猫のひたい

杏子の映画日記
☆基本ネタバレはしません☆

バニシング

2020-07-29 22:29:57 | 日記
2018年のイギリス映画「バニシング」。

25年も灯台守の仕事を続けているベテランのトマス(ピーター・ミュラン)、短気で
粗暴なジェームズ(ジェラルド・バトラー)、新米の若者ドナルド(コナー・スウィン
デルズ)の3人は、6週間にわたって灯台を灯し続ける仕事のため、スコットランド
沖の無人島にやって来た。嵐の夜の翌朝、3人は崖の下で瀕死の男を発見し、救助
しようとするが、男がいきなり襲いかかってきたことから、自己防衛のために3人
は男を殺してしまう。死んだ男の荷物の中には金塊がぎっしりと詰められており、
動揺しながらも欲望が湧き上がる3人の前に、金塊を求めた2人の男がやって来る。

1900年12月にスコットランド沖の北大西洋に浮かぶ孤島で3人の灯台守が忽然と
姿を消した「フラナン諸島の謎」と呼ばれる実際の事件を、独自の解釈で描いたミ
ステリー・サスペンス。私はこの事件を知らなかったが、イギリスでは有名な事件
のようだ。人が失踪する事件というのは気味が悪いものである。
トマス、ジェームズ、そして新米のドナルドは灯台守の仕事のためスコットランド
沖の無人島にやって来た。嵐の夜の翌朝、3人は崖下で倒れている男と木箱が積ま
れたボートを見つける。ドナルドが様子を見にいくが、男はもう死んでいるようだ
った。トマスとジェームズに言われてドナルドが木箱を引き上げようとすると、倒
れていた男が突如ドナルドに襲いかかり、彼は身を守ろうとして男を殺してしまう。
木箱の中には大量の金塊が入っていて、彼らは自分たちのものにしようとするが、
それを捜す2人組の男が船でやって来る。
冬の海が舞台になっていることもあり、映画は終始暗い。その上孤島の灯台という
限られた空間で他人同士が過ごすのだから、閉塞感が漂う。特にジェームズは怒り
っぽく、和を乱しがちだ。身元不明の男を殺してしまったことでドナルドは罪悪感
に苛まれ、精神的に不安定になっていくが、トマスとジェームズはあれは仕方なか
ったと言って慰める。思わぬ大量の金塊が手に入ったことを喜びながらも、やはり
ドナルドの気持ちは晴れない。そしてその金塊を捜して2人の男が現れ、更なる悲
劇が起きてしまう。
人間というのは欲望に取りつかれると簡単に理性や人間性を失くしてしまうものな
のだな、と思った。と言っても初老のトマスは比較的冷静だったのだが、とにかく
ジェームズが短気で暴力的で、そのせいで悲劇の連鎖は引き起こされてしまうのだ。
若いドナルドは次第に衰弱していく。ラストはああするしかなかったのだろうか、
と思うと本当に不幸である。彼らはどうすれば良かったのだろうか。けれどもこの
灯台守の失踪事件は未解決で真相がわかっていないので、あくまでも推測と仮説に
基づいて作られた映画である。実際はどうだったのだろうと思うと不気味である。




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アンセイン~狂気の真実~

2020-07-23 22:19:43 | 日記
2018年のアメリカ映画「アンセイン~狂気の真実~」。

ストーカー男に付きまとわれているソーヤー(クレア・フォイ)は、母親に本当の
理由を打ち明けないまま引っ越し新生活をスタートさせる。精神的に追い詰めら
れていた彼女はとある施設でカウンセリングを受けるが、強制的に入院させられ
ることになってしまう。警察に助けを求めたものの取り合ってもらえず、他の患
者を殴ったために入院期間は延長。やがて彼女の前に、ストーカーのデヴィッド
(ジョシュア・レナード)が施設の職員として現れ、彼女は恐怖に陥る。

スティーヴン・ソダーバーグ監督によるサイコ・サスペンス。ソーヤーはキャリ
ア・ウーマンとして仕事は充実していたが、ストーカーの被害に悩まされ、精神
的に疲弊していた。あるカウンセリング施設を訪れるが、「自殺を考えたことが
ある」と言ったために入院させられてしまう。ソーヤーは警察に通報するが取り
合ってもらえない。その後、ソーヤーは他の入院患者と口論し殴ってしまったた
めに入院期間が延長される。程なくして、ソーヤーは自らのストーカーであるデ
ヴィッドが病院職員として雇用されていることを知る。
シチュエーションとしてはよくあるタイプの映画かもしれないが、やはり逃げ場
がないというのは怖い。デヴィッドの姿を見たソーヤーは愕然とし、この男がス
トーカーだと医師や看護婦に訴えるが、信じてもらえない。デヴィッドは患者た
ちに薬を配る担当をしていた。夜患者たちが列になって並び、1人1人に薬を渡し
その場で飲んでもらうのだが(アメリカの精神病院ってそうやって薬を飲ませる
んだな、と思った)、その際デヴィッドはソーヤーに「良い夢を」と言い、ソー
ヤーは「死んで」と返すのが何とも言えず怖い。
そのうちソーヤーは入院患者のネイト(ジェイ・ファロー)と話をするようになり、
彼にだけは気を許すようになった。そしてネイトから病院の恐ろしい秘密を聞か
される。ネイトも正気なのに入院させられていたのだ。それにしてもソーヤーっ
てバリキャリウーマンの割には頭が悪いのではないだろうか。おとなしくしてい
たら退院できるとネイトから言われているのに、相変わらず他の患者と激しく口
論をしたり暴れたりして、ベッドに拘束されたりする。頭というより性格が悪い
のか。ソーヤーの性格の悪さと怒りっぽさはちょっと笑ってしまった。
後半とても怖いシーンがあって、そこから物語は急変していく。この先どうなる
のかハラハラして、ラストまで一気につながっていく感じ。全体的に暗い映画だ
がなかなかおもしろかった。ソーヤーの母親役でエイミー・アーヴィングが出演
しているのだが、すごく年を取っていてびっくりした。




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大統領の料理人

2020-07-17 22:43:00 | 日記
2012年のフランス映画「大統領の料理人」。

フランスの片田舎でレストランを経営しているオルタンス(カトリーヌ・フロ)は、
ある日突然フランソワ・ミッテラン大統領(ジャン・ドルメッソン)の専属料理人
に抜擢され、大統領官邸であるエリゼ宮殿に迎えられる。だが、これまで女性料
理人がいなかった男社会の厨房でオルタンスは嫉妬され疎外される。オルタンス
は孤立しながらも助手でパティシエの二コラ(アルチュール・デュポン)と共に奮
闘し、大統領のために料理の味を追求していく。

「フランス最後の国父」と称されるフランソワ・ミッテラン大統領に仕えた、仏
官邸史上唯一の女性料理人ダニエル・デルプシュの実話映画。オルタンスはある
ことがきっかけで大統領のプライベートシェフに任命される。それは彼女にとっ
てとても喜ばしい出来事だったが、昔から厨房で働いている男性料理人たちはお
もしろくない。特に料理長は彼女を嫌った。厨房があんなに男社会だとは知らな
かった。しかも舞台は1980年代なので今よりずっと保守的だったのだろう。オ
ルタンスは皆に相手にされず、料理長から嫌味を言われながらも若い助手の二コ
ラと共に奮闘する。
物語は特に盛り上がりはなく、とてもおもしろいという感じではない。でもエリ
ゼ宮が豪奢で見とれてしまうし、何より出てくる料理がきれいでおいしそう。素
敵な料理の数々に目の保養をさせてもらった。料理名はわからないがキャベツの
料理がおいしそうだったなあ。デザート好きな私は「赤いベリーのタルト」を食
べてみたかった。大統領は「気取った料理は好きじゃない。母や祖母が作ってい
たような料理が食べたい」と言っていた。ミッテラン大統領はおふくろの味が好
みだったようだ。映画ではトリュフがやたら出てきて、私はトリュフを食べたこ
とがないので味の想像がつかないのだが、おいしいのかな、高いんだろうな、と
思いながら観ていた。
大統領の信頼を得るオルタンスだが、結局官邸の料理人を2年で辞職している。
その後は南極のフランス観測基地で料理人になっているのだが、映画は南極での
シーンと官邸でのシーンが交互に描かれながら進行していく。私はオルタンスが
官邸を辞めた理由がしっくりこない。彼女は大統領の体調による食事制限や、経
費節減により思うような食材が手に入らなくなってしまったことで、自由に料理
が作れなくなり、精神的に疲れていくのだ。でもそれは仕方のないことだったの
ではと思う。大統領もお年だしコスト削減も仕方ないだろう。だったらそれに見
合った料理を作るべきだったのではないだろうか。自分の流儀にこだわって自由
に料理が作れなくなったから辞めてしまった、ちょっと勝手な人という感じがし
た。それが残念だった。
大統領のオルタンスに対する態度はとても優しいのだが、ミッテラン大統領は本
当にあんなに優しい人だったのだろうか。スキャンダルもあったが、私はミッテ
ラン大統領が結構好きである。


ノエルは私がパソコンをさわっていると、よく私の腕に頭を乗せて寝ます。かわ
いいけど邪魔です(笑)。猫ってどうしてパソコンの前に来るのかな。

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悪の偶像

2020-07-12 22:52:56 | 日記
2019年の韓国映画「悪の偶像」を観に行った。

清廉なイメージで庶民の絶大な支持を得ている市議会議員ク・ミョンフェ(ハン・
ソッキュ)の息子ヨハン(チョ・ビョンギュ)が、ある夜、飲酒運転中に人をひき殺
してしまう。しかも自宅のガレージには、ヨハンが運び込んだ身元不明の被害者の
血まみれ死体が転がっていた。事故の瞬間を誰にも目撃されていないことをヨハン
に確認したミョンフェは、思い悩んだ末、死体遺棄の罪を免れるために死体を事故
現場に戻し、車を処分した上で、ひき逃げ犯としてヨハンを自首させた。そして次
期知事の最有力候補であるミョンフェは、イメージダウンを最小限にとどめるため
の記者会見を行った。ところが、被害者は小さな工具店を営むユ・ジュンシク(ソ
ル・ギョング)の息子であり、一緒にいたはずの息子の妻リョナ(チョン・ウヒ)が
行方不明になっていることが判明する。不都合な事実が明るみに出るのを恐れたミ
ョンフェは裏社会の探偵を使ってリョナを見つけ出そうとする。一方ジュンシクは
リョナが息子の子供を妊娠していると知り、彼女を捜し出そうと心に誓う。

韓国を代表する演技派スターであるハン・ソッキュとソル・ギョングの共演による
サスペンス。ある夜起きたひき逃げ事件。それはただのひき逃げではなかった。エ
リート政治家であるミョンフェの息子ヨハンは、自分が車ではねた被害者がしばら
く息があったことを知っており、被害者を自宅まで連れ帰っていた。もしもヨハン
がまだ生きていた被害者の遺棄を謀った事実が明るみに出れば、ヨハンは殺人犯と
なり、ミョンフェ自身の政治生命も絶たれてしまう。その発覚を防ぐために裏社会
の探偵を雇ったミョンフェは、事故現場に居合わせていたに違いない"消えた目撃
者"リョナの捜索を開始する。一方被害者の父親ジュンシクも息子の妻であるリョ
ナの行方を追う。加害者の父と被害者の父はそれぞれのルートでリョナを捜索しな
がら、闇の中に足を踏み入れていく。
本来は出会うはずもなかったエリート政治家としがない労働者である2人の父親。
知的障害のある息子を溺愛していたジュンシクは、息子を死なせたヨハンに怒りを
ぶつけるが、知事選が近いミョンフェはヨハンに執行猶予がつきそうだと知って安
堵する。リョナという女性はどうして知的障害のあるジュンシクの息子と結婚した
のだろうと思っていたが、彼女は中国出身の不法滞在者で、韓国に住むために結婚
証明書が欲しかったのだとわかる。物語は中盤からこのリョナの存在が非常に重要
になってきて、ミョンフェとジュンシクの運命が変わっていくのがおもしろく、画
面から目が離せない。
とにかく物語は複雑に絡み合っていて、サスペンスだけでなく人間ドラマの側面も
あり、よくできた映画だと思った。ただ少し詰め込みすぎの感もあり、後でよく考
えないとわからないシーンもいくつかあった。ハン・ソッキュとソル・ギョングの
演技はもちろんだが、リョナ役のチョン・ウヒもすごかった。リョナの異父姉がジ
ュンシクに「リョナは怪物よ。人間の手には負えない」と言うシーンがあるのだが、
リョナはまさしく怪物である。生命力や人を恨んだり憎んだりする気持ちや復讐心
がとても強く、生きるためなら殺人もいとわない。でもこんなモンスターのような
人間は実際にいるのかもしれないと思わせるリアリティがあった。
結局ミョンフェの存在も、ジュンシクの人生も偶像であったのだと思った。そして
それを気づかせる結果になったのがリョナの行動であるというのが皮肉だと思った。
とてもおもしろかったし、久しぶりにハン・ソッキュの主演作を観られて嬉しかっ
た。




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黒い眼のオペラ

2020-07-07 22:46:43 | 日記
2006年の台湾・マレーシア・フランス・オーストリア合作映画「黒い眼のオペ
ラ」。

マレーシアの首都、クアラルンプール。怪しげな賭け事に手を出したシャオカン
(リー・カンション)は暴行を受け、瀕死の状態で行き倒れる。彼を助けたのは大
きなマットレスを運搬中の労働者の青年ラワン(ノーマン・アトン)だった。シャ
オカンの看護をするうち、ラワンは次第に彼に惹かれていく。一方、食堂で働く
女性シャンチー(チェン・シャンチー)は、女主人の寝たきりの息子(リー・カン
ション2役)の世話をさせられるなど、こき使われている。ある日、シャオカンと
シャンチーは運命的な出会いをする。

ツァイ・ミンリャン監督作品。マレーシアを舞台に男性2人女性1人の人間模様
を描いている。職業がはっきりしないシャオカン(ホームレス?)は怪しげな賭け
事に手を出し、数人の男たちに暴行を受ける。労働者の青年ラワンはシャオカン
を助け、献身的に世話をし、シャオカンは回復していく。そのうちにラワンはシ
ャオカンに惹かれていく。食堂で働くシャンチーは女主人のほぼ植物状態の息子
の世話までさせられ、空しい日々を送っている。そしてある日シャオカンとシャ
ンチーは出会い、惹かれ合っていく。
セリフが極端に少なく、長回しのシーンが多いので、少し退屈な感じもするが、
好きなタイプの映画だった。冒頭の賭け事のシーンで男たちがしゃべっていたが、
それ以降セリフあったっけ?というくらいである。ツァイ・ミンリャンの映画を
観るのは「郊遊〈ピクニック〉」以来2作目だが、この人はこういう作風のよう
だ。セリフがとても少なく、ストーリーやシーンに説明がないので、観ている側
が想像するしかない。でも難解というタイプの映画ではない。ひたすら静かな映
画だが、その中に動のエネルギーを感じるのだ。マレーシアの暑さ、湿気、下町
の不衛生さが画面から伝わってくる。
シャオカンを助けたラワンは彼に惹かれていき、シャオカンとシャンチーもまた
惹かれ合う。孤独な者同士がつながっていく。近隣国で森林火災が発生し、噴煙
が流れ込んでくるシーンは印象的だ。町中が煙に覆われている中、シャオカンと
シャンチーはカップ麺の容器をマスク代わりに口に当て、廃墟で密会をしている。
2人はそこでお互いの孤独を埋め合っているのか。
シャンチーが世話をさせられている寝たきりの男も印象深い。体は麻痺していて
全く動かず、表情もない。意識はないのだろう。シャオカン役のリー・カンショ
ンが2役しているこの男の顔が度々アップで写されるのだが、登場人物たちの孤
独をこの男が表現している気がする。淋しいけれど、生きていたい。温もりを求
めたい、という気持ち。ラストのファンタジックなシーンは美しい。




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