marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(600回) 人知に及ばない神の摂理について

2019-11-02 18:00:00 | 手紙

親愛なるJへ

◆僕らは西欧の神という言葉の概念を思い浮かべるときにイエスのこと(聖書)という西欧の言葉宗教といわれるそのまま読めば無機質な、あるいは今も行われている中東での女性軽視の部族長の争いの停止を促す、西欧のメディアによる啓蒙?、ひいては哲学や科学、その他もろもの学問に影響を与えてきた「言葉の神」をすぐに思い描いてしまうのではないだろうか。僕が思うにそれは、神が人の世界に神そのものを考える言葉を与えられて、人自らの世界を自らで開拓して前進するようにともとれる神の摂理であったといえば言えなくもないのではないかと思ってしまう。

◆自分で世界を切り開き、責任は自らの頭の上に被るのだぞ!という役割を人に与えられたのだということ。そして、時代は下り、今では瞬時に地球の裏側の事柄が知ろうと思えばわかるようになって来たということである。だから、人に係わるすべての学問が、神学から始まったということは、人が言葉というものはまず第一に神のことを考えるということに置かれたわけだ。フランスのパリ大学、イギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、アメリカのハーバード大学などはみんなそうだった。「神を畏れるは知識の初めなり」とう聖書の言葉が定礎に刻まれている。

◆人という生き物は弱いもので、言葉で表示されるとそれが文字に固定され、今度はそれが人を拘束していくものだという段階を踏んでステップbyステップという具合に向上していく。世界がここまであらゆる人に周知されてきているということは、新しい時代にとうに突入しているということだ。さて、先の手紙の追伸といえばいいいか・・・文字に残されていないことはすべてないことになってしまうのだろうか。しかし、信仰というものはそれが本物であれば永遠を求める者にその顔を表すものなのだろう。

◆「沈黙」についての時代背景を思う時、神がおられたのだろうと思われるのですよ。フランシスコ・ザビエルどころかもっと古い時代この国が形成されるかどうかの時期にこの国にはキリスト教が持ち込まれていたのですよ。江戸時代多くの殉教者を出しながらも、あの時代、スペイン、ポルトガルのキリスト教をこの国が鎖国として受け入れなかったのは、神の摂理であったと思われませんか。国家の植民地化が背後にあってそれらの国は来たのですから、しかし宣教師たちは純粋だったにもかかわらず、無論、ふとどき者の宣教師もいたのですが、大陸での受け入れてからの困難をこの国の為政者は知っていたのです。フィリピンという国名がどこから来たかを調べるまでもなく、この国は日乃本として守られたのですね。

◆当時の世界情勢を知っていた太平洋を渡り、遭難して日本国に流れ着いた徳川家康のブレーンとなった、ウイリアム・アダムス(日本名で三浦按針となった)イギリス人のことをよく思い出すのですよ。遭難して多くの犠牲者をだしながらも、当然、彼は船乗りだから当時の自国やヨーロッパの情勢を十分知っていたのです。宣教師を送った国がどんな国かも・・・。彼はプロテスタントなのですね。彼は多くの家康に多くのアドバイスを求められ大型船まで作ったという。外国船の出入りが三浦半島をとおるのでその水先案内を仰せつかる旗本になったから三浦按針と日本名を名乗ったそうです。 ブレーンといえば、東京八重洲に土地が与えられた名前となったヤン・ヨーステンもいましたね。いずれ神は、人の目にではなく神ご自身に誠実であるかを見ておられるのでしょう。

◆三浦按針は、帰国もしたかったのでしょうが、その後イギリスが来ても結局、日本に骨をうずめたのです。彼の日記には「神は試練をお与えになったが、それ以上の多くの恵みを与えてくださった」と残されているそうです。これが真のプロテスタントです。人知に及ばない神の摂理ということを僕はいつも思うのです。・・・

 


世界のベストセラーを読む(599回) 親愛あるJへの手紙(その2)-法然・親鸞・秦氏(八幡の神)僕は嬉しかったですよ!

2019-11-02 11:37:26 | 手紙

親愛なるJへ 

故、井上洋二神父が「南無アッバ」という本を出版されておられたことが気になっていました。「南無」というのは仏教で墓石の表にも刻まれるもので「帰依します」という意味です。「アッバ」とはキリストが天の父なる神を呼んだ「父さん(お父ちゃんという意味合い)」という言葉で、「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏」に「帰依します」とう意味になりますが、「南無アッバ」とは「天の父なる(イエス・キリストの)神に帰依します」という意味になりますね。

◆共にフランスに留学していた「沈黙」を書いたあの遠藤周作と日本の帰路船上で、日本の国にイエスのことを伝えようと誓い合った話が残っています。神父は、何とかこの国にイエスの福音の言葉を定着させようと、キリスト教に類似している浄土宗を流布し、その弟子の今でもキリスト教に似ている教えであると言われる浄土真宗の親鸞がいるが、その師である浄土宗「法然」について述べているのですね。親鸞の起こしたキリスト教に似ていると言われる浄土真宗、僕はとても気になっていました。そして、神父が取り上げてこの国にイエスの言葉を宣教しようと選ばれた「法然」その意味合いのルーツが知りたかったのです。

◆「沈黙」という映画を見た感想はすでに過去のブログには書いたのですが、遠藤は「この国への宣教は泥沼に(福音)の種をまくようなものでみな腐っていく」というようなことが述べられていたが(このことについては、又、書きたいです)、宣教という業(わざ)も結局、なにがしかの時代であろうが、人であろうが、”しがらみ”にまとわりつかれた人の行いであるので、これから逃れることはできないことをイエスの言葉からくみ取ることが必要でしょう。(「すべてを捨てて私に従え」といういうような厳しいイエスの言葉も、実際に物体的な廃棄というより、信仰の面で、その”しがらみ”からの離脱を意味することの深層的意味からの言葉なのであることは確かなことだと僕は思っているのです。「自分の命まで憎んで、捨てて・・・」とあるのはそういう点から現代では読み取ることです。こういう厳しい言葉は実に深い意味があると思っているのです。そういう”しがらみ”をすっきりしないために実の多くの思い煩いを引きずって「霊的意味合い」から多くの事件が起こったりすることか!)

◆浄土宗は中国で「善導」が述べ伝えたのだと言われますが、当時の中国は、実に多くの宗教があってその真髄を彼が悟りを開いてまとめたものだろうと思っています。(中国には景教と呼ばれたキリスト教も伝えられていたのですから・・・大乗仏教とはそもそもお釈迦さんが語った狭いものから、いろいろな教えがコンデンスされた教えですべての人に救いが開かれたものとなったのはご存知の通りです。)

◆僕は、やはりか と納得がいったのですよ。今までブログに「八幡神社」や日本中のいたるところの地名に「八幡」というのが何故あるのか、それは古代に大陸からの渡来人である「秦氏」が伝えたものだと書いてきました。僕はいつも「本から入るのではなく、疑問から入ります」のでその発見はとても嬉しかったのです。秦氏は旧約聖書時代、失われたイスラエルの10部族で東へ向かい日本までたどりついた非常優れた多くの技術集団だったと言われているのですね。法然の父、漆間時国(うるまときくに)という方は、もともと渡来人の民で「秦氏」に属していたとうことなのです。ジャジャーンでしょ!(「新撰姓氏録」による:弘仁6年(815年)、嵯峨天皇(786~842年)により出された。)

◆旧約聖書:申命記28章36節、新約聖書:エフェソ書1章3節~14節をお読みください。僕らには簡単に知りえないが天地万物を創造され、人をも創造された神がおられ、この世界を動かされているのだろうなと改めて思わされたことでした。・・・ Ω