ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

夕飯

2011-07-26 19:53:30 | スイーツ

奈良では三輪そうめんにオクラと赤玉ねぎを添えていただき(揖保乃糸そうめんししか長野では見かけません)

三輪そうめんつるんとして美味しいそうめんです。

吉野では、茶飯をいただきました。

地元でさらに家庭で作っていただいた味は格別でした。ご馳走様でした。

 

今日は我が家で次女と夕飯作り

畑の丸茄子でチーズを挟んだ茄子のフライを作り

       

娘は、畑の丸茄子にブロッコリー、頂いた獅子唐、辛獅子唐で

夏野菜のピリ辛みそ炒め、ちょっと辛かったから刻んでおいたオクラをいれてできあがり 

        畑で採れた野菜あと頂いた地元の野菜、ありがたい夕飯でした。


記録メディア

2011-07-26 07:46:01 | ワッフル旦那のあれこれ

神の記録メディア

”わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。”

初めてカセットテープレコーダーが家に来た日を覚えている。
自分の声を聴いて「俺ってこんな声?」って思ったものだ。

世界初のレコード(音声記録)システムは、1857年、フランスのレオン・スコットが発明した「フォノトグラフ」だが実用させたのはエジソン。
エジソンは発明王というよりそれを商用化ビジネス化することに長けていただけのものが多いまあ、それも才能だが、、。

日本ほど記録メディアがひしめいている所も無いと思う。
東南アジア中国南米アフリカなどではVHSテーブやカセットなどは無いいきなりDVDやCDから始まっているし
アメリカなどはいまだに遅れていてMDさえ知る人もいない。
日本人は世界の記録メディア実験場の様にレコード盤、カセット、βーVHS戦争、CD,MD,ICレコーダー、ブルーレイ、インターネット配信など新しいモノを使いながらもいまだにアナログなレコード針を使ったりする民族だ。

神も人に似て(?)様々な記録メディアを使ってきた。
過去には石の板に自分の言葉を記録したし、聖書という羊皮紙や紙にも記録した。
天使やロバに語らせる事もあれば自然を通じて語らないけど悟らせるという方法も取っている。
でも、最新(最古?)の記録メディアとしても媒体は人なのである。

初めのアダムは神から伝えられた言葉を正確にエバに渡すことが出来なかった。伝言ゲーム(失礼)は始めの所から失敗に終わったのである。


福音と言われる神の良き知らせは、イエスから弟子、弟子が伝え信じた人々を通じて2000年経った私の元に届いた。ここで途切れるか、また次の人にバトンを渡すかは私と神ぞ知ることである。
そして世界の果てまであまねく福音が伝わってもう伝える人が一人もいないとなったとき
この壮大なレコーディング競技(?)計画(うーん、これもしっくりしないが)は終了するわけである。

さて金沢、奈良という古き歴史深い地域を渡り歩いての楽しみは兼六園に行く事でも世界遺産を見る事でもなく、神がレコーディングされた方々と直接会って、自分の心の中の神のことばという記録を引き出すときに、どれほど雑音という混じり物があったり、うまく再生できていないかを再確認する実にオタッキーな交換会なのである。世の人々から見ればペットボトルのふたをコレクターしている人ほどの価値かも知れないがたのしいのだ。
あるかた、たとえその方が実に初心者でキャリアのない方であっても私の開けないページを再生せて下さると、自分の頭の中にはあるのだけれども「あれ?なんだっけ?」という思い出せない言葉を教えて頂いたときに似た、「そうそう」と両手を打ち喜ぶ快感が(時には鳥肌)がある。

今回Saltさんが私とのおそらく延べで22時間程にはなるだろう会話中の1時間程をレコーディングしてくださり配信してくださった(特別編として6名の交わりの少しグズグス気味ですがそちらもあります)。
吉野での時もそれに負けず劣らず素晴らしいモノだったのですが、それは地上には記録されてなく神が天で記録なさっている。
そしてそれは世界の裏側にいる方であっても出来ることで、二人又は三人いれば同じ共有が出来るだろう。
私たちは耳に入ってくる何を信じて、口からどんな言葉をだすかにたいして責任がある。
それは神の前に記録されているからである。

今回の事はその楽しみをまだそれほど味わっていない方々にこんなに楽しいんだよと聞いていただく機会と是非、次はあなたもという期待をこめたものです。Saltさんありがとうございます。またよろしくお願いいたします。


http://saltcanaan.exblog.jp/

2011年7月24日「タツヤとトミオの信仰放談(その1)」