馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

湖底に沈んだ中学校を回想。

2018-09-24 20:38:51 | 日記

9月23日(日)

小田急線本厚木駅前から

宮ケ瀬行きバス発車は10時40分。

駅前に着いたのは9時。

あんちゃんは、10時頃に来るとの連絡

途中車内で、早く到着するラインメールを送る。

「早すぎる」

 

本厚木駅に下りたのは、いつのことだろう。

記憶の限りでは高校生の頃。

駅前は、小さな商店が散在する

正しく田舎駅だった記憶。

今の姿は都区内の駅前と変わらない賑わい。

前夜から飲食物を摂取していないので

駅前ロータリー横の立ち食い蕎麦で天麩羅蕎麦を食べ

ATMにて少額引き出す。

駅前をぶらぶら。

9時40分 あんちゃんからライン。

「改札に着いた」

宮ケ瀬行バスは9時40分がある。

発車ギリギリで駆け込む。

車内はぎゅうぎゅう。

川遊びする子供連れ団体。ハイキングカップル。

登山姿の外国人青年。

バスの中で兄貴と会話

兄は言った。

50年前 宮ケ瀬行道路は舗装されず

石ころだらけの沢沿いを、うんうん唸りながら

登り60分かかって学校に着いた。

雪が降ると、教師は交通手段が絶たれ止もう得ず休校になった。

 

今は、舗装された道路をマイカーが続々走り

若者がヘルメット被り、強靭な足腰を伸縮させ自転車で登る。

バスは自転車と接触危険を避けるため

ゆっくりと自転車の後に従う。

50分程 バス停 土山峠に着く。

下りたのは、私達二人と欧米系外国人青年。

青年が地図を見てルートを探しているようだ。

私達に訊ねる。

物見峠を越えて辺室山を経て大山」に登る。

行程は8時間。

ハードで危険個所もある。

注意を促すが

「大丈夫」と言った。

30代前半と思われる

筋骨逞しい青年は、短パン姿で

急登の樹林に踏み込み見えなくなった。

以前 高松山登山でも、ドイツ人男性が

一人登って来るのに出会った。

日本は昔から信仰登山であったが

欧米ではトレッキングとして自然豊かな山岳を

歩き楽しむ。

 

私達二人も時間があるので

物見峠まで登ることにした。

取りつきは急勾配。

前日来の豪雨で土は雨をたっぷりと溜め

靴底が滑る。

痩せ尾根を慎重に歩む。

兄貴より遅れ気味。

 

悪路と言うより荒れ道だ。

落葉が腐葉土となり、厚い絨毯のような弾みがあり

更に落葉が覆い、豪雨で地面は緩み

登山道はかすかな痕跡があるのみ。

両側は切たち、滑落すると死亡までいかないとしても

かなりの負傷になる。

1キロ程登って断念する。

長い登山歴のある二人だが

73歳と71歳にはでは、体力気力は追いついていかない。

 

足元のスリップを細心の確認ステップで下山。

再びバス停に戻り、舗装道路を宮ケ瀬湖に向けて歩く。

峠を乗り切ったところで、宮ケ瀬湖が見えだす。

兄が言った。

「水嵩が低い」

暫く歩いたところであんちゃんが立ち止まり。

湖面を指さす。

ここに50年前、神奈川県唯一の村。

村立中学交があった。

その後宮ケ瀬渓谷にダム建設となり

中学校小学校は湖底に沈んだ。

 

兄は50年前、最初の赴任地が

当地の中学であった。

生徒数60人

専門は国語であった、教員が足りず

英語と体育も教えていた。

 

遠くなった想い出を引き寄せるように

湖面を見詰めていた。

湖面は波もなく、碧であるが水底深く黒が深まり

怨霊が宿る棲家のようだ。

魚などが回遊しないのか、鳥が舞うこともなく

不気味に静寂。

教え子達も還暦になり、亡くなっているのも多いらしい。

 

兄はその後都立高校の国語教師となり

転じて大学受験予備校講師として古文を担った。

 

「あんちゃん何故に退職したんだ」問いかけた

「学校卒業してまだ若く、教師としての志と野心があった」

「寒村で田舎教師として終わりたくなかった」

教育者として波乱の生き方であった。

様々な生徒を教えて、今想うのは

一流大学に合格させる教育ではなく

もっと地域に密着した教師として

多様多感な生徒の個性を育てる教育をしたかった。

兄は言った。

「国語、英語、体育の連続に続く時は

野外で科目勉強を離れて

生徒を引率して野山で遊んだ」

湖面と周囲の山々を見詰めながら

悲し気に呟いた。

湖面沿いの道を歩き

新しく建設された新校舎を見た。

ダム建設にあたり、住民への補償として

高額なお金の支払いがあり

立派な住宅が立ち並んだ。

しかし、保証金では、様々の争いも生じた。

 

私も卒業して乳業メーカーに入社。

新入社員代表として、答辞を述べた。

しかし、牛乳屋になれず

三か月退社。

少年は将来に夢を抱き

青年になり志を胸に秘めて社会という

娑婆に出てゆく。

しかし、挫折 挫折を繰り返し

打ち砕かれ幻想を知る。

老いて、自らの内実を知る。

平凡で地味な暮らしこそ

自分の能力限界を悟る。

 

吊り橋を通り茶店が並ぶ通りに着く。

 

教え子の関係していた旅館で食事することに。

特大生ビールと地酒

地産の野菜料理で喉の乾きと胃袋を満たす。

 

バスに乗り本厚木駅に17時半着。

駅前の日高屋で生ビールとおつまみで仕上げ。

 

18時10分 私は小田急新新宿行乗車。

兄は反対方向に乗り鶴巻温泉下車する。

車内7は混雑していて、新宿まで座れそうもないので

海老名駅で相鉄線に乗り換える。

横浜駅ウ行急行に乗る。

途中 実家のある三ツ境駅を通過。

実家にいた頃は、丹沢には近かった・

横浜駅から横須賀総武快速線に乗り

船橋駅下車。

21時半 自宅着。

本日、想い出のハイキングであった。

 

中国の諺
幼き時、物事知らず
老いては白髪老人、体弱く
若い頃 青春は一瞬の光芒か

若い頃 人間が体苛め
老いては 体が人間苛める。

残るは 残影のみ!

テネシーワルツ パティ・ペイジ 聴き比べ