ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

今日もあわあわ

2010-03-29 22:59:40 | Weblog
最近、泡泡石鹸にはまっている。
IPSっていう石鹸。
量子力学のなんたら・・という石鹸。
これが、意外と気持ちがよい。
夜寝る前のお風呂と、朝風呂が好きな亭主が毎朝お風呂を熱くするので、早起きすれば朝風呂もOKなんです。

お風呂で洗面器に泡泡をたてて顔にまず泡をのせる。
これも気持ちが良い。
このIPS石鹸で歯も磨いちゃう。
鏡を見ると、歯が真珠のように輝いている。
これってちょっと感動する。

頭のシャンプーもこの泡泡で洗っちゃう。
ただ石鹸と美容液1と美容液2があるだけ。
お肌も美しく、体力も増強して、地上ユートピア建設をめざそうか。

あ・昨日の深刻さはどこに・・って?

右を見て、次に左を見れば、きれいに右を忘れるという特技を持っているみたい。

見えない階段

2010-03-28 21:19:50 | Weblog
見えない階段があった。

年齢もそれ相応に重ねてきて、落ち着いた豊かな日々が送れる予定であり、順調に仕上がりそうだった。
それが、今まで心配したこともない、思わぬ障壁が現れた。
自分にそんな問題集が現れるとは、考えたこともない。
それで悩みに悩んだ。

そうしてね。
思い切って自己変革の旅に出た。
その途中途中、節目節目に、2つの選択肢を選ばねばならなかった。
その時にね。
いつでも思い切って困難な方を選んだの。
するとね。
ひとつ階段を登ったの。
また日をおかずに、また2つの選択肢を選ばねばならなかった。
その時も、厳しくても最良と信じられる方を選んだの。

1ヶ月という長いような短いような日々のうちに、5回覚悟を試された・・ような気がする。
まだ結論はでていないけど、乗り越えてみせるよ。

私から私へ、今日はちょっと独り言。

「ら」抜き言葉

2010-03-26 14:46:43 | Weblog
最近気になっているのが、私が書く文章です。

ある時テレビで立花隆さんがこう言っていました。
文芸春秋に入った時 「中卒の人間にわかる文章を書け」 って言われたんだそうです。

文筆家の文章って、そぎ落としてそぎ落として、文章をこの半分にしろ・・って正解だと思う。
普通は正解だと思うけど、シュタイナーの文章の場合、不正解なんです。
なぜなら・・どういう言い方をしたか忘れたけど、彼の訳の分からないこ難しい文章は、「言葉の曼陀羅」なんだそうです。この文章がいろんなイメージを心に思い起こさせるんだね。

例えば、「ら」抜き言葉。
見える  って書けば 可能 を意味する 動詞 だけ
ところが 見られる  となると 可能・受け身・自発・尊敬 と意味合いが増える訳です。

「表象」って言葉一つに、深い霧を想像してしまうんだけど、霧が晴れるのは何時のことだろう。


明日は「人間関係調和の瞑想」研修です。 
今月は、突っ走って行くことに決めた。 

レムリア人 少年少女の教育法

2010-03-25 09:49:06 | シュタイナー
昨日の続きです。

レムリア人の目的とする点は、意志の、表象力の発達だった。児童教育はすべてこの点へと向けられた。少年達は、この上なく激しい方法で鍛錬された。
彼らは危険に立ち向かい、苦痛を克服し、勇敢な行為を達成することを学ばねばならなかった。苦悶に耐ええない者、危険に立ち向かえない者は、人類の有用な一員とは見なされなかった。彼らはそれらの努力の末に死滅するがままにされた。この児童の教育に関してアーカーシャ年代記が明らかにすることは、現代の人間が最も奔放に思い描きうるものすべてに勝っている。
身を焦がすほどの熱に耐えること、尖った物で肉体を突くことなどは、ごくありふれた行為だった。

少女の教育はそれとは異なっていた。女児もまた鍛錬されたが、全く異質なことが、少女に強い想像力(Phantsie)を発達させるべく差し向けられた。例えば、少女は、その恐るべき美しさを冷静に感受すべく、嵐の中に曝されたし、また男達の戦闘を、恐れることなく、眼前に見る強さと力の玩味という感情のみに満たされて、目撃せねばならなかった。そのため夢想や空想の才能が少女の内で発達し、それらは高く評価された。どのような記憶も存在しなかったために、それらの才能が悪しきものとなることはなかった。

その夢想的・空想的表象は、対応する外部の原因がある限りにのみ存在した。このように、それらの表象は外部の事物に真の基盤を持っていた。それらは無根拠な戯れに終わることはなかった。それは、いうなれば、女性の心の内に注ぎ込まれた自然自身の空想であり夢想だった。

レムリア人は、その最後の諸時代を除いては、我々の言う意味での住居は持たなかった。かれらは自然が提供してくれた所・・洞くつに住んだ。必要な時にのみ改造されしかるべく備品が備え付けられた。
レムリア人は住居を目的とした建物は持たなかった。・・建物ではないが、丘は人間に喜びと楽しみを与えるような形態に作りかえられ、岩石は・・ある特定の活動に用いるために集められた。
子ども達が鍛錬された場所は、その種の塀で囲まれていた。

この時期の終わりに・・「神的叡智と神的技術」の教科を目的とした建物が、次第に精緻さと偉容さを誇るようになった。  それらは教育施設であると同時に学術施設でもあった。
資格があると見なされた者は、宇宙法則の学とその統御を伝授された。レムリア人が生来の魔術師であったとするならば、その才能はここにおいてひとつの技術と識見とにまで高められた。あらゆる訓練を通じて最も自己に打ち勝つ能力を獲得した者のみが、伝授を承認された。

そこにおいて人は、直接的観照を通して自然の諸力を識り、それらを統御することを学んだ。しかもその学習によって、自然の諸力は人間の内で意志への力へと変化した。
・・ある種の本能的活動の色合いを帯びていた。・・ここでは「本能的」という言葉を、動物界に当てはめる際の習慣となっている意味合いで用いてはならない。なぜならレムリア人の諸々の活動は、動物界が本能を用いて産み出しうるものすべてを遙かに凌駕していたからである。これらの施設の理解を助けるために、それらを「意志力と直感的表象力の専門大学」とでも呼ぶこともできよう。

それらから、あらゆる点において他の者たちの統治者となる人間が出現した。
今日、これらすべての状況の正しい像を言葉で示すことは困難だ。なぜならその当時以来地上の全てが変化を遂げたから。当時は自然それ自体が、すべての人間生活が、今日とは異質であり、それゆえ人間の労働や人間相互の関係も。今日とは大きく異なっていた。

大気は後のアトランティス時代よりも遙かに濃密であり、水は遙かに希薄であり、今日我々の地球の堅固な地殻を形成しているものは、まだ硬化していなかった。・・今は小さな形でのみ存在しているものは、そのころは巨大な大きさにまで発達していた。今日の小さなシダ類は当時は樹木であり、壮大な森を形成していた。今日の高等ほ乳動物は存在していなかった。他方、人類の大部分は、動物的と呼ばざるをえないほどの下位の発達段階にいた。先ほど述べたことは、人類の小部分にのみ当てはまる。残りの人間は獣性の内に生きていたのである。

この辺りは、「エンキの失われた聖書」の記述と一致するものがある。

今日はここまでです。今日は




レムリア人の教育法

2010-03-24 14:39:00 | シュタイナー
シュタイナーの「アーカーシャ年代記」にレムリア人の教育法という記述がある。

いわゆるレムリア人は、アトランティス根源人種に先立って存在しました。
既にアトランティス人の優れた記憶力のことは書きました。
記憶力はこのレムリア人種の間では、まだ発達してはいなかった。

人間は事物や事象の表象〔(知覚に基づいて意識に現れる外的対象の像のこと)・・なんですって・・本当にわかりにくい言い回しです〕を形作ることはできたにもかかわらず、それらの表象は記憶に残ることはなかった。それゆえレムリア人は真の意味での言語をいまだ有していなかった。むしろかれらが発し得たのは自然音であり、それはかれらの感情や快感、喜びや苦痛などを表現したが、外部の対象を指し示すことはなかった。

レムリア人は、この力を通じて、彼らは自己の環境に働きかけた。他の人間や動植物、さらには無生物までがこの作用を感知し、ただ表象によって影響されえた。
それゆえにレムリア人は、言語の必要なしに仲間と伝達しあうことができた。この伝達は一種の「読心術」であった。

レムリア人は、その表象の力を、自分を取り囲んでいる諸物から直接引き出した。
力は植物の成長力から、動物の生命力から、彼の中に流入した。動植物をその内的作用と内的生命のもとに理解した。
実際またレムリア人は無生物の物理的・科学的諸力をも同様に理解した。

レムリア人が何かを建造する時には、あらかじめ木柱の積載限度や築石の重量を計算する必要はなかった。彼はその木柱がどれほどの重さを支えられるか、その築石が重量から考えてどこに合い、どこに合わないかを見ることができた。このようにレムリア人は、技術的知識なしに・・・建造を行った。さらにレムリア人は自分自身の肉体に対して非常な力を有していた。必要な時には、単なる意志の努力によって腕の力を増すことができた。

例えば、単に意志の発動によって、彼は非常な重荷を持ち上げることができた。
後代にはアトランティス人が、自らの生命力の制御から助力を得た。レムリア人は低次の人間活動のあらゆる分野において、・・・この表現は誤解されてはならないが・・・・生来の魔術師だったのである。

あぁ・・今日は教育法まで行きませんでしたね。
でも、この後はワクワク  面白い。

私がこの本を初めて読んだのは・・昭和63年だから・・いまから20年とちょっと昔で、当時は難しくてよく分からなかった。今だって難しいけど挑戦する意義はある。


いまから夕食の買い物です。
またねぇ~☆

自助論 正直は最良の策

2010-03-22 17:29:15 | 本の話・素敵な話
つい最近、テレビで見たのかネットで読んだのか忘れてしまったが、隣の大国では川に固まって浮かんでいるような廃油を、透明な植物油風に生まれ変わらせる技術を会得したのだという話だった。

だから、お金持ちの中国人は自前の植物油持参でレストランに行くそうだ。

たまたまスマイルズの自助論をぱらぱらとめくっていたら、こんな文句が出てきた。

ある有名なビール業者は、自分の成功はモルトを惜しまず使ったからだと述べている。彼は樽のところへ行っては試し飲みをするたび、必ず「まだ水っぽいな。もっとモルトを混ぜろ」と職人に命じたという。彼の気前の良さがビールにも伝わったのか、そのビールはコクが増し、イギリスはもとより海外でも大評判となった。そして彼は莫大な財を手に入れたそうです。

ビジネスほど、人柄の善し悪しがきびしく問われる分野はない。そこでは、正直かどうか、自己犠牲の精神にあふれているかどうか、公正かつ誠実かが厳格なふるいにかけられる。

個人のお店でも、商品の品質を落とさず商売して下さると安心して買い物できる。
そのお店の為でなく、お客様の為に良かれとして下さったことって、案外正当に伝わるものだ。

その時には損をしたように思えても、長い目で見て得することが多い。

ニビル星人と地球人

2010-03-21 21:54:46 | エンキの失われた聖書
シュメールのギルガメシュ叙事詩を読んでも、エンキの失われた聖書を読んでも、とまどう事がある。

イシュタル女神とギルガメシュがからむ場面では、イシュタルのあっけらかんとした奔放さというか好色さに、粘土板が間違えて翻訳されたのでは・・と疑いたくなる。

3600年周期の星ニビル星人だって、比較できないほどの科学技術をもった星でありながら、精神の高さは地球人の方が優れているように感じてしまって、粘土板の訳しかたにいちゃもんを付けたくなる。

本当に、エンキが粘土板に書いたとおりであったら、宇宙人にとって地球は宝石のような星かも知れない。

科学技術がどんなに進んでいたとしても、そこに愛や慈悲や自己犠牲の精神や、女性のつつましさや、信仰を持つ人の敬虔さなどでは、地球人のほうが勝っているように見える。

私はいま、自分の心を見つめ直して、仏法真理の八正道を1から学ぼうと思っているよ。



エンキの失われた聖書 読み終わった

2010-03-10 16:30:15 | エンキの失われた聖書
やれやれ やっと読み終わった。目はしばしばです。

すごいね。
ギルガメシュも最後の方に出てくるの。

何を話したらいいのか・・とにかく長い長い物語です。

いま、この物語が教科書として示されるということは・・・

本当に時代の舵取りが大きく動く時代だってことなんだね。

3600年周期のニビル星は、いまどの辺りにいるんだろう。

ところで、私の手許に「灼熱の氷惑星」高橋実著 がある。
1975年初版だから、いまから35年前に書かれた本だけど、「地球の水は多すぎる」という仮説をたてて、果てしない宇宙の時間と空間をさまよい、ある得意な天体を発見するのです。

この本のスタートは、この文からです。
「朝、雨が降りに降った。わたしはこの眼で、夜も大粒の雨が降りしきるのをみた。わたしは頭をあげて、天をながめたが、その恐ろしいことといったらたとえようがない程だった。
(数千年前シュメール出土の粘土板に記載)

以下は高橋実さんの抜粋
1973年の夏、北シベリアでマンモスの冷凍体が発見された事件を新しい考え方で検討してみた。北シベリアで発見されたマンモスの冷凍体の中に、食事直後の木の葉が、歯の間や胃の中などに、未消化のまま残っていたという事件である。事件と言うにはいささかおかしいが、しかしこれは驚くべき事件の証拠であるようにみえた。マンモスの死んでいた場所は寒い所であった。マンモスが食べていた木の葉は、暖かい所にしか生えないものであった。二つの場所のへだたりは、現在の気候でいって千マイルもの違いにあたるとされた。

昔からこの謎は、「マンモスの死んでいた場所の気候が急に変わった」としか考えられないものとされた。そうして、それは、天変地異の徴候だとされた。何かが急激な変化をしたという印象を人びとに与えていた。

私は何も少しも変化しなかったのだと考えてみた。ただ、巨大な量の水がマンモスを打ち倒し、そのあと、マンモスを一挙に千マイルも運んでしまったのだ・・・と考えてみた。
マンモスが草を食べていた所は、昔も今も同じように暖かいのであるし、シベリアはその当時と同じようにいまも寒いのだと考えるのである。動いたのは一段の巨大な水塊であった。

高橋さんは、シュメール人がみつけた天体の周期を、ほぼ3000年くらいのものと仮定するのです。
ニビル星は3600年周期の天体で楕円軌道を回っています。
この仮説の鋭さ、凄いですよね。
文章がしっちゃかめっちゃかで意味通じるのかしらん。


さてさて、いまから夕食の買い物です。

また明日~~~

副島隆彦の「世界権力者人物図鑑」

2010-03-10 01:22:03 | 本の話・素敵な話
昨日、本を数冊買ってきた。
経済もアンテナ張っていたいもの。
三橋貴明の本を読むのは初めてであれこれ見ていたら、近くに副島隆彦の写真がメインの本があった。

この副島隆彦の本を読むのも初めてで、先入観は全くなかった。
最後まで読んで分かったことは、彼は、ばりばりの「全共闘世代」だと言うことだ。
小沢一郎は「アメリカが育てた本当に日本国王(帝国と取引し、駆け引きをするナショナリスト)なのであり、他の日本の政治家たちとは、はじめから格が違うと断言している。小沢一郎の信奉者なのだった。


第1章  世界権力の頂点
 ここには、世界を支配する「実質の世界皇帝」としてロックフェラー一族の記述がある。
誰と誰がどんな関係か・・とか興味深い。
この中に  1994年に小沢一郎が出版した「日本改造計画」(講談社刊)およびその英文版「ブループリント・フォー・ア・ニュー・ジャパン」では、ジェイ・ロックフェラー4世が序文を寄せている。だから小沢一郎はアメリカが育てた本当の日本国王なのだ。他の日本の政治家たちとは核が違う・・そうです。
さて、この「ブループリント・フォー・ア・ニュー・ジャパン」は、小沢一郎著「日本改造計画」の翻訳版ということになっているが、真実はその逆で、この英文書のほうが親本であり、先に書かれた。書いたのはルイーザ・ルービンファインというハーバード大を出て、小沢事務所にいた女性日本研究者なのだそうです。このルイーザの母親が、中学生の頃の小沢一郎に直接、英語の家庭教師をしていたそうです。

第5章  日本操り対策班
 中川昭一朦朧会見を仕組んだ男  ロバート・ゼーリック

麻生政権で財務・金融大臣だった中川昭一氏を失脚させたのはゼーリックだそうです。
中川大臣は「ローマG7」での朦朧会見の前日「日本政府は1000億ドルをIMFに拠出する」として、IMFのドミニク・ストロカーン専務理事と調印式を行った。これにアメリカは怒った。すでに自分たちアメリカの金だと思っている、日本の外貨準備高1兆ドル(90兆円)のうちの1割を、チェコやハンガリーを緊急で助ける資金として日本が分け与えてしまったから。IMFのストロカーンは「今どき、こんな寛大な国は日本しかいない」と泣くようにして喜んだ。

ゼーリックも、表面上は日本のこの決断に「歓迎の意」を表した。しかし腹の底は煮えくりかえっていた。ゼーリックが「もう我慢ならない。中川昭一を失脚させろ」と、手下の日本財務官僚たちに命令を下した。アメリカは中川氏の弱点だった「アルコール依存症」に見せかけて、彼を日本国財務大臣から引きずり降ろすことを謀った。中川氏は2009年10月3日に死去した。

「酩酊会見」で中川氏の左側に座っていた篠原尚之財務官はその後、IMF副専務理事に出世した。
中川財務・金融大臣の左に座っている篠原尚之財務官がゼーリックの命令で動いた。直接手を下したのは財務省国際局長だった玉木林太郎であり、この官僚と「特別に親しい関係」にある読売新聞社経済部の「・・」であり、ワインに薬物を盛られてのふらふら会見(2009年2月14日で中川氏が失脚した後、日本は米国債買い(年間で21兆円)を再開したそうだ。


この副島隆彦氏は、この人はワルでこの人は善人とか言い切っている。

最後の おわりに には

この本を出したあと、私に何が起こってもいい。その覚悟をしている。私の遺言書のような良い出来の本だ・・と書いてある。
それくらい思い切ってバサバサと切って捨てている。

命を捨てる覚悟で書いたんだろうなぁ・・と思えた。

あるいは名誉毀損で訴えられるのかなぁ ??


夢、憶えていられるか・・

2010-03-09 23:07:37 | Weblog
そうですよね。
べつに秘密になんかしなくてもいい。

夢、憶えていられたのですよ。
寝る前に近くにノートとペンを用意しておきます。
だって、すぐ忘れちゃうんだもの。

夢ってだんだん発展すると思う。

むかしよくみた夢ってあるのだけど、今はほとんどない。
悪夢って、もうみなくなった。

なんだろう、寝ている時に金縛りって前はあったけど、今は全くない。
ちょっと怖い夢かもしれないけど、ある時・・たぶん金縛りだったかも知れないけど、夢のなかで「えい!」って起きて枕元をみたのね。
そうしたら小さい子供が枕元に座っていた。
思わず抱き上げて夢のなかで考えた。
「子供・・わたしには中絶した子はいないしなぁ??」・・とか考えてる。
よしよし ってあやして、この夢はこれでおしまい。

いま、夢を憶えているか・・ってことだけど、ほとんど憶えていません。
これって意志の問題で、夢を憶えているぞって決心が必要だと思うよ。

子供の頃は宇宙の夢ってよくみた。
銀河とかね。
一人で宇宙船に乗っていたりするの。
あなたは宇宙人ですって言われたら納得しちゃいます。

さて、「地球の主エンキの失われた聖書」は、やっと4分の3読みました。
いま大洪水が起きてジウスドラが、ツバメを送り出し、カラスも送り出したけど、両方とも船に戻ってきて、鳩を送り出したら小枝とともに船に戻ってきた・・というところを読んでいる。

旧約聖書はまったくシュメールの粘土板に描かれた世界と同じだとわかる。
少しずつ、秘密が解き明かされてきた。