marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

哀悼!(その8)大江健三郎:『性的人間』

2023-04-13 16:52:32 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 現代作家の中で大江ほど一作ごとに思想的冒険をこころみる作家はいない。『性的人間』とはショッキングな題名だが、セックスの世界にしか自己の生存の条件をきわめることができなくなった人間たちの、寓話的小説である。大江の書く性の世界には「性が文学の最後の開拓分野だ」というノーマン・メイラーやヘンリー・ミラーの思想と共通したものがあるが、それ以上に現実世界とは切り離された観念上の探求がある。『性的人間』書評(産経新聞38・7・22)

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そもそも、サルトルの実存主義とは、行きつけば動物として生きる人の肉体からの思考、意識、無意識如何のその言語化を用いた解体であったように思われる。それは、誰しもがこの人の種としての肉体を持ち、それにかかわる環境から影響を受けて、無論、親からのDNAをもとにしたものであるのだが、それらに自分の言葉で自らの実態を解明を試みようとすれば、まさにサルトルの作品のハキケ(『嘔吐』)になるのは推察できるように思われないか。

実存主義とは、そもそもあのデンマークの哲学者キィエルケゴールから来たと言われ、実に宗教的なことがらだった。

『己自らを見よ!汝、死すべきを。』 

冬の暗い北欧の空のもと、猫背ぎみの彼が親から受けついだ憂鬱気質と、環境によって当時の宗教界の個々の自己の実態の課題を宗的あいまいさでごまかしていると思われた宗教界と厳格な父親の背後の隠れた不安に痛烈な批判を浴びせかけたものだった。実のところ彼は、霊的不安との格闘をしていたのだというふうに僕には見てとれる。

それが時代を経て、その不安さえも人の言語による解析、つまり言語による意識化によって分析し、人とは何たるかを抑え捉えようとする作業を強いて行おうとする作家たち。まさに、当時は『性が最後の開拓分野』と言われるような時代でもあったのだが、そこにはどうしても『霊的異界』の分野への挑戦が現れる。異界の世界への不安への挑戦。

世的には性に対する禁忌事項が内心より興味をもたらすように。しかし、それゆえに内心、人の『霊』は実はそれを大いに拒絶している。さらには、『霊』は強制的にも実際として仕返しをして反省を強いる。

最後の領域は人という種が言葉を持つという悲しさ故にそれさえも言語化せよと『霊』に促されたのが彼の『個人的体験』であるのだと僕には思われる。従って、彼は、当然のごとく世界の作家の引用から、命の救済に向かわざるを得なくなる言葉を探さざるを得なくなるのであった。

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この時代、吉本隆明の言葉について評論や岸田秀の性的幻想論も読まれた時代であった。しかし、幻想領域の言語意識化が行われ続ければ、非常に生きにくい時代になってくると言えるのではないだろうか? 自己を見つめた吐き気を凝視できる人間はそう多くはないだろうから。・・・