犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

六十の手習い

2022-11-27 08:30:12 | 日記

前回、自分の歳と折り合いがつかぬまま生きることを、「馴れぬ歳を生きる」などと言いました。その折り合いのつかない感じが、ジタバタと悪あがきのように生きる力を生み出すのではないかと。

しかし「老成円熟」という言葉があるように、六十歳過ぎて「馴れぬ歳を生きている」などと言っているのは、かつては老成しきらぬ未熟者の言い草だったでしょう。さっさと自分の歳と折り合いをつけて、老人然としているのが、よき歳のとり方とされたのではないかと思います。 

今は人生百年時代などと喧伝されて、もっと働けと尻を叩かれます。健康を維持するのは自己責任だとばかりに脅かされる時代でもあります。
むろん、そんなおカミの都合に迎合する必要はありませんが、ある種の呪縛から解き放たれる時代に生きているのではないでしょうか。つまり考えようによっては、老人然とすることから自由になることと言えるのではないか、とも思うのです。生涯、馴れぬ歳を生きてみる、折り合いのつかない自分を誤魔化さずに生きてみると、開き直ることが許されているのだと。

ここまで書いてきて、染織家の志村ふくみが、「六十の手習い」について素晴らしいことを書いていたのを思い出しました。エッセイ集『語りかける花』(人文書院)に収められているのですが、今から三十年以上前の文章で、その後の志村ふくみをそのまま言い表しているようにも思います。

六十の手習いというのは、六十歳になって新しいことを始めるという意味ではなく、今まで一生続けてきたものを、改めて最初から出直すことだと思う。(中略)
今まで夢中で山道を登ってきたつもりが、よく見ればいかほどの峠にさしかかったわけでもない。もう一度山の麓に立って登り直す方がずっと魅力的だと思うわけは、要するにもう一度あの、わくわくした新鮮な驚きをもって仕事をしたいのである。(前掲書 56頁)

馴れぬ歳を生きることは、ここでは「わくわくした新鮮な驚き」を生きることへと昇華され、より明確な意志に支えられています。「もう一度あの、わくわくした新鮮な驚きを」と思える心の強靭さ、しなやかさを、私も持っていたいと思います。


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馴れぬ歳を生きている

2022-11-23 12:51:06 | 日記

大濠公園に散歩に出かけると、池に浮かぶ夥しい数の鳥に驚かされます。
留鳥のアオサギやマガモに混じって、ユリカモメやホシハジロなどの渡鳥が、池を覆いつくすのです。石橋の欄干の柱にユリカモメが一羽ずつ行儀よく並んでいる姿は、ユーモラスでもあります。

人はみな馴れぬ歳を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
(永田紅 『日輪』)

この歌は作者が二十歳のときの作なのだそうです。
双子の娘たちもいま二十歳。彼女らも馴れぬ歳を生きているのだろうか、と考えます。この子たちが成人するときには、自分はもう六十三歳になっていて、ちゃんと生きて働いているだろうか、と子どもたちが小さい頃には思っていました。

実際にその歳になってみると「やっとここまで」という達成感も、「まだまだこれから」という意気込みも湧いてきません。「馴れぬ歳を生きている」のは、去年やおととしとまったく変わらないのです。

ところで、「馴れぬ歳」という感慨は、自分の歳としっくり折り合いをつけているような自分を想定して、それとは程遠い自分があるから、生じるものではないでしょうか。だとすれば、折り合いのつかない自分が、いずれ見出すはずの解答のようなものとして「折り合いをつけた自分」をどこかで夢想しているのだと思います。折り合いのつかない現在によって、無限に繰り延べられる解答が置かれるのです。

『医者、井戸を掘る』(石風社 2001年)のなかで、滅多に弱音を吐くことのない中村哲医師が、珍しく「ただ訳もなく哀しかった」と述懐している箇所があります。

砲声の中、村人は黙々と作業に励み、ポンプが水を吐き出すたびに、鍋やバケツを手にした女子供が水場に群がる。中にはロバの背に革の水袋を載せた少年の姿がある。向こうの村から何時間もかけて歩いてきたという。
私はただ訳もなく哀しかった。「終末」。確かに、そう感じさせるものがあった。ふと時計を見ると、9月15日、アフガン時間午後12時45分、私の誕生日である。五十四歳にもなって、こんなところでウロウロしている自分は何者だ。ままよ、バカはバカなりの生き方があろうて。終わりの時こそ、人間の真価が試されるんだ、そう思った。(『医者、井戸を掘る』32頁)

五十四歳になった自分と「終末」を思わせる現状との折り合いが、どうしてもつかないことを、中村医師は「訳もなく哀しい」と述懐したのだと思います。それは、みずからの志と現在の自分、そして現在の世界との折り合いのつかなさ、に対するものでもあったのではないでしょうか。

馴れぬ歳を生きることは、決して心地よいものではないと思います。そして場合によっては「哀しい」ものであるのかもしれないけれど、それはひとをジタバタと突き動かす力になりうるのではないか。
そう考えると「折り合いのつかない現在」が、とても愛おしいものに思えるのです。


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幸せの風

2022-11-18 21:02:38 | 日記

この夏転居した先で、駐車場を一台分しか確保できなかったため、仕事に使う車は自宅から少し離れた場所にある駐車場に停めています。近くに小学校があるので、駐車場までのわずかな距離の通勤道を、子どもたちに混じって歩くのです。

 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

通学路には黄色い落ち葉が敷き詰められていて、小さな子たちを連れた、与謝野晶子の歌を思い出します。

今朝、やや遅く出勤すると、まだランドセルが重そうな女の子がひとり前を歩いていたので、寝坊してたったひとりで歩いているのだろうかと思いました。
それにしても、大人の足ですぐにも追いついてしまいそうです。
この子はひとりで寂しくないのだろうか、大人の足音が近づいてきて怖がらせたりしないだろうか、そう思いながらその子に追いついたとき、
可愛らしい歌声が聞こえました、幸せそうな歌声が。

後ろを歩いていたときには聞こえなかったけれども、その子はずっとひとりで歌を歌っていたのでした。

 おひさまのしたでみんなとあそぼ
 ちきゅうのなかまがあつまった

女の子を追い越しても歌声はついて来ます。まるで幸せが、後ろから追いかけてくるように感じました。
心配ごともすべて、一度に吹き飛ばしてくれる幸せの風です。


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あかあかと一本の道

2022-11-13 19:48:26 | 日記

昨日のお茶の稽古は「流し点(ながしだて)」でした。
ふだん客から遠いところにある水指を炉の横、客前に置いて、棗と茶碗を炉から斜めに「流して」置きます。「流し点」の名前はここから来ています。この道具の配置は、亭主が客の正面を向くためのもので、少人数の親しい客と和やかに話をしながらお茶を点てるときに、選ばれる点前です。

柄杓はふつう、扱いやすいように亭主に向かって斜めに置くことが多いのですが、流し点では水指から真っ直ぐ後ろに引いて、水指、蓋置、柄杓が一直線に並んだ見た目が、とてもすっきりしています。

斎藤茂吉の歌集『あらたま』に、

 あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

という歌が収められています。
師である伊藤左千夫が亡くなったあと、秋の代々木の原を歩いていると、夕陽に照らされている一本道があり、自分はこの道を歩んでいこうと思ったという、茂吉の覚悟の歌です。「命」の枕詞「たまきはる」は、ものごとが完了した充実した様子を表すともされているので、茂吉の悩みが吹っ切れた様子も伝わってきます。

客座に真っ直ぐに向かうように柄杓を置き、正面を向いてお茶を点てていると、茂吉のこの潔い歌を思い出しました。
釜を挟んで常に正客の姿が見えるので、正客に向かう「あかあかと一本の道」が、浮かんでくるようにも思います。

お茶をやっていて強く感じるのは、お茶を一服点てるごとに、気持ちを切り替えることができるということです。正客との会話が加わることで、正客によって気付かされる自分自身が姿を見せることもあります。柳宗悦が『茶道論集』で語ったように、その場に余韻や暗示を感じ取って、自らを開いてゆくことが茶道の醍醐味ならば、この新たに生まれ変わる気持ちこそが、自らを開くことの最大のご褒美なのだと、改めて思いました。

別の曜日の稽古でお世話になっている妻が、暫くお休みしなければならない理由を師匠にお伝えしていて、気持ちが晴れるようにと、流し点の稽古を準備してくださったのでした。これも、しみじみと有り難い心遣いだと感じました。


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湯気が舞う

2022-11-07 23:15:08 | 日記

先日はお茶の師匠の「炉開き」でした。11月からは風炉をしまって、炉の稽古が始まります。
釜の中で沸く湯気の音がすぐ近くに聞こえると、炉の季節なのだと改めて感じます。臨場感という点では、炉は風炉を圧倒していると思います。

正客の席に着くと、釜から湯気の柱が渦を巻いて立ち上がっています。炭の火力の強い時の湯気の勢いはいつ見ても壮観で、亭主の姿が湯気の影にかすんで見えることもあります。釜から柄杓で湯を汲むと、合(湯を汲む部分)に付いた湯気が柄杓の動きに合わせてついてきます。釜の蓋の開け閉めが多い炉の点前では、柄杓の動きも複雑で、それに合わせて湯気のダンスも美しい軌跡を描くのです。柄杓を釜の縁にかけると、湯気の柱が崩れて釜の辺りにたゆたうので、茶を点てる亭主の姿がくっきりと現れます。
炉の点前における湯気の演出に、改めて見入ってしまいました。

そして、こんなことも考えました。柱のように勢いよく立ち昇る湯気は青年期の活力、空間を優雅に舞う湯気は壮年期の躍動、釜の辺りに低くたゆたう湯気は老年期の静寂のようで、たった一服のための点前にも人の生涯のリズムが繰り広げられるのではないか、と。我ながらつまらない喩えかと思いましたが、このサイクルは季節が巡るように、心がけ次第で何度でも繰り返すことができる、と考えるならば、それなりに示唆に富んでいるのかもしれないと思い直しました。

還暦を迎えて3年が経ち、第一線の仕事から手を引き始めると、人生の「底」が見えてきたようにも思います。深い井戸のように見えていたものが、まるで水の補充を忘れた水指のように、いつのまにか底を見せているのです。この数年、自分が何を失ってきたか、何を成し得なかったか、何をすればよかったのか、そんなことばかりが頭の中を占めていました。
ところが、妻が病を抱えるようになって、これがだいぶ変わったように思います。
とにかく前を向かなければ、不安の影に引きずり込まれてしまうので、無理にでもみずからを鼓舞しなければなりません。水をたたえなければならないと思うようになりました。

稽古から帰って夕暮れの街を歩いていると、ポップミュージックの大音響が聞こえてきたので、音の聞こえる公園の方に歩いて行きました。夜空が様々な色に輝きながら動いています。近づいて、ようやくそれが夥しい数のシャボン玉で、音楽に合わせて色を変えながらライトアップされているのがわかりました。7人のシャボン玉師による「泡 a-so-bi」というイベントなのだと見ている人に教えてもらいました。
夜空を背にした光の粒は、活力に満ちて生まれ、風に吹かれて躍動し、やがて静寂に沈んでいき、それが何度も何度も繰り返されていました。


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