犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

仕事が仕事をする

2023-08-31 22:58:57 | 日記

陶芸家の河井寛次郎は、文化勲章も人間国宝も辞退して、一陶工であることを貫いた人です。先生と呼ばれることを嫌い、作品に銘を入れることもしませんでした。彼は創ることの喜びを「仕事の歌」という一片の詩に詠んでいます。

仕事が仕事をしています
仕事は毎日元気です
出来ないことのない仕事
どんなことでも仕事はします
いやな事でも進んでします
進む事しか知らない仕事
びっくりする程力出す
知らない事のない仕事
聞けば何でも教へます
たのめば何でもはたします
仕事の一番すきなのは
苦しむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ
さあさ吾等はたのしみましょう(河井寛次郎「仕事の歌」)

河井寛次郎が飛び込んだのは「用の美」を重んじた柳宗悦の民藝運動です。柳宗悦は「念仏が念仏す」という一文を書いていて、そこで一遍上人が修行のすえ「念仏が念仏す」「名号が名号を聞く」という境地に達したことに触れています(『新編美の法門 』岩波文庫所収)。

柳宗悦は益子窯の「山水土瓶」の絵付けで、職人が土瓶に山水を何千回、何万回と手早く描き続ける姿が、あたかも「描くことが描いている」ようで、強烈な印象を受けました。そうやって、人と仕事とが一体になることを、仕事が仕事をすると柳は表現します。描いている「今」に集中することで、心を自由に解き放つことのできる「行者」の姿が、ここにはあります。
そして寛次郎の詩は、さらに民藝運動の協団としての理念をも表しています。

知らない事のない仕事
聞けば何でも教へます
たのめば何でもはたします

「志をひとつにし、理念をかかげ、工芸という王国を築くのだ」と唱えた柳宗悦とともに、寛次郎は民藝運動を、この詩のようにとらえ、大切にしていたのでしょう。決して気負うことなく「苦しいことは仕事にまかせ、吾等はたのしみましょう」と結んでいるのも、この詩の魅力です。

器を「分かち合う」ということを前に書きましたが、その「分かち合うこと」を目標として、大きなうねりを生み出した人がいたことに、改めて思いを致します。
そして、私もそういう仕事をしたいと思います。そこにひたすら集中することで心が軽くなるような仕事、そんな気分を分かち合う仲間に囲まれているような仕事を。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美の菩薩

2023-08-26 14:30:57 | 日記

濃茶の稽古では、見込みの深い「井戸茶碗」を使うようにしています。前回触れた、器の「深さ」と「重さ」をともに感じることのできる茶碗だからです。楽茶碗と異なり古帛紗(こぶくさ)という小布を使うので、点前に一手間が加わるのですが、ここに亭主の懐中の品を一時的に拝借するという「分かち合う」作法が加わります。

柳宗悦は、楽茶碗を作為の産物として嫌い、朝鮮の無名の陶工が作った井戸茶碗をこよなく愛しました。
このあたりの事情は、阿満利麿著『柳宗悦 美の菩薩』(ちくま学芸文庫)に、詳しく描かれています。

同書によると、柳宗悦の美の理想は、阿弥陀の発願にまで遡ります。阿弥陀がまだ法蔵という修行僧だったとき、四十八の発願を立て、もしそれらが成就しなければ自分は決して仏にはならないと長い修行に入りました。ついにその願いのすべてを実現して阿弥陀という如来となり、自ら作った国土すなわち西方極楽浄土で説法をしているのです。釈迦が仏法を説くはるか昔の話です。

柳宗悦は、この阿弥陀仏の立てた四十八願のうちの、第四願に注目しました。
阿弥陀仏の国にあっては、その住民は、形や皮膚の色が異なることなく、美醜の区別もないそういう国土にしたいという願が四願です。仏教の「業」の考えがインドのカースト制度と妥協して、容貌の美醜や男女の区別を「前世の業」の結果としてしまった状況とは、およそ遠いところにある考え方です。
以下、前掲書から引用します。

第四願もまた、美醜にわかれ、美をよしとし醜を憎む苦しみから人間を救おうというのである。分別心にとらわれ、さかしらな判断で、現実を美と醜に分け、そしてその差別にとらわれて苦しむ人間の愚かさを、そのまままるごと救いとる、というのである。美しいものはもとより、醜もそのままで一挙に「不二美」の世界に至ることができる。いや、必ず「不二美」の世界に至らしめると誓っているのが阿弥陀仏なのである。柳宗悦が注目するのは、この不思議な救済力なのだ。(139-140頁)

意図して美しいものを作る芸術的天才ではない、民衆の芸術を生み出す無名の職人を、柳宗悦は「他力の行者」と呼んで、この第四願の実現を見るのです。本阿弥光悦や楽長次郎といった天才の作品を、名もない朝鮮の職人たちが生み出した井戸茶碗が、その美しさにおいて遥かに凌いでいるのは、人智の及ばぬ力のなし得ることなのだ。こう柳宗悦はとらえました。

分別心からの解放を自由と言い、その自由の境地においてのみ美に直接に触れることが可能ならば、美はものの属性などではなく、それが開示される条件が整ったときにのみ来迎する、光のごときものでしょう。柳宗悦の言う「不二美」とは、美醜の区別のない世界を希求する心に響き、その響きに応じて感受されるものなのだと思います。

器に関して言うならば、その「深さ」や「重さ」にのみ注目すると「分別心にとらわれ、さかしらな判断で」その優劣を語ることができるでしょう。しかし、それを「分かち合うこと」は、そうした人工、作為から脱却することに通じます。柳宗悦の求めた民藝の美とは、そうしたものでなかったかと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「器」と「分かち合うこと」

2023-08-19 16:02:36 | 日記

生活スタイルの多くが、コロナ禍前に戻りつつありますが、茶道の作法については、いまだに大きな制限がついています。濃茶の回し飲みが、稽古や茶会では解禁されておらず、ひとり一服ずつのお茶を点てる「各服点て」が原則となっているのです。こんなことがいつまで続くのだろうと稽古の席で話しながら、もう3年半が経ってしまいました。

いまかりに本来の作法を再開すると、正客は次客、三客の三人分のお茶の入った器を持って、その重さに驚くことでしょう。そして器の深さに改めて気がつくのではないでしょうか。たっぷりのお茶を入れて覗き込み、口に運んで初めて、器の深さは実感することができるように思います。
濃茶の醍醐味は、覗き込むように深い器に入れた、両手のひらに重さの伝わるお茶を、手渡しながら分かち合うということでした。
利休の時代に始まった回し飲みの作法は、カトリックにおける「聖体拝領」の儀式の影響かもしれないという説も、こうしてみると説得力があるように思います。差し出された「深く」「重い」ものを「分かち合う」ということにおいて。

毎週楽しみにしている若松英輔さんのコラム『言葉のちから』(日経8.19)に、力量と器について論じているのを読んで、改めてそんなことを考えました。若松さんが若い頃、吉本隆明と何度か話し合う機会を持ったとき、吉本がしばしば口にして印象に残った言葉として「力量」があります。
それは訓練や学習を積むことでは獲得することのできない、その人が、その人の仕方でしか発することのできないエネルギーのようなものと若松さんは理解しました。そして力量という言葉と同じニュアンスを含むものとして「器量」や「器が大きい」という語を挙げます。そして器について、次のように語ります。

人間が成熟していくとき、「器」と呼びたくなる何かを内に蔵さなくてはならないらしい。
ここでいう「器」は、鉄製の頑丈なものでなく、乱暴に扱えば欠けてしまう繊細なもので、皿のように平たいものでなく、深みをもったものでもあるのだろう。私たちはそこに、ほかの人の目には見えないところで流した汗や涙を蓄える。それがいつしか清水となって私たちの内界を浄化し、育むのではないだろうか。
戦国時代に始まり、現在に至ってもなお、表現しがたい熱情をもって一個の茶碗を求める者たちがいる。動機や理由、目的もさまざまであることは歴史が証明しているが、なかに美しい茶碗の訪れを、己れの成熟した心の顕現であると捉えた人たちがいたことも事実である。

成熟した器の持つ「深さ」と、そこに蓄えられるものの「重さ」について、ここで触れられています。
私はここに、その器に蓄えられたものを分かち合うことを、「器量」の重要な要素として加えたいと思います。気前のよさや鷹揚さといったものに通じる、大人(たいじん)の風格です。そして、コロナ禍で見失われたもので、見過ごすことのできないもののひとつとして「分かち合う」ことがあると思います。
その人の器に「深さ」と「重さ」があって、その器を「分かち合う」ことができるというのは、その器の深さや重さについて、まわりの人が思いを馳せてしまうということではないでしょうか。濃茶の回し飲みはまだ先のことかもしれませんが、すぐ側の人の器に思いを馳せることは、もう解禁だと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無茶振りの効用

2023-08-10 16:58:19 | 日記

少し前の話ですが、クライアントの周年行事で、思いがけずスピーチをすることになりました。もともと挨拶する予定の方が、身内のご不幸でそれが叶わなくなり、直前にお鉢が回ってきたというわけです。とはいえ、元来裏方に属する稼業なので、晴れやかな舞台での挨拶は不慣れなのです。
こういう話が回ってくるうちが華なのだと思うようにしていますが、今年はどうも無茶振りでお役が回ってくることが多いように思います。利休忌の大寄せの茶会の席では、男性であるというだけの理由で、正客をなかば強引に引き受けさせられ、往生しました。

決して出来の良いスピーチではありませんでしたが、今は亡き創業者のお話をすることは、私にとって誇らしいことでした。出席者のうち半数以上が創業者をご存じないとのことだったので、その人の「後ろ姿」が伝わるような話をしようと思いました。

松下幸之助の言葉で私の好きなもののひとつに、「成功する人が備えていなければならない三つのもの」という話があります。成功する人には「愛嬌」「運が強そうなこと」そして「後ろ姿」が備わっているのだと。
このなかで、私が最も惹かれるのが「後ろ姿」です。後ろ姿とは、その人の言葉の裏にどのような想いが秘められているのか、思わず想像が膨らんでいくような、そんな雰囲気を醸し出していることを指しています。言い換えると、自分がどうにかしなければいけないと思わせて、ついついその人のために動いてしまう、そういうものが人を結果的に成功させるというのです。

スピーチでは、その創業者が会議室に入ってくるときの様子を話しました。「差し入れのケーキを持ってきたぞ」と言って入ってこられ、会議に加わるわけでもなく、黙って座っておられた姿です。事業承継の話など、現役で活躍している経営者にとって愉快なはずがありません。初めのうち会議に加わらなかった方が、そうやって徐々に話に顔を出してくださるようになりました。俺は死ぬまで現役だけれど、死んだら変なことにならないようにしてくれよと、後ろ姿で語っておられました。
実際、ご病気で他界されるまで第一線で陣頭指揮を取られた、見事な経営者でした。

河合隼雄の「たましい」について当ブログで触れたのは、実はスピーチ原稿を書きながら、亡くなった方の「後ろ姿」に触発され自分自身が賦活されるように感じたからです。そして、同時にこれは「無茶振り」の効用なのだとも考えました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛇わたりの話

2023-08-05 08:19:01 | 日記

河合隼雄の兄、霊長類学者の河合雅雄が少年時代を過ごした丹波篠山を舞台に描いた『少年動物誌』(福音館書店)に、「蛇わたり」という印象深い一節があります。

兄弟で大事に飼っていたジュウシマツやシマリスを蛇に相次いで襲われ、腹いせに蛇を捕まえては懲らしめていた雅雄少年が、あるきっかけで蛇の主の復讐におびえるようになります。そんなときに少年たちが池のほとりで目撃したのが、次のような光景でした。夢見るように幻想的な描写ですので、少し長くなりますが引用します。

アヤメの花がゆっくり動き、煙ったようにかすんでいる細かく濃密な雨の中で、鮮かな紫が揺れる。かすかな音がして、真黒なカラスヘビが、相ついで、アヤメのしげみから滑りだしてきた。体をくねらすたびに波の輪が生れ、おたがいに干渉しあって複雑な陰翳を池の面に刻んだ。かれらがハイビャクシンの下に到着し、まだ泳いだあとの波だちが消えないうちに、またもや一匹、こんどはすこし大きなカラスヘビが現れた。こいつは鎌首を上にもたげ、いかにも誇らしげに周囲を見まわしながら、スピードをあげて泳ぎきり、ビャクシンの横の紫蘭の葉陰に入って、すこし一服した。
驚いたことには、三十匹あまりのカラスヘビが、こうしてつぎつぎにアヤメの陰から現れ、池を横切っていったのである。小さいのは二十センチくらい、大きなのは五十センチをこえ、二、三匹ならんだり、すこし間をおいて一匹で現れたりした。 霧雨で靄が降りたようにかすんだ水面を、黒い影がうねり、赤い斑紋が花火のように閃いて、妖しい幻想的な雰囲気がかもしだされた。
ぼくと道男はまるで夢を見ているような気持になり、茫然とこのふしぎな光景に見入っていた。
ぼくは急にえたいのしれない不安に襲われた。水面に消えては現れる無数の小さな輪の中に、影のような蛇の姿が走り、その中に白銀の矢が幻のように浮んだ。(中略)気がつくと、うしろにオキヤンと速男が立っていた。二人ともものもいわず、呪文をかけられたように硬直し、異様な光景に見入っていたのだった。(158-159頁)

最後の方で呪文をかけられたように立ちすくんでいた「速男」が主人公雅雄の弟、河合隼雄少年です。
前回、河合隼雄の「たましい」について書いて、ずっと前に読んだこの本の、不気味とも美しいとも言える、このくだりを思い出しました。河合隼雄がたましいに出会うと言うとき、畏れつつ窓を開けるひとの敬虔さがあります。水面を渡ってゆくたくさんの蛇たちは、隼雄少年にとって「たましい」の原型となるものではなかったかと、ふと思いました。
ひたすらに池を渡る蛇の一群は、こちらの思惑に染まることなく、みずからの内なる摂理にのみ突き動かされています。蛇たちは、その前で立ち尽くさざるを得ないような圧倒的な存在で、蛇たちが渡る「池」は、少年にとって自分のこころを映すものだったのではないでしょうか。

河合隼雄は別のところで、蛇は神話のなかで世界共通に「再生」のシンボルとして登場すると述べています。惰性に陥った生を賦活するのが「たましい」との接触ならば、河合兄弟の蛇わたりの話は、実は「再生」につながる体験なのかもしれないと思いました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする