犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

ヒーラ細胞

2021-07-22 09:46:48 | 日記

前回触れた、松村由利子さんの『31文字のなかの科学』には、しばらく考えさせられる話題が取り上げられています。
彼女が新聞社の科学環境部に配属されたとき、初めて「ヒーラ細胞」という言葉を知ることになります。このときの衝撃を松村さんは次のように記しています。

理系出身の女性の先輩に訊ねると、いとも涼しげに「ああ、ヒーラ細胞ね。細胞株の名前だよ、実験に使う」と教えてくれた。「細胞株って何だろう」というのが私の次なる疑問だった。
調べてみて驚いた。正常な細胞は一定の回数、分裂を重ねると死滅するが、株化された細胞は死ぬことなく増殖を続けるのである。「ヒーラ細胞」はヒト由来の最初の細胞株で、1951年にヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)というアフリカ系米国人女性の子宮頸がんの細胞からつくられたものだった。ヒーラ(HeLa)は、その頭文字をとった名称なのである。彼女は31歳で亡くなったが、細胞株は半世紀以上にわたって延々と生き続け、研究材料として世界中で使われているという。
何だかぞっとした。本来は死ぬはずの細胞が「不死化」し、研究のために生かされているのはよいことなのか。ヘンリエッタ本人は、自分の細胞がそんな形で長い年月、生き続けることを望まなかったのではないだろうか。そして、ヘンリエッタがもし黒人女性でなかったら、果たして細胞株にされただろうか。(前掲書)

ヘンリエッタは病院代を出せないほど貧しかったため、人種に関わらずすべての人を無料で診療する病院で、治療を受けることになりました。その病院では、患者を無料で診断する代わりに細胞の摂取や治験などが行われており、ヘンリエッタが治療の過程で細胞を採取されたのも、当時のこととしては通常の手続きでした。
その後、ヒーラ細胞は、ポリオワクチン、クローン技術、体外受精や多くの医薬品を生み出したノーベル賞級の発見に使われ、新型コロナウイルスの侵入経路解明にも一役買ったのだそうです。
後年、ヒーラ細胞をめぐる倫理上の問題が指摘されるようになり、新たにヒーラ細胞の遺伝子情報をめぐる遺族と米国立衛生研究所との話し合いもあって、ヒーラ細胞は注目を集めるようになります。『不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』(レベッカ・スクルート著、講談社)にはヘンリエッタの名誉のために戦う娘デボラの様子も記されています。

さて、松村さんはヒーラ細胞との最初の出会いののち十年ほど経ってから、女性細胞学者の歌集のなかで思いがけずヘンリエッタに再会します。

自らの子宮頸癌細胞の生き続け使われ捨てらるるを知らず

「今日Hela(ヒーラ)余っていたら、6センチ培養皿(ディッシュ)一枚わけてもらえる?」

(永田紅『ぼんやりしているうちに』)

この歌集には「HeLa細胞」と題する連作十五首が収められており、その中には、ヘンリエッタの個人情報をインターネットで知ることができる驚きと後ろめたさが詠われたもの、彼女の経歴を読んでいると、子ども5人が残されている事実を知り、そこでスクロールする手を止めてしまった歌なども含まれています。
松村さんは、研究者のなかにも、ヘンリエッタのことを気にかける人がいることを知って「何だかほっとした」と前掲書のなかで述懐しています。
そして次のようにも述べています。「研究者にとってはふつうの言葉が、実はとても奇異だったり残酷に響いたりすることを、この若い作者はよく知っている」と。
この奇異さ残酷さに対する自覚があって、はじめて科学の「恩恵」と真っ直ぐに向き合うことができるのではないか、と考えます。


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心かろがろ

2021-07-17 16:49:57 | 日記

通勤の心かろがろ傷つかぬ合成皮革の鞄に詰めて 
(松村由利子『薄荷色の朝に』)

毎日新聞の記者で、主に科学関係の部署で活躍していた松村由利子さんの歌です。
上の句で心軽やかに通勤する姿を想像させて、下の句で大きく意味を反転させます。多少手酷く扱っても傷つかないような合成皮革の鞄に自分の心を詰め込んで、会社に向かう詠み手の姿が浮かんできます。「心かろがろ」は彼女の矜持のようにも響きます。

松村さんの著書『31文字のなかの科学』(NTT出版)に、彼女の苦闘の一端が書き綴られています。
彼女が、新聞社の生活家庭部という、主に家庭面の記事を書く部署に所属していたとき、一度だけ大きなネタに遭遇したことがあったのだそうです。
1990年に承認申請されていたピルが、1992年に解禁「凍結」ということになりそうだ、という内容です。
ピル承認によってコンドームが使われなくなると、エイズが蔓延するというのが中央薬事審議会の解禁凍結の理由だったそうです。これをデスクに報告したところ、承認ならニュースになるが、凍結ではダメだと一蹴され悔しい思いをしたと書いています。
読売新聞が朝刊一面トップで「ピル解禁を“凍結”/エイズまん延懸念 薬事審」と報じたのは、その数日後でした。松村さんの特ダネはこうやって幻となりました。

ピルが承認されたのは1999年、承認申請から9年もの歳月が経っています。バイアグラが、承認申請からたった5か月で99年に承認されたのは、まったく皮肉な出来事だったと松村さんは同書で述べています。「どう見ても、薬事行政が女性よりも男性のことを優先したような印象をぬぐえなかった」と。

山鳥の尾のしだり尾のながながし時たちにけりピル承認に 
(大滝和子『人類のヴァイオリン』)

この歌に出会った時に、「異国で同郷人に会ったような喜びを感じた」と松村さんは同書で述懐しています。
ピル承認までに欧米諸国に遅れること約40年もかかるという理不尽へのやり場のない憤りを、百人一首の本歌取りの技巧でさらりと詠う作者への共感でもあるのでしょう。冒頭の歌の「心かろがろ」の姿に通じる、気高い佇まいです。


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