奈良ではSaltさんと本当に良く話させてもらいった。
日ごろそれほどおしゃべりでは無いという彼(本当だと思う)だが、おしゃべりな私が合いの手を挟むタイミングを待つほどにお互い話しこませてもらった。
それはダンスや少林寺拳法の組手をさせて頂いているような時間でとても楽しかった。
今回は殆んど聖書の話で中心はもちろんイエスキリスト、何度か以前にも話し込んだこともあったのですが、今回が最も脇道にそれず、お互いの家庭や仕事の近況はあいさつ程度で御言葉を分かち合わせて頂いた。
お互い趣味は(このいい方はしっくりこないのだが仕方がない)ギターとバイクであまり共通点もないのだが、何かを続けている事、楽しんでいる事、突き詰めて行く事はとても似ていてものすごく共感がある。
道具が全てではないのだが道具がどうでも良いものでは無いことや、体の一部の様に扱えた時の喜び、その男性からみたらセクシーさも同じなのだから面白い(ギターを抱え込んだ形やライン又はバイクにまたがった時のタンクからくびれたシートそしてリヤシートにかけても造形に対する感じ方)、ある意味ただのバカなのだが、、。
何より震えているのは弦であって、鳴っているのはギターなのだが鳴らしているのは弾き手
バイクの場合は、前に進ませる力はエンジンであって、走っているのはバイクなのだが走らせているのは乗り手なのだ。
おそらく人の営みのほとんどの事にそれは当てはまるのでは無いかと思うそれは神が人の為にご自身をあらわすためにそうなされたのだと思う。
「もはや私では無くキリスト」
クリスチャンは皆そうでありたいと思うし、そうなるのだ。
「変身」 トォゥ