思いつくままに書くブログ

基本、旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。

安代温泉・山崎屋旅館に宿泊する 1

2014-12-15 23:56:37 | 2014年の旅行記
湯田中駅から15分と思ってましたがもう少しかかって20分ほど、ようやく今夜の宿に着きました。



安代温泉の「山崎屋旅館」です。



向かいには「安代大湯」という外湯もあり、石畳の通りに面した小さな個人経営の旅館です。前回来たのは2003年3月8日なわけですが、その時は一人で泊まっておらず同行者がいました。レイルウェイ・ライターの種村直樹氏です。この日付を見て何かに気づけば、相当な鉄道マニアだなと思いますが、2003年3月の土日に限って、JR東日本の新幹線乗り放題、指定席も4回使えて12,000円と破格の「JR東日本パス」が発売されました。当時の私は函館に住んでいて、深夜の東日本フェリーに乗って青森に行けば始発から乗ることができるのですが、前日までの発売なのと指定席が〈はやて〉を中心に即完売の状況だったので都内在住の知り合い(JR東海社員)に購入依頼して郵送してもらいました。こういう切符なのですからなるべく遠くへ行こうと思うと必然的に長野となり、折角だから温泉に泊まろう、ひとりは寂しいので種村氏でも誘ってみようか?もっとも氏のことですから他から誘われているのではと思いましたが「この切符を試したいとは思っていたが忙しいのでどうしようかと思っていた。でも誘ってくれたことで踏ん切りがついた」と。

それで旅程は新宿駅で待ち合わせで、新宿(中央東線)小淵沢(小海線)佐久平(新幹線)長野と乗り歩きましょう。私は〈はやて4号〉で上京しますと伝えておいたのですが、この日の東北は大雪による遅れで青森から乗った〈つがる2号〉から10分弱の遅れ、野辺地・三沢と自由席に各駅100人くらいも乗ってくるのでとんでもない満員列車。車掌も車内改札を諦めて「東日本パスの人は切符を手に上に掲げてください」などと言う始末。当然新幹線も遅れたので待ち合わせに間に合わない。なので車内の公衆電話から種村宅へ電話。トンネルが多いので携帯では繋がりづらいですから。由子奥様が出て「種村さんのお宅ですか?」と言ったら周りにいた者がジロリと見た。まあマニアだらけの列車でしたからな。かくかくしかじか伝えると「それでは宿で落ち合おう」となり、氏は上野から昼頃の〈あさま〉で長野に入ったようだ。私は14時台ので長野入りしたが。それでこの宿の部屋で落ち合ったのです。

今回の部屋はその部屋の隣、記憶通りなら部屋が空いているからと布団を敷いてくれた部屋だったように。



通りに面した部屋でこたつが用意されている。まず浴衣に着替え、こたつに入りお茶を飲む。なんだか冬の旅館の醍醐味な気もします。少し休んでから1階の風呂へ。



今夜は平日ゆえ私のみ、貸切です。どんな閑散期でも自分以外泊まっていない宿は初めてだなあ。



洗い場は3つ、4人も入ったら一杯な浴槽。これでいいんです、露天ぶろなど無くてもジャグジーが無くても泉質が良ければ。だいたい私が子供のころなど、露天風呂のある旅館なんて高級旅館くらいでしたよ。ここの源泉そのものが熱いので、ある程度覚悟して入りましたが、体が冷えていたのか、それとも源泉自体が冷えているのかまあ丁度いい温度。

夕食は18時半に部屋に運ばれました。



なかなかのボリュームです。



岩魚と鱒の刺身



岩魚の塩焼き。薬味としてネギミソが添えられていてつけて食べるんでしょうが、これ自体酒の肴にもなります。たで酢が…と一瞬思いましたがあれは鮎でしたね。



ごぼうの肉巻き、茄子、玉ねぎのソテー。玉ねぎには味噌が。



しめじやまいたけなどを油でさっと揚げ、大根おろしがあしらわれています。



天麩羅は4点。



鍋はキムチ鍋。かえって気取っていなくていいです。飲みものは瓶ビールを。実はスーパーで350ミリの6缶パックを買って持ち込んでいますが、食事時に飲み物を頼むのは”最低限の礼儀”です。ほかの宿でレストラン食の時など周りを見ていますと、「お飲み物は」と聞かれて水とか番茶と言うのはどうかと思いますよ。そういう客が増えるから宿泊施設は儲からなくなるのです。元宿泊業従事者の私の意見です。それでだらだらと1時間近く飲みながら食事をし、電話で食事を頼みます。



御飯と一緒に牛のサイコロステーキが。あとから御飯のおかずとして出てくるのは珍しいですよね。汁物もきのこの味噌汁。よそだと吸い物だったり赤だしだったりしますが、あれはあれでいいが信州なんだもの、きのこ汁のほうがいいです。



「頂き物なのですが、銀杏を煎ってみました」こういうのも何となく嬉しい。海老や蟹など見栄えが豪華なものは一切ない。そんなもの山の中の温泉宿で要求するとしたら馬鹿だ。だがどうみても100%手作りなのが分かる。こういう質素ながらも質のいい食事が一番なのではと思います。

そういえばあの時の夜は鍋がメインだったと記憶します。料理を運んできた女将に種村氏が「おすすめの地酒は」と聞くと「私、飲まないから分からない」といい「実に正直だ、飲みもしないのに聞いただけの知識で説明するよりも」と言っていたのを思い出す。その種村氏は食事途中で沈没して眠ってしまった。その時の寝顔が何とも凄かったのでデジカメで撮影したんです。今でもその画像はありますが、故人の名誉のため公開はありません。