ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

キャーリオーキー

2011-07-27 20:25:37 | ワッフル旦那のあれこれ

昨日はヤフオクで買った車が2台到着したので、今日は長野陸運事務所でナンバーをもらいに行ってきた。

2台同時におこなったので連番のナンバーになりました。

同時にユーザー車検の申し込みをしようと思って聞いたら、携帯かパソコンからのみの受付と却下。

窓口に直接行って出来ないって業務の簡略化など理由はあるのだろうが、それではお年寄りやパソコン環境の無い方はどうするのだと思いました。

昨日、次女から明日休みだからとお誘いもあったので新しいナンバーをつけてカラオケに

途中から長女も合流、長男も誘ったのだが(水曜休みですので)彼はギターを弾いていたいようだ。

次女は初めてボーナスを少しだがもらい「食事でも招待しようか」と考えたようだが、一緒に遊んでくれることだけで十分。

私もまだ子供たちに奢ってもらいたくはない。それでもその心は嬉しい。

過去にはかなりバカにしていたカラオケだが、何をするか、よりも、誰とするか、が今の私にとって優先順位が大きい。

娘の事はもちろん小さい時から知っているつもりだが、こんな曲をこんな声でこの様に歌うのかと聴いているとなかなか味わい深い。

今日気づいたのだが、次女はアゴが私の骨格に近く声帯も私と近い、だからHYさんとか太い声の歌が似合う、私が女性ならこうなるのだろう。

 

        長女は家内の声帯で高く細い声だが家内とはまた違う.  

この世界は限りがあるのですが、親から子、子から孫へのいのちのバトンリレーは

過ぎてみれば儚い人生に永遠という花束を少しだけ味あわせてくれます。

 


働くということ

2011-07-27 08:07:30 | ワッフル旦那のあれこれ

今朝、電燈を見上げたら、そこには見事な蜘蛛の巣が張られてあった。

奈良に行っていた間にがんばったのだろう。

その朝の霧が流れるようなラインがあまりに美しいので少しの間楽しませてもらおうと思う。

虫には働き者だと思えるものが多い。

仕事は神が与えた尊い働き

今ではひたいに汗して、労苦してそして見返りはけっして多くは無い。

それは、天の父のなさっている事を少しだけ私達にも味あわせてくれる事。

イエスは「父は今に至るまで働いおられる。」と言われた。

創造の7日目から休まれていないということなら、神はオーバータイムどころか、不眠不休の活動にあたっているともいえる。

そしてそれに対する見返りは少ない。「なぜ酸っぱいブドウしかできなかったのか」「なぜこのイチジクは実をtけないのか」父の働きに足らない所があるのではない。大地が呪われてしまったのだ。

それでも父は働くことをやめようとはしない。父はあきらめない。来年こそはと日が昇る前に起きて自分の畑を見渡す。

そこには父が蒔いていないのにアザミや茨も勝手にはえてきて、神の手やひたいから血が流れる。

「血と汗と涙の結晶」といういい方は父のなさっている働きにこそふさわしい。

確かに、多くの者が神に祈る。

その時天の窓口に

「誠に申し訳ありませんが、本日は休館となっております。またのお越しをお待ちしております。」と張られていたら、とにかく、ギリギリの事をしでかしておきながら困った時のまさに神頼み的な祈りをする私などはとても困る。

神には控えのベンチプレーヤーや交代要員はいないからである。

仕事はつかえる事と書く、それがとても尊い、神が定められたから。

今朝、目にした所には「まことに、主人はしもべのために食事を用意し整えてくれる。」と書かれてあった。

私は神に仕えているのだろうか、それ以上に神は私につかえるようにして、守り、導き、支え、祝福してくださっている。

聖書では「互いに」とよくある、それは人に求める事では無い。

先月長女の結婚式の直前まで私は働いていた。

でも婚礼の日は、結婚式を味わせてもらった。

そのように天の父にも休んでいただけたらと思う。

父の場合は仕事というより、自分の子供が気になってゆっくりと休んでいられないと、言った方がちかいかもしれない。

蜘蛛の糸は、手で簡単に掃えるものですが、条件を同じにするとワイヤーより強度があると言われています。

神と人との見えない様な細い天上からの絆の糸をうちのリビングの天井の蜘蛛の巣をみて思った朝です。