犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

わが内なるゴーシュ

2020-12-27 13:00:04 | 日記

中村哲医師は、2004年、「イーハトーブ賞」を受賞しています。同賞は、岩手県花巻市が主催し、「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」が、宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい実践的な活動を行った個人を表彰するものです。
アフガニスタンでの用水路建設のため、授賞式に出席できなかった中村医師は、「わが内なるゴーシュ」というタイトルの受賞の辞を受賞式に寄せています。
その中で中村医師は、用水路建設には自分がいなければどうしても進まないことが多く、出席できないことを詫びながら、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」の心境で、日々工事に取り組んでいることを述べています。
そして、この賞が自分にとって特別であることを、次のように述べるのでした。

小生が特別にこの賞を光栄に思うのには訳があります。
この土地で「なぜ二十年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。よく分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。
私の過去二十年も同様でした。決して自らの信念を貫いたのではありません。専門医として腕を磨いたり、好きな昆虫観察や登山を続けたり、日本でやりたいことが沢山ありました。それに、現地に赴く機縁からして、登山や虫などへの興味でした。(「ペシャワール会報」81号 2004年 より)

やりたいことが他にもたくさんあるにも関わらず、ゴーシュのように次から次に現れる難題に取り組んでいるうちに、いつのまにかそこから離れられなくなってしまい、思いもかけず、こうやって賞賛を受けるようになってしまったというのです。
そして、中村医師はこう続けます。

幾年か過ぎ、様々な困難―日本では想像できぬ対立、異なる文化や風習、身の危険、時には日本側の無理解に遭遇し、幾度か現地を引き上げることを考えぬでもありませんでした。でも自分なきあと、目前のハンセン病患者や、旱魃にあえぐ人々はどうなるのか、という現実を突きつけられると、どうしても去ることが出来ないのです。無論、なす術が全くなければ別ですが、多少の打つ手が残されておれば、まるで生乾きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず、月日が流れていきました。自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります。(同上)

ゴーシュははじめのうち、動物たちをからかうような態度で接していましたが、彼らがあまりにも熱心なので、ついつい本気で演奏するようになります。そして、瀕死の子ネズミを救うときになって、自分のチェロが、訪ねてきたものたち以外の動物たちをも救っていたことをはじめて知るのです。ちょうど、ひとつひとつの診療を行ううちに、一本の用水路を引くことがどれほど重要かということに気づき、これに地道に着手することで、アフガンの人々に広く恩恵をもたらしたように。

中村医師は「どこに居ても、思い通りにことが運ぶ人生はありません」と語ります。そして「遭遇する全ての状況が、天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである」と続けるのです。だからゴーシュの姿が自分と重なって仕方がないのだと。
わたしたちは「人生とは何か」と、人生を「問い」のように考えることがあまりに多いのではないでしょうか。中村医師はそうではなく、人生とは「天からの問いかけ」に対する「答え」にほかならないと言います。そして、とにかく答えを出すことを倦むことなく継続し、ほかのひとのなし得ない偉業を、成し遂げることができました。

宮沢賢治がそういうものになりたいと思っていた常不軽菩薩は、人やおのれを「問う人」ではなく、ひたすら肯定して「答える人」でした。杖で叩かれ、石を投げられても「あなたは仏になるだろう」と唱えつづけます。ゴーシュは常不軽菩薩とは違い、悩みも欠点もある普通の人間として描かれています。中村医師はその悩みも欠点も含めて、自分と重なり合う存在として語ることができたのだと思います。


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百尺竿頭進一歩

2020-12-06 10:08:39 | 日記

今年の茶の稽古もあとひと月になりました。
残された日が短いからこそ、あと一歩もう少し頑張ってみようと考える時期でもあります。
「百尺竿頭に一歩を進む」の語を思い起こしますが、これは前人未踏の最前線に立ってもなおその先を目指す、という意味あいとともに、自分が勝手に作り上げた垣根を破れという戒めでもあります。

玄侑宗久さんの秀逸なたとえによると、人間の可能性の尽きることがないことは、ちょうど無限の「引き出し」のあるタンスのようなものです。引き出しは無限であるにもかかわらず、どうしても習慣によって開ける引き出しが決まってしまう。そこで、背伸びをして高い位置にあるものや、遠くのものも開けてみる。それが修行としての日常だというのです。
そもそも、私たちは、引き出しを無限に持っているという認識すらありません。習慣的に開けている引き出しが、わたしの全てであってそれ以外の可能性に気がつかないのです。そこで、背伸びをして高いところに目をやったり、遠くに手を伸ばしたりしてみて、初めて引き出しの存在に気がつくのではないでしょうか。

それでは、人に背を伸ばしたり手を伸ばすことをさせるのは何でしょう。
松下幸之助は成功する人が備えていなければならない三つのものとして「愛嬌」「運が強そうなこと」そして「後ろ姿」だと述べました。後ろ姿とは、その人の言葉の裏にどのような想いが秘められているのか、思わず想像が膨らんでいくような姿です。
自分がどうにかしなければいけないと思わせて、ついついその人のために動いてしまう、そういう要素が人を結果的に成功させるというのです。
玄侑さんの「引き出し」の例えに戻ると、見る人を受け身ではなく能動的にさせる「陰り」のようなものが、ああでもないこうでもないと、新しい引き出しに手を伸ばさせる、と考えることができます。

千手観音の手がなぜあのように沢山あるのかという問いに対して、「闇の中、後ろ手で枕を探す」と答える禅問答があるのだそうです。観音様の慈悲とは、救うべき人とその苦悩をあらかじめ熟知していて、超能力で片っ端から片付けていくようなものではなく、闇の中で枕を探すような当てのない行動だというのです。引きつけられる「陰り」に導かれて、失敗を繰り返しながら、それでもあきらめずに、その手がようやく「陰り」を癒すところにたどり着くのです。

柳宗悦は『茶道論集』のなかで、茶の本質を「わび、さび」ではなく「渋さ」という民衆の言葉で語っています。そしてその真髄は「貧の心」にあると言います。「貧の心」とは、無限なるものに自らを開くために、「足らないこと」や「陰り」に自らを置いてみる心を指しています。

このように考えてくると、茶の湯の美とは、「陰り」とそれによって引き出される無限の可能性との、両者の出会いによって生み出されるエネルギーのようなものと理解することができないでしょうか。ちょうど「自分がどうにかしなければならない」と、居てもたってもいられなくなるように。


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