犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

生きることへの執着を捨てる

2012-05-13 16:07:53 | 日記

山岡鉄舟が、明治21年7月19日、胃穿孔による急性腹膜炎によって数え歳53歳で亡くなる、その日の様子は、次のように伝えられています。

午前7時半、鉄舟は浴室にゆき、身を清めて、白衣に着替えた。9時、一時病床に正坐した後、立って四尺ばかり前に進み、そこで皇居の方に向かって結跏趺坐の形をとった。さすがに呼吸は苦しそうであったという。土方宮相が勲記、勲章を伝授するのを拝受し、やがて周囲の人々のすすり泣きの中で、9時15分、瞑目大往生をとげた。(『山岡鉄舟の武士道』 勝部真長編 角川ソフィア文庫 16頁)

臨終の席に駆け付けた勝海舟の、その時の様子を語った言葉も残っています。

おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の禅坐をなして、真白の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に「山岡さんが死になさったとのご報知でござる」と言うので、「はあ、そうか」と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。なおまた臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、仏果の霊験を示しつつ、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かぬところから、いかにも変だと俗物が騒いで奇妙に思うたそうだ。また諸人の生仏を拝ませてくれとの求めにまかせ、二、三日そのまま世人に拝ませたようすだ。(前掲書 54頁)

これを、常人には近寄りがたい奇跡であり、敬して遠ざけられるように扱うのだとすると、海舟言うところの「俗物」のありようと変わりがありません。
内田樹さんは武術とは「死ぬレッスン」であるとして、鉄舟の最期を次のように評しています。

これを「さすがに武道の達人は死に際もみごとなものだ」というふうな感想を持つとしたら、それはあるいは本末転倒ではないかと思います。
そうではなくて、鉄舟にとって、生涯の課題はこの臨終の瞬間に端正にふるまうことにあったわけで、そのように「みごとに死ぬ」訓練を幼少から重ねてきたがゆえに、その武芸も担力も判断力の確かさも感情の豊かさも、人に絶していたというのがことの順序ではないかと私は思うのです。(『いきなりはじめる浄土真宗』本願寺出版社 82頁)

内田さんによると、武術の形稽古とは「自分は生きる、おまえは死ぬ」というように「生者の側」に留まり続けようとするものは死に、むしろ生死のあやうい境界線上に揺らぐように立っていることを知っている人間が生き残る、ということを教えるものだそうです。これを言い換えると、「生きることへの執着」が「よく生きること」を妨げることを、武術の稽古は教えている、ということになります。

生きることへの執着を縮減することは、たとえば「来世」や「輪廻」という物語にリアリティを感じることによっても実現されます。仏教の「縁起論」は、どうしてこんな目に遭わなければならないのか不可解な出来事、人生の不条理をも飲み込むような、大きなストーリーを提供してくれる、そのことによって「生きることへの執着」から解放してくれます。

鉄舟の勝海舟との最後の会話など、まるで「あの世でまた会おう」と軽く挨拶をしているようです。生きることへの執着など微塵もないかのようにみえます。


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記憶の星座

2012-05-04 01:14:00 | 日記

福岡伸一さんは近著の対談の中で、われわれが「記憶」について語るとき陥りがちな過ちについて述べています。それは、頭の中にビデオテープやスライドのような再生可能な貯蔵物質があって、必要なときにひとつひとつ引き出されるというイメージです。ところが生物体内のすべての物質は高速の代謝回転の中でたえず分解されているため、記憶が物質レベルで保存されるということはありません。
それでは記憶とは何なのか、福岡さんは次のように説明します。

星が線で結ばれてはじめて星座に見えるように、脳細胞の回路に電気が流れて記憶が再現されているのですが、脳細胞の回路は細胞の常としてたえず再編されているので、かつて流れていた場所のこの辺りかなという周辺を電気が流れているだけです。つまり、昔の記憶がそのまま再現されているのではない。むしろ記憶とはその瞬間瞬間で新たに作られているもので、蓄積されていたものが甦るのではない、と考えた方がよいのです。そして電気信号は、流れるとすぐに消えてしまいます。生命にとって情報は「消える」ことに意味があるんです。すぐ忘れて消えることに意味があって、いつまでも変わらず残っていては「情報」にならないのです。ある信号がすーっと出現し、またすーっと消えてゆく。その落差が次の反応や行動を呼び起こすからこそ情報なのであり、いつも同じ強度だと情報の役目を果たしません。(『せいめいのはなし』 新潮社 79頁)

どんな大切な人の思い出も、忘れられない記憶も、瞬間に消えてゆく電気信号にすぎず、しかも同一の電気信号ですらありません。そう考えると、われわれの一生など儚いほんの一瞬の出来事であるという、ある種の虚無感にとらわれてしまうかもしれません。

しかし、こう考えてみてはどうでしょうか。
かりに人間の記憶がアーカイブのようなかたちで、かっちりと固められていたとして、そこに豊饒な物語が出現するだろうか、と。
あらゆる出来事が厳密な因果関係でまとめられ、不条理の入り込む余地のない連綿とした物質のつながりであるとしたら、そこには「物語」が誕生する余地はないでしょう。
精神科医の名越康文さんは、人生を舞台化し、物語化してゆくためには不条理を受け入れ、楽しめるようになる必要がある、と語ります。Aさんが私にBをしてくれたから、そのお礼にCを返した、という因果関係のはっきりした出来事ばかりでは、物語にはならない。すべての条理が通っている物語は、物語として破綻しているのです。

そして、人生を物語化し、不条理を受け入れようとすることは「生きる知恵」でもあります。
不条理を受け入れない態度は、不条理なこと、つまり不安なことが起きないように、あらゆるところに予防線を張ろうと無意味な努力を誘発します。それは予め負けが決まっている戦いに挑むようなものです。

電気信号の強度はそのつど違ってわれわれの前に現れます。そしてその違いが人生を色とりどりに舞台化してくれるのだとすればこんな愉快なことはない、そう考えることもできるのだと思います。


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