馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

今日はあいつの命日、麻央さんの旅立ちに涙する。

2017-06-27 09:37:38 | 日記

6月25日(日)

今日は、あいつの命日だ。

2010年6月25日に谷津干潟の芦辺畔の病院で

食道癌との闘いの末旅立った。

 

毎年 二度 木下街道を往復30キロの道程を徒歩で墓参した。

 

去年12月29日 墓前に

「俺も癌になったと伝えた」

 

逝った歳月 61歳独身 両親既に他界。

遠くに妹様がシングルマザーいるだけで

他に親族はいない。

 

今日は雨空だ。

小線源治療後、体力低下を防ぐために

6月からは、毎日約10キロ歩いた。

しかし、30キロを尿漏れパンツを履いての

歩行は難しいと判断。

電車に乗ることにした。

 

午後1時19分 住宅に囲まれた墓地の坂道を下る。

初富共同墓地1

坂の終わり、戸建てとの境の墓前に佇む。

萎れかかった生花があった。

墓石のてっぺんに日本酒、ビールを注ぐ。

墓群の斜面を見上げる梅雨空は

湿気が衣服にまとわりつく。

風もなく、卒塔婆はじっと

侵入者が何者かと窺っているようだ。

 

初富共同墓地2

私も酒とビールを墓前に立ち飲んだ。

30分程、ぼんやりと飲みながら瞑想。

 

先日 乳癌で旅立たれた小林麻央さんの苦闘

悲しみを想像した。

 

孤独に看取る家族もなく旅立った

同期の1年余の苦闘の戦いにも想い馳せた。

 

癌を身近に感じたのは、20年前

山岳部同期が、脳の癌を発症して51歳で亡くなった時だった

 

その後、近くに住む元合気道部主将であったあいつが

食道癌発症を知り、妻と手助けしたが

身内ではないので限界があった。

 

そして、2010年10月

妻が子宮頸癌発症告知される。

放射線による7年間の治療。

昨年晩夏 完治

 それから 2016年12月28日

私が前立腺癌発症を告知される。

 

2017年4月5日

放射線による小線源治療をした。

 

小線源治療後、経過をブログに綴った。

人間辞めたくなる副作用もあったが

ゆっくりだが快復に向かっている。

 

既に8年間 癌治療を身近に接してきた。

これからも、長い年月、癌とつきあわなければならない。

 

小林麻央さんの闘病ブログ

日々 TV報道される病状経過と

余命旦夕迫る麻央さんが家族の絆を

互いに糸を半分握って見詰めている。

 

人々は麻央さんの残酷な悲劇の死に涙した。

 

20年前 

山岳部同期が、劫火に包まれる瞬間

夫人が私も一緒に焼かれたいと飛び込もうとした。

泣き叫ぶ夫人をしっかり抑えた。

私も堪え切れず涙した。

 

2010年6月27日

荼毘に付したあいつの遺骨を見た瞬間

涙は抑えられなかった。

  

麻央さん、子供を抱きしめること叶わず。

私も放射線治療により

孫を抱きあげること叶わず。

 

同期は、遺漏で会話も出来ず

たった一人の妹と私と二人

最後、「看護婦さんから、手を握ってあげてください」

妹さんは右手、私は左手を握った。

握りしめる私の指に電流がかすかに伝わる。

瞼が少し動いた。

別れの時が来た。

私に突きつける現実を思い浮かべ

芸能界の人で、TVで見るだけの麻央さん

涙が止まらない。

 

三途の先、優しい方々が待ってますよ。

ずっと後から、家族が笑顔でやってきます。

それまで、待ちましょう

 

備忘録

谷川岳の山間で客死した親父は、7歳の時、母親が死んだ。

 

死を迎える瞬間、3歳で亡くなった弟の名前を呼んだ。

「タケオが迎えにくる」。

最後の言葉だった。