというと、ネフェルティティとアクナテンが信仰したのはアテン神で、アテン神はネフェルティティの故郷ミタンニの神で、ミタンニの神とは実はイシュタルで、今からイシュタルのことを書こうと思うからなのでした。ギルガメシュ叙事詩では、わがままな女神さまと書かれているけど、本当はとってもすごい女神さまかも知れない。

 
 この物語では、バビロニアのギルガメシュ叙事詩的イシュタルは描かない。
古代神話で「世界の乙女」と呼ばれ、一万もの名称をもつ女神がいる。フリュギア人は神々の母ペシナンティカ、アッティカ人はケクロプスのミネルヴァ、キュプロス人はパポスのウェヌス、クレタ人はディアナ・ディクチュンナ、シチリア人はペルセフォネ、エレウシスの人々は女神ケレスと呼ぶ。 ユノ、ベロナ、ヘカティ、ラムヌシア と呼ぶ人もいる。エチオピア人、アリ人、エジプト人は女王イシス、そしてバビロニア人はイシュタルと呼ぶ。

イシュタルの首飾り 1

2006-07-15 06:37:28 | イシュタルの首飾り
1.
 エジプトの美女を挙げよ、と言ったら「クレオパトラ」と「ネフェルティティ」なのだそうです。 
ミタンニ王国の「ネフェルティティ」は、エジプトの「アメンヘテプ四世」と、結婚前の若いときに出会って、お互いに惹かれあいました。しかし、運命とは皮肉なもので、実際にはネフェルティティは15歳の時、アメンヘテプ四世の父親のアメンヘテプ三世の后となりました。
ネフェルティティは、同じミタンニ国から来た第一王妃のティイに可愛がられたようです。ネフェルティティが17歳の時、アメンヘテプ三世が亡くなりました。そして70日後にはアメンヘテプ四世が王位を継ぎ、王妃にはティイがネフェルティティを選びました。
四世は父親のようには側室を持ちませんでした。アメンヘテプ四世は、テーベからテル・エル・アマルナへ遷都し、「アケト・アテン」と呼び名も変え、自分の名前も「アクナテン」と変えました。
アクナテンはやがて病気になりました。アクナテンの病気は外見だけでなく、精神まで侵していったのです。側近たちがネフェルティティを遠ざけようと謀って、アクナテンは12歳になったばかりの三女を自分の王妃にしました。エジプト王家では親子兄弟の結婚は珍しくなかったが、ネフェルティティは理解に苦しみ夫を見放したのです。

ネフェルティティは、北の宮殿でツタンカーテンという男の子を育て、アクナテンの死後王妃である三女アンケセナーメンの夫にツタンカーテンを選びました。これがツタンカーメン王です。ツタンカーメンの墓から矢車菊が出てきて、若い后アンケセナーメンの名前が初めて世に知られました。でもこのアンケセナーメンが三代つづいた王妃であったことは、あまり知られていないかもしれない。一番最初の夫はアクナテン(アメンヘテプ四世)で、自分の父親だった。二番目の夫はツタンカーテン(アテン神を信奉していたから、最後にテンがつく)。この時の彼女の名前は、アンケセナーテン。ツタンカーテンの治世3年目にネフェルティティが失意のうちに亡くなった。それ以降アメン神の勢力が強大になり、ネフェルティティの葬儀が終わると、ツタンカーテンとアンケセナーテンはテーベに移り、名前もアメン神の名前を冠し、ツタンカーメン、アンケセナーメンと呼ばれるようになった。
一説には、ツタンカーメンはテーベに戻ってしまうが、ネフェルティティはテーベに戻らず、誰もいなくなったアケト・アテンで没したそうです。

ところで、似たような話がシュメールにあるのです。