小林早賢館長からのメッセージです。
9/3(土)より開示となる英語御説法、
『How to spread this truth』(この真理を如何に広げるか)
で説かれた重要論点三つのうち、最初に出てくるのがこのテーマであることは、ご存じの方も多いと思います。
これは実は、我々日本人信者に重大な反省を迫る、非常に重要な内容を含んでいます。
海外の国と比べて、遅々として伝道が進まない理由として、「戦後日本が無神論国家になったから…」であるとか、「他の国に比べてマスコミの洗脳が強いので…」等々を、無意識のうちに心の中で並べて、ホンネでは、「外国のようなわけにはいかないよ…」
と思っている(かもしれない)我々に対して、
「本当にそうなのか? 真の原因は、自分の内側にあるのではないのか?」
ということを、厳しく問いかけてくる御法話であるからです。
「日本人は(つまり日本人信者は)、自分の意見を鮮明にしようとはしない。
それは、外国人に比べて、互いに頼り合って生きている傾向が、非常に強いからだ。
だから、自分の意見を鮮明にして、人間関係で葛藤(かっとう)が生まれたり、悪口を言われることを極度に恐れる。
それが、信仰告白がなかなか出来ず、伝道の言葉にも、なかなか説得力が出てこない本当の理由なのだ」
「しかし、自分の意見(信条)を明言できない人は、外国人の視点から見ると、"精神的に自立していない" とみなされる。
だから、自分が大人の(つまり成熟した)人間であることを証明するために、彼らは、こぞって、自分の方から、自らの意見を表明しようとする」
「そして、「精神的に自立していない」(人の意見、周りの意見に左右される)
というのは、実は、自らの精神世界において、
「本物の中心棒である十分な信仰が、実は立っていない」
ということを意味しているのだよ」 と。
「調和を重んじ、周囲に合わせる」ことは、先の東日本大震災でも、"日本人の美徳"であると言われてきました。
しかし、度を過ぎたその態度が、「伝道が進まないことの隠れ蓑(みの)」 になっているとしたら、我々は、根本的に考え方を改めないといけないと思います。
「伝道において、本当の意味で言い訳を排する」
とは、一体どういうことなのか。
この日は、皆様と共に、このテーマを真剣に考えてみたいと思います。
多くの方のご参加を、心よりお待ちしています。
[追伸]
昨日(8/27)の七の日講話
「ドラッカーと渋沢栄一」
では、生前の渋沢栄一の箴言(しんげん)の中から七つの言葉を選んで、それについての講話をしましたが、今日は、ご参考までに、そのうちの四つの言葉を、ここで紹介しておきたいと思います。
「真の智者は、「動」の中にあって、おのずから「静」があり、
真の仁者は、「静」の中にあって、おのずから「動」がある。」
「多くの葉を摘まんと思えば、
その枝を繁茂(はんも)させなければならない。
そして、その枝を繁茂させようと思えば、
その根を培養せねばならない。」
「実業においては、
軍事上の事務のように一々上官の命令を待っているようでは、
とかく好機を逸しやすい。」
「物事を悲観的に見るということは、
実は、他人に対して残酷になれる、
ということでもあるのだ。」
以上 でございます