心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

恐るべき復讐心2-臥薪嘗胆のエピソード

2004-12-25 23:31:35 | Weblog
 「臥薪嘗胆」は「一度味わった屈辱を晴らしてやろうとして、苦心・苦労を重ねチャンスの到来をまつこと」(新明解国語辞典・三省堂)という意味の有名な故事成語ですが、もう少しそのエピソード具体的に書くとこういうことです。
 紀元前5世紀の中国、越王の句践(こうせん)との戦いに敗北した父王の仇(あだ)を忘れないように呉王の夫差(ふさ)が、ベッドに休むことをせず毎夜堅い薪(たきぎ)の上に寝て復讐心を燃やしたことが「臥薪」ですね。その後、その願いがかない、いよいよ今度は夫差が句践を追い詰めます。このとき句践は家来になるから命だけは助けてくれと願い出ます。句践は一命を助けられたものの、この時の苦い屈辱を忘れないように、苦い肝(熊の肝という説があります)を嘗(な)めることによってやはり復讐心をかきたてます。これが「嘗胆」です。そして遂に20年がかりで句践は夫差を滅ぼします。人間の怨念の恐ろしさと、いかにモチベーションを高める工夫をするかを教えてくれる話です。
 なお親子二代にわたって呉王に仕えた忠義な部下がいる(「恐るべき復讐心1」で書いた「死者に鞭打つ」のエピソードの人です)のですが、この人は越の国から賄賂をもらっている部下の讒言(ざんげん)により、夫差に自殺を命ぜられます。この時、「自分の目を抉り取って、都の東門に懸けてくれ。その目で、呉の国が滅ぶのを見てやる」と言って死にます。そういうことがあったので、夫差は「あの世で、彼に合わせる顔がない」といって、顔に布をかけて死んでいきます。
 信用できる人間と、信用できない人間をしっかり見分けることの大切さも語っています。「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、私たちは、歴史や古典から多くのことを学びたいものです。

ホークスに一喜一憂この一年(川崎選手と家族との関わりを中心に)その8

2004-12-25 18:40:31 | Weblog
 8月30日の悪夢の日の翌々日から、子どもたちは2学期が始まり、忙しくなりました。しかし私たちの心の中には、モヤモヤしたものが残ったままでした。前から書いている通り、自分の病気の問題、それからホークスが身売り、あるいは合併するかもしれないという問題、井口選手など来年はいなくなるかもしれないという問題(メジャー志向だと知っていましたから)など、家族で今のチームを見るのは最初で最後かもしれないという思いがありました。妻に9月に行く気はないかと、恐る恐る相談してみると、妻もやはり見てみたいということでした。福岡ドームの印象がとても強かったのでしょう。
 早速子どもに話してみると、子どもたちは大喜び。しかし鹿児島から子ども連れで行ける日というのは限定されています。自分の仕事の事情とも照らし合わせて試合日程を見ると、18日土曜日の西武戦がよさそうでした。しかし大きく2つの問題がありました。
 一つはチケットの問題。さすがに9月の首位攻防戦ということで、チケットは完売していました。何かいい手はないかと、インターネットで調べてみると、定価よりかなり高い値段で売っているサイトを見つけました。4枚も買うとなると、かなり高額でした。そこでヤフーオークションで調べてみると、もっと安くで手に入るかもしれないと思いました。もちろん入札ですから、いくらになるかはわかりません。
 もう一つの問題はストになる可能性があるということでした。しかし1回目のストが回避されたので、望みがあると思い、思いきってオークションに入札しました。1塁側で内野席4つ続きというのはほとんどなかったので、どうしてもこれを落札しないともう行けないという状況での賭けでした。それからは数時間おきに、サイトを見る毎日。もう少しで落札するかと思った時、自分より高い値段で入札する人がいました。必死な私はすぐ、上の金額を入れました。それから落札直前までひやひやでした。結局、試合日の週の火曜日頃の夜中、落札が決定しました。やったーという思いで、しばらくは興奮して眠れませんでした。翌日、家族に話したら、再びみんな大喜びです。お金を振り込み、本当にチケットが送付されるか不安だったのですが、無事千葉の方よりチケットが届き、あとは再び台風と、ストのみが心配の種でした。(続く)

「デキる人間」と「デキない人間」の違い

2004-12-25 08:13:38 | Weblog
 小泉十三氏によれば、「頭の良さ」と「習慣」の違いによると、その著「頭がいい人の習慣術」で、書いています。仕事を効率良く進めるためには、「頭の良い考え方」や「頭のよい仕事の進め方」を完全に自分のものにしておくこと、すなわち「習慣化」してしまうことが必要であると。
 例えば「どうすれば、もっとラクに仕事ができるか?」ということを考えつづける習慣ということです。世界の自動車王といわれたアメリカのヘンリー・フォードは、子どものころから、「どうすればラクができるか」を考えつづけた人間だったということです。学生時代には、馬車から降りなくても家の門が閉められる装置を作ったし、フォード社を設立してからは、工場内に部品供給ラインを作って、いちいち部品をとりにいかなくてもすむようにしたと。つまり、「どうすればラクができるか」というのは、発明や発見のもとであり、文明を進歩させる推進力になっているわけです。
 そういうことを常に考える習慣をもって、そしてそれを単なるアイデアにとどめるだけではなく、実行することが大事だと言えますね。