心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

「ミスター・インクレディブル」の監督の言葉

2004-12-12 17:28:35 | Weblog
 今日の新聞にブラッド・バード監督の話が載っていました。平和な生活を送りながらも、世界を救う夢が捨てられない、悩める父親が主人公ですが、「僕も映画づくりという夢を追いかけていたころに子どもが生まれ、両立にとても苦労した。良き父、良き夫でありたいと同時に、いい仕事をしたい。そんな自分の気持ちが投影されたキャラクター」だと語っています。
 私もこの気持ちがよく分かりますし、男はみんな悩むところだと思います。ちょうど今、毎日新聞の連載で仕事オンリーで家庭を顧みなかったサラリーマンの話があります。左遷された自分を救ってくれたのは、もう成人していた子どもたちだったというくだりがあります。単なる仕事人間というだけではなく、よき父、よき夫も含め、いくつもの道や趣味・人間関係をもった、幅の広い人間でありたいものです。そうであってこそ、複眼的思考ができ、色々な人の気持ちも分かる大きな人間に近づけると思います。
 話は前に戻りますが、ちなみに監督が目指したのは、ウォルト・ディズニーが言った「信じられる不可能」だそうです。

幸運を作るというのは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくことー「グッドラック」の言葉から

2004-12-12 17:00:12 | Weblog
 話題の本、「グッドラック」(ポプラ社)は、アレックス・ロビラとフェルナンド・トリアス・デ・ベスという人の共著で、少年時代の親友だったマックスとジムがセントラルパークで偶然再会するところから話しが始まります。少年時代貧乏だったマックスは64歳の今は「これほどの幸福があるだろうか」といえる境遇です。祖父の工場をお父さんがさらに大きくしたというジムは、お父さんが死に自分の代になった後、運に見放され破産したといいます。そこでマックスは、自分の祖父が教えてくれた本物の幸せをつかむ話しをジムにするというストーリーです。そのストーリーの中に出てくる言葉を紹介します。
 運は、呼び込むことも、引き止めることもできない。幸運は、自らの手で作り出せば、永遠につきることはない。
 誰もが幸運を手にしたがるが、自ら追い求めるのはほんのひとにぎり。
 幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。幸運をつかむためには、自ら下ごしらえをする必要がある。
 欲するばかりでは幸運は手に入らない。幸運を呼び込む一つのカギは、人に手を差し伸べられる広い心。
 下ごしらえを先延ばしにしてしまえば、幸運は絶対に訪れてくれない。どんなに大変でも、今日できることは今日してしまうこと。
 自分の知っていることがすべてとは限らない。幸運をつかむには、あらゆる可能性に目を向けなくてはならない。
 偶然しか信じぬ者は、下ごしらえする者を笑う。下ごしらえをする者は、何も気にしなくていい。
 幸運をエサにするような人は信じないこと。幸運は売り物でも、道具でもないのだから。
 できることをすべてやったら、焦らず、あきらめぬこと。自分には必ず幸運が訪れると信じ、甘い言葉には耳を貸さぬこと。
 幸運を作るというのは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと。だがチャンスを得るには、運も偶然も必要ない。それはいつでもそこにあるものだから。
 これらの言葉が納得できるような話しが語られます。ぜひ一読をお薦めします。

山根三奈著「甘いオムレツ」に見る少年たちの友情と戦争の不条理さ

2004-12-12 10:19:47 | Weblog
 「甘いオムレツ」(メディアファクトリー)は、2000年発行。副題として、「小椋佳(おぐらけい)の父と母の物語」とあり、シンガーソングライターで音楽プロデューサーの小椋佳の家族に取材して描かれたものです。
 タイトルに関連する部分を読む機会がありました。学童疎開で疎開地へ行った少年たちが、いったん東京の親元に帰されるというので、喜び勇んで夜行列車に乗ります。しかし列車が到着した上野駅は未明の大空襲で焼き尽くされ、出迎えの人はおろか、帰る家さえ失います。行き場を失った子どもたちは、その日から上野の地下道を住み処とするしかなく、くず鉄集めなどして何とか生きています。
 しかしリーダー格で子どもたちをまとめていたヤスは病気になってしまします。子どもたちはなんとか貯めたお金で病院へと誘うが、自分の病気のために大事なお金を使うのを遠慮します。困った子どもたちは顔見知りのトクというおばさんに来てもらいます。トクも自分の娘恵子もみんなと一緒に疎開させていたら、同じ運命であったことも考え合わせ、せめて死に際くらいヤスにも温かい家庭の味を味わわせてやりたいと、甘い、甘いオムレツを作ります。ヤスはトクの腕の中で、甘いオムレツを一口食べると、タカシや数人の同じ境遇の友達に「食え。甘いよ。おまえたちも食えよ」と言います。子どもたちは「うん。食った。俺たちもたくさん食ったから、あとはヤスが食え」といい、お腹はすいているはずなのに、だれも手を出しません。しかし、おいしいからおまえたちも食えというのが最後の言葉でした。ヤスは疎開の列車に乗り込んだあの日から、みんなを励まし、みんなの先頭に立って生きてきて、死ぬ間際まで、友達を気遣う兄であり、父であり続けたのでしょう。子どもたちはヤスの体に触って泣きます。トクは自分の無力さや人の命のはかなさ、戦争の理不尽さを感じ泣きながら帰っていきます。
 ヤス自身もつらいはずなのに、周りの子どもたちのことを第一に考えるこの姿勢・態度には本当に頭が下がります。人間の至高の生き方を示していると思いました。