犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

一盌からピースフルネスを

2024-05-05 21:46:13 | 日記

裏千家の前家元、千玄室大宗匠が先月、満百一歳の誕生日を迎えられました。
いくつかのテレビ番組で特集が組まれていましたが、インタビューのなかで繰り返し話をされていたのが、厳しい戦争体験についてでした。特攻隊の生き残りとしての体験です。
「NHKアカデミア」のホームページにインタビューを起こしたものが載っていたので、いくつかをご紹介します。

裏千家の跡取りとして教育を受け、自らもそのように心構えをしていた大宗匠のもとに、召集令状が届きます。出征するときの様子を次のように語っておられます。

利休が切腹した脇差し、粟田口吉光という脇差しが私の家にあります。私は初めて出征する前の晩に、父から、三方に乗せられた利休の切腹した脇差しを見せてもらいました。父は一言も言いませんでした。私はそれを恭しくいただいて「私は切腹できるかいな」と。二度と家に帰って来られない。もう出たら戦死ですよ。死を覚悟で出て行かないといけない。父、母、兄弟、友人たち、皆に別れを告げて出ました。

海軍の飛行科に抜擢されたのち、特攻隊に配属されます。沖縄攻撃のために厳しい訓練を続けるなかで、心休まる時間は、仲間たちと茶会を催した時だったと言います。

出て行くときに、携帯用の茶箱で、お茶会を何回もしました。最後に皆が出て行って「千ちゃん、お茶にして」と。配給の羊羹で。ヤカンのお湯を持ってきて、私はお茶を点てて、みんなに飲ませました。みんながお茶をいただく。「いただきます」と言ってね。
本当に仲の良かった旗生良景という京都大学法学部出身の男が京都でしたから、私の家の前を通っていたらしい。「千やん、わしな、頼みあんねん。わしな、生きて帰ったら、お前んとこの茶室で、茶、飲ましてくれよ」と。その瞬間、「生きて帰れないんだよ。爆弾を積んで、信管を抜いて出ていった以上、帰れない」。もう何とも言えん気がしましたね。

そうやって茶会でもてなした戦友たちは、皆帰らぬ人となり、大宗匠ともう一人だけが生き残りました。

私の仲間は一緒にいた私を含めて30名。私と、あとで俳優になった日大出身の西村晃という“水戸黄門”、彼が私とペアで、私と西村だけは出撃前に待機命令で命が助かった。28名の、一緒に訓練を受け、仲が良かった各大学出身の予備士官は、皆突っ込みました。

「一盌(わん)からピースフルネスを」は大宗匠が同門に向け繰り返し説き、外国の元首たちに会うたびに熱く語っておられる言葉です。百一歳のインタビューでは、悔いることがないよう、自らに言い聞かせるように、特攻隊の経験を詳細に語っておられたのが印象的でした。

前編の動画がまだネット配信されていますので、ご興味のある方は下記サイトからご覧ください。
https://www.nhk.jp/p/ts/XW1RWRY45R/movie/


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