のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

向こうでも バンドを組もうか 待ってろよ

2017年11月08日 09時44分49秒 | うたごえ

告別式の弔辞は私が書いた 読みあげるのはバンドのギター担当に任せた

普段は 早口になりかねないから 事前に ゆっくり読めよと指示をする

以前の会社の後輩でもあるか゛ 結成時からのメンバーである

 

祭壇の写真にに向かって 読み始めた途端 一辺に哀しみが込み上げたか嗚咽交じりになった

私が読むより感情表現が出来て良かった

故人の歌を愛し バンドの活動が如何に心を占めていたかも家族 御親戚に伝わっただろう

 

故人はドラム担当 演奏している姿は一番楽しそうであった

愛用していたドラムのスティックを棺に捧げた

向こうへ行っても ドラムを叩いて 私たちを思い出せよ

 

家族が用意して展示してあった楽譜 「ベサメムーチョ」 数少ないポピュラーレパートリーだ

バンドスタート時は軽音楽部と名乗って 会社の補助金も得て楽器など整備したものである

ところが活動で依頼される出番は 殆ど演歌であったから オープニングに演奏したりした

 

告別式で私のキーボードによる歌の伴奏 この「ベサメムーチョ」 を最初に演奏した

“バンドで各曲の演奏の始まりは ドラムのスティックでカンカンと叩くのですよ”と説明した

続いて 「ああ上野駅」「旅の夜風」「青い山脈」をプロジェクターで歌詞の画面を出す

 

棺にはドラムのスティックがある 今にも “俺がドラムを叩くから”と言いたそうだ

そして 彼の大好きな歌の数々は 北島三郎のものが多い

『函館の女』 急きょ プロジェクタへに入れて貰い これを演奏した

 

“彼は ドラムも叩くが 歌はお世辞では無くとても上手でした”と前置きした

公式にこの曲を演奏するのは初めてであり 今後もリクエストは無いだろう

ご家族 御親戚の皆さんが涙ぐみながら 歌を歌ったり想い出に耽っていた

 

 

いよいよ最後の別れ 棺に花を入れ蓋をする直前 どうぞ皆さん最後の挨拶を故人にと言う

奥さんや 姉妹の方が泣きじゃくりながら 言葉を掛ける 思わず貰い泣きしそうになる

私も声を掛ける 「向こうで待っていろよ 後で行くから またバンドを組もうよ」

 

奥さんが涙顔で涸れに声を掛ける 「まだ 連れて行っちゃだめよ こちらで活躍して貰うのよ」

そうだね また私が声を掛ける 「もう少し こちらで活動するから 待っていろよ 今まで有難う」

火葬場でほんの少しの時間 奥さんや姉妹 義弟の方 息子さんと会話が出来た

 

タイ旅行に一緒に行かれた方ですね と私に言う

そうなんですよ 外国へ行くのは絶対に嫌だと駄々をこねるように半年も言っていたんですよ

ところが強引にご夫婦を連れて行ったら すごき楽しかったと見えて 結構長く余韻を楽しんでいた

 

会えばずっと 興奮するようにタイの話をしたりビデオを見続けて居たりする

続いて 台湾一周旅行にも連れて行った 海外の旅は強い印象として残っているだろう

彼本人は 会社の同僚たちと 良く飲み会や親睦旅行に行っていた

 

 

しかし 奥さんとはあまり旅行はしていない

そんな彼を私は誘いだし 車でドライブも数回連れ出した

自宅まで迎えに行き 自宅まで送ったのですよと 皆さんに話した

 

 

房総や箱根など ご夫婦で楽しんでおられる顔を見るのが私は嬉しかった

彼のふるさとは 秋田県の横手市 奥さんも同郷である

添乗員で何度もこの方面に行きましたよと言うと 今度 横手に来て寄って下さいと言われた

 

 

今日の午後は 介護施設の歌の訪問がある

そして明日は 下町のうたごえ 本所地域プラザでの開催

なんだか慌ただしく 心身少し疲れたが 平常に切り替えて行かなければならない

 

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