のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

人の縁見えない力引き寄せる

2017年07月24日 07時21分45秒 | うたごえ

信州の天竜川の上流地域に高遠があり 伊那市がある

私が小学校の1~5年半ばまで 父母の故郷と言っても ここからかなり山奥に住んでいた

電気もガスも水道も無い ランプの生活 バスも見たこと無い 山を越えて私が石油を買いに行く

 

小学校4年頃 初めて伊那に遠足に行った もちろん徒歩で行くのである

伊那の子どもたちは 私たちを見て 『うわ~い 山猿が来たぞ~』とはやし立てたものである

天竜の支流 三峰川で昼食 お弁当を持たない私に 先生がそっと呼んで分けてくれた

 

成人になってから その伊那や天竜川を訪れた 何も幼い記憶が無かった

河の堤防に 昔 流行った 『伊那の勘太郎』 歌碑があった 歌は姉たちが歌って私でも知っている

後年 伊那の市役所敷地内に 『水色のワルツ』 の歌碑が建てられた

 

伊那市役所 写真はお借りしています 上の写真の地面に五線譜 わかりますか?

 

地面には五線譜 そして変わったモニュメントは C調の記号である

作曲者の 髙木東六 は且って疎開で伊那に来て7年間過ごし 曲の構想を練った所以である

音楽活動を期せずして始めた私 今は好きな歌は?と聞かれると あざみの歌 水色のワルツである

 

もっとも歌うのが あざみの歌 であり ピアノで弾いて好きなのが 水色のワルツ なのだ

私の故郷にその 水色のワルツの歌碑が出来 同じ信州の八島湿原には あざみの歌の歌碑がある

音楽が引き寄せる不思議な力 時々 災害から護られる私に 歌の縁も大きく拘わって来るのを覚える

 

添乗員時代 一般の募集ツアーであったが 作詞家の 大倉芳郎 さんが友人と参加してきた

得意のハーモニカで 皆さんに共鳴されている時に その友人が この人を知っているかい? と聞く

赤いランプの終列車 山のけむり の作詞者だよ と紹介された

 

 

赤いランプの終列車 は知っていたが 山のけむり は知らなかったのである

その後 大倉芳郎 さんの訃報を聞いたが 間もなくコーラス団体の添乗を係から依頼された

なんと事務局が 大倉芳郎さんの娘さんであった あまりの奇遇に喜び お父様を乗せたと報告した

 

コーラス指導は中田順子さん 大倉芳郎さんの娘さんも歌う

 

それも団体の成立には 髙木東六 さんが関わり 時にはザルツブルグ音楽祭などに案内したと言う

コーラスの指導者が あの 早春賦 の作曲者 中田章さん その方の姪にあたる 中田順子さんである

現役のオペラ歌手でもあり この練習所が クラツーの地下ホール これまた驚きである

 

自分の勤める場所で コーラス練習をしている団体 大倉芳郎さんの娘さん 髙木東六さんの創立!

そして また驚きが 団体の行先 のメーンは 大倉芳郎さんの 山のけむり 歌碑を訪ねることだった

バス車内にキーボードを積み込んで 私の伴奏で いろいろの歌を歌った 

 

オペラ歌手や ピアニストも乗られている団体 臆せず゛に私は トークとキーボード伴奏である

後で 中田順子さんに 下手な伴奏で申し訳なかったと素直に謝った

彼女曰く 素敵ですよ 揺れるバスの車内でキーボード弾けるのは あなたしか居ない特技ですよ

 

懐古園のある小諸 その近くに千曲川に小諸大橋がある

この橋のたもとに小さな公園があり ここに 山のけむり の歌碑がある

キーボードを降ろして その歌碑の前で 山のけむり を全員合唱をした

 

 

山のけむりのほのぼのと たゆとう森よ あの道よ 幾年消えて 流れ行く

想い出のああ夢の一すじ 遠く静かに 揺れている・・・・山のけむり・・ここから浅間山の噴煙が見える

次々と 歌の力で私に引き合わせる そう うたごえの仲間も同じであろう

 

東京・代々木 古賀政男記念館

 

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