猫のひたい

杏子の映画日記
☆基本ネタバレはしません☆

郊遊〈ピクニック〉

2014-11-18 04:35:34 | 日記
台湾・フランス合作映画「郊遊〈ピクニック〉」を観にいった。
シャオカン(リー・カンション)は、路上で不動産広告の立て看板を掲げる、人間立て看板の仕事を
して、わずかな収入を得ている。幼い息子と娘は、昼間、スーパーマーケットに行って、試食の品を
もらって食べている。夜は3人で路上で弁当を食べ、水道も電気もない空き家へ帰り、マットレスの
上で寝る。歯磨きも、水浴びも、公衆トイレを使う。ある日、スーパーで働く中年女性が、学校も
行かずに毎日スーパーをうろついている娘のことを、気にかけ始める。

不思議で、だけど圧倒的な存在感のある映画だった。物語は静かに、ゆっくりと進行していく。
子供たちが砂浜で遊ぶ様子、父親が人間立て看板をしている様子、3人で弁当を食べる様子、父親が
1人で弁当を食べる様子、スーパーの店員の女性が廃墟の壁に描かれた絵をじっと見る様子…
ほとんどのシーンが長回しのカメラワークで撮られていて、こちらもじっと見入ってしまう。
この映画が監督引退作品だという、ツァイ・ミンリャンという人の、他の映画は観たことがないのだが、
大体こんな長回しを多用する人なのだろうか。長回しのせいで、映画がとてもリアルに感じられる。
シャオカンがタバコを吸うシーンではタバコの匂いを感じたし、キャベツをむさぼり食べるシーンでは
キャベツの匂いと味を感じた。
冒頭で、寝ている子供たちの側で髪を梳き、やがて去っていく女が登場するのだが、あれは子供たちの
母親なのだろうか。貧しさに耐えかねて、夫と子供を置いて出ていったのだろうか。想像するけれど、
答えは用意されていない。
台湾にはあの親子のような人たちが本当にいるのだろうか。部屋を借りるだけの収入がなく、空き家に
家財道具を持ち込んで、そこでなんとか暮らしている。家らしきものがあるだけ、ホームレスよりは
マシかもしれないが。社会に置き去りにされた家族。子供たちの笑顔しか救われるものはない。
この映画には、廃墟とその壁に描かれた河原の絵が度々登場する。とても孤独を感じる場所、絵だ。
廃墟は、登場人物たちの孤独や空虚感を表現しているのだと思った。ラストで女が絵を見つめている
シーンは、とても長い。その女の後ろに立って、どうしたら良いのかわからない様子のシャオカン。
1シーン1シーンが、まるで絵画のようだ。胸に深く刻み込まれる映画である。



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