虹のじ ゅもん

当ブログを訪れた人には「夢が叶う」という呪いがかかる。

猫をかわいがったら呪いはさらに強力になるであろう。

発芽率八十パーセント

2024-02-03 | エッセイ
 夏になると思い出す風景がある。
 二十代後半、友人に誘われてひまわり迷路に行った。いつも以上に暑い夏で、こんな時にわざわざ道に迷いに炎天下に行くバカがいるかと思ったが、ケガのために夢を断念して新しい道を模索している彼女の誘いを断る冷酷さなどあるわけはなかった。二十四歳の友人より年上だったが、私も挫折や諦めた夢、まだまだやれるような、今が踏ん切りどころのような、いくつかの問題を抱えていて、適格なアドバイスはできないと思った。だから、道に迷いながら思いのたけをすべてはきだしてもらい、それを受け止める夢の焼却炉にでも、ゴミ箱にでもなるつもりだった。
 友人の車に乗せられて行った先は野菜の即売所で、ひまわり迷路は即売所に隣接する畑の持ち主が子供の遊び場として趣味で作ったとのことだった。
「サッカーコート二つ分ですって」
 友人が言った。
「…倒れないようにしなきゃ」
 迷路は片手を壁につけて歩いてゆけば必ず出口につくものだと知っていたが、そういうことをするために来たのではなかった。
 友人が先に、私が後に続いた。並ぶには少し狭かった。
 中に入るとみどりの匂いに包まれ、近くに人がいるはずなのにその気配が消えた。
「意外に涼しいですね」
「ひまわりの日陰だからかな」
 なんとなくしゃべりながら歩く。身長百七十をこえる友人よりもはるかにひまわりの方が高いせいで迷路の中は日陰になり、ときおり吹く風は涼しかった。二人ともほとんど口をきかなかった。子供達がときおり、私達をぬかして行ったり、戻って来たりした。
 蝶が舞い、蜂が耳をかすめ、足元にはトカゲが走りまわる。羽虫が群れをなして飛んでくるのを手でよけながら歩く。
 小一時間もうろうろしただろうか。ようやく迷路から出ると、即売所でトマトやきゅうり、キャベツなどを買って、
「堤防に行きませんか?」
と友人が言ったのでそのまま堤防に行った。並んで座り、二人同時にトマトにかぶりつく。濃い味がする。
「トマトって、冷やさない方がおいしいよね」
「これ、朝採りって言ってましたね」
 ここは、高校時代に同級生と座り込んではおしゃべりをした場所だ。海のない地方出身の友人は、最初につれて来た時、
「堤防って座れるんですね」
とか、花火の季節には、浜で打ち上げる花火を見ながら、
「花火の向こうに岸がないんですね」
などと、私にとっては当然のことに一つ一つ驚いていた。それから時々二人でこうしてここに座ったが、一人で来てぼうっと海を眺めることもあるそうだ。実家までほんの二時間ほどだが、元旦以外帰ることはないらしい。
 満ち潮で堤防のすぐ下まで波がきていた。波の中に大きな海藻が揺れていて、小さな海の生き物がうごめいているのが見えた。
「あっ」
 私の帽子が風にさらわれ、波に落ち、どんどんと沖に流されてゆく。
「あららあ、気に入ってたのに」
「どこまで行くかなあ」
しばらくして、友人がポケットから即売所で買った小袋を取りだし、
「ひまわりの種、来年用。半分こね」
と、ティッシュペーパーにざらざらと種を出し、くるんとまるめて私の膝に置いた。
「来年か… ひまわりの種は春植えだっけ」
 私の問いには答えず、彼女が言った。
「発芽率八十パーセントですって。二十パーセントは芽をださないって、…多いのかな、少ないのかな」
「え…」
 彼女は海を見つめたままひまわりの種の袋をポケットに無造作に突っ込んだ。
「芽を出さない種だって意味はありますよね」
「もちろんあるよ、絶対にあるよ」
「芽が出ても、花が咲かないこともあるし、実を結ばないこともある。全部意味がある」
 友人はひとりごとのように言った。
「もちろん、そう。…百パーセントなんてないよ。ダニスプレーも、九十九パーセントダニ除去って書いてあるよ、百じゃないとこが正直って思うし、一パーセントは大切なんだよ、絶対に」
「ダニスプレー? はははは」
 友人がようやく笑った。
「百って言われると嘘つけって思うけど、九十九なら、まあ、いいかなって思う」
「ですね。その一パーセントは重要ですよね」
「…おこることすべて重要なんだと思う」
 自分に言い聞かせるように答える。
 海が波打っている。
 私の帽子はとっくに見えない。

(第62回 岐阜県 大垣市文芸祭 佳作)



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またね

2022-03-01 | エッセイ
またね       『第55回多治見市文芸祭エッセイの部市長賞受賞作品』   

 大学三年の夏の終わり、大学に戻るため郷里の駅のホームに行くと、高校の同級生に会った。同じクラスになったことがないため、顔見知り程度だったが、懐かしくて大学生活や卒業後の未来のことを話した。
 文学部に進学したという彼女は、『赤毛のアン』が似合いそうないかにも文学少女という雰囲気だった。
「私、童話作家が夢だったんだ」
と言うと、理系に進学した私がそういう夢を持っていたことに本当にびっくりしたようだった。私自身、親しいわけでもない彼女にそんな夢を打ち明けたことに戸惑いを感じていた。ツクツクホーシが勢いよくなきだし、続いて潮の風が吹き、互いの髪を舞い上げた。
「この潮風ともしばらくお別れ。住んでいる時は気にしていなかったけど、東京でどっちを見ても海がないとなんだか不安な気持ちになる」
と言うと、彼女もうなずいて言った。
「どこに行っても人ばっかり、ゆっくり考える場所がないよね」
「このあたり、東西南北のかわりに海側とか山側とか言うんだよね」
 駅にも海側口と山側口があった。海側口を出て三分も歩くと海、山側口を出ると町だった。町と言ってもさして大きな町ではなく、正面に山が迫っているから山側口だ。私達の卒業した高校は神峰山(かみねさん)のふもとにあったので、校歌や応援歌は、神峰(かみね)の山、で始まっている。卒業した中学は海まで数百メートルの場所にあったので、日立の海、で校歌が始まっている。
 海辺の町だけあって、夏は涼しく、冬は暖かい。郷里が嫌いで飛び出したのではなく、勉強をするために東京の大学を選んだのは彼女も私も同じだったと思う。
 突然、後方からメロディが流れてきた。
 同時に振り向くと、小学生らしい女の子がオルゴールを開けていた。
「…トロイメライ?」 彼女が言い、
「シューマンだった?」 私が答えた。
 メロディが終わる頃、電車が入って来た。こんでいたため近くに席をとることはできず、
「またね」と言って別れた。
 彼女も「またね」と言った。
 トロイメライは千八百三十七年頃、ドイツ人シューマンが二十七歳の頃に、愛らしい小品として作曲した曲の中の十三曲をまとめた『子どもの情景』の中の七番目にあたる曲で、トロイメライは、夢をみること、夢想、という意味だ。
 千八百年代と言うと江戸時代中期、それから現代までそして未来にもきっと受け継げられるだろう名曲が電車に乗っている間中、心の中に流れていた。限りない未来のある私達の旅立ちにふさわしい曲だった。
 社会人になって数年、高校時代の友人と久しぶりに会って食事をしている時、ふと、彼女の話題になった。
「ミッキーがすごくきれいになっていてビックリした」
 友人が言った。
「前からかわいかったと思うよ。ミッキーっていう愛称が似合ってたもの」
 私が言うと、
「前は髪に隠れてよく顔が見えなかった」
 友人が答えた。
 そうだった。恥ずかしがりやで丸顔を気にしていた彼女は伏し目がちな上、長い黒髪で両の頬を隠していた。卒業後の進路は友人も知らないようだったが、明るい表情から充実した人生を送っているのではないか、と言った。二十代の私達は悩みや苦しみはあってもいつかは乗り越えることができる充分な未来があると思っていた。
 その日、初めて彼女のフルネームを知った。特徴的な姓だったので、確認するとやはり恩師の一人娘だった。
 数日後、ふと思い立って、海辺に行った。高校時代、電車やバスを待つ間に一人で、あるいは居合わせた友人とおしゃべりしながらよく行った場所だった。たまたま同じように時間をつぶしている男子と二人で話していたら翌日、付き合っていると噂をたてられたり、友人同士のカップルに鉢合わせしてお互い慌てたりした。
 いろんな友人知人とすれ違った。ミッキーともそんな出会い方をしたのだろう。
 女子の少ない高校だったので、同学年の女子は顔見知りが多かったが、男子となるとまるっきりわからない。渋谷や新宿で
「高校で隣のクラスだったんだよ」
と見知らぬ男子に声をかけられたことが数回あるから、知らない所で見られていたこともあるだろうし、私も声はかけなかったけど思いがけない所でかつての同級生を見かけたことがあった。
 よせては返す波を眺めていたら、あの潮の風のふくホームでの会話を思い出した。しばらく書くことから遠ざかっていた私は、少し余裕もできたことだし、もう一度童話作家をめざしてもようかな、と思った。書き始めると思った以上に書きたい気持ちがたまっていたらしく、いくらでも書けた。
 しかし、本を出すなんてそんなに簡単にできるわけもなく、書きたいものがなくなるまでは書き続けよう、信じていればきっと夢は叶う、と自分を叱咤激励して書き続けていたら突然、児童書出版の幸運に恵まれた。舞い上がって新旧のたくさんの友達に送りつけたり、書店で見つけたよ、などとしばらく会っていない友人知人から知らせが入ったり、楽しい日々を送っていた。
 女子高生が主人公のファンタジーで郷里をベースに描いていたので特に地元を離れた友人から、懐かしかった、帰りたくなった、などいうメールが入った。
「え、まさか…」 やり取りの中の一つのメールに私は愕然となった。
『…ミッキー、亡くなったって…』
 病が見つかって、数か月のことだったそうだ。まだ三十代、その死からはすでに数年の月日がたっていた。
 きっと、優しくて賢いお母さんになっているだろうと思っていたのに。あかぬけてきれいになったミッキーにまだ会っていないのに。
 これからいくつもの山を越え谷を越え、笑って泣いて、楽しい事も苦しい事も経験して、シワのいっぱいよったおばあちゃんになって、私達、結構がんばってきたよね、良い事も悪い事もたくさんあったよね、と笑い合うはずだった。彼女のことをもっと知りたかったし、私のことも知ってほしかった。いくらでもそんなチャンスはあると思っていた。
 私が口走った夢を彼女が覚えているとは思えないが、ひょっとしたら覚えているかもしれない、人づてに噂を聞いて、やったね、と思っているかもしれない、もしかすると出版社に勤めているかもしれない、彼女こそ童話作家になっているかもしれない、いつか会えるかもしれない、と心のどこかで夢みていた。
 心の中にあの日聞いたトロイメライが繰り返し流れていた。
 最後に会った時と同じ夏の終わりだった。ツクツクホーシがなき、赤とんぼがとびかい、うろこ雲が空をおおっていた。
 二冊目の本の出版にたどりついたのは四年後、二千十年の秋だった。シューマンを特集した音楽番組をテレビで一つ二つ見てその年がシューマン生誕百年の年だと知った。その中でようやくかなった二冊目だった。一冊目と同様、高校生の女の子が主人公のファンタジーだ。
 今が一番楽しい、明日はもっと楽しい日に違いない、と自分を言いくるめて毎日くらしているが、あの頃、こうだったら、ああだったら、と思うのはいつも高校時代だ。後悔しているわけではないが、知らないことが多い上、まわりの友人がみんな自分よりも素晴らしく思えた。劣等感にさいなまれ、いつも不安で、やりたいことよりできることを優先し、選択肢を自分でせばめていたように思う。だから、夢や不安を抱えた高校生に何か伝えるものがあるんじゃないかと言う思いが、女子高生が主人公の小説にこだわっているのかもしれない。
 みんな同じなのだと。誰でも一つ二つの重荷を抱えながら、それでも一生懸命未来を見つめているのだと。
 未来ははてしないのだと。
 道はたくさんあるのだと。
 一度や二度の失敗は必要なことなのだと。
 あの頃に出会った友人知人、感じた事や見た風景が、ふっと脳裏によみがえる事がある。充実した高校時代をすごせたと思う。
 シューマンは心を病み、四十六でなくなるまでにピアノ曲、劇音楽、合唱曲など多くの作品を残している。ショパン、ベートーベン、モーツァルト、ドビュッシー、バッハあたりは知っている曲もあったが、シューマンはトロイメライしか知らなかった。ほぼシューマンを網羅しているらしい安価なCDのボックスセットがあったので購入して聞いてみた。
 すると、ノベレッテン、森の情景、クライスレリアーナなど気に入りの曲を見つけることができた。セットを買ってから数年たった。
 いつもトロイメライを聞くとミッキーを思い出す。ミッキーはまだ二十代のまま。
 だからよけいあの頃見ていた未来やこぼれおちた夢などを思い出して、まだまだやれるかもしれない、と力にしている。そして思い出の中のミッキーに、
「ありがとう、またね」と言う。


(参考文献)
シューマン 藤本一子 音楽之友社
シューマン 子どもの情景とアベッグ変奏曲 全音楽譜出版社

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人は希望を見つける職人

2020-08-11 | エッセイ
人は希望を見つける職人    ( 「トレモスの風屋」小倉明作 石倉欣二絵  くもん出版)

 トレモスの町には風の精ロゼルをとらえる「風屋」という職人がいる。ロゼルは風の中にいる風の精。修行をつんだ風屋にしか見えないし、特別な網でなくてはとらえることができない。
 この本は『トレモスのパン屋』に続くトレモスの町の物語だ。
 ロゼルは風のように透き通っていて、とらえられてから少しずつ、三日もすると美しい姿を現す。鳥に似ているが少し違う。色ガラスのような羽根や宝石のような瞳をもち、小さな鈴のような声でさえずるのだ。
 とらえられたロゼルを町の人たちは、美しさとともに「森の祝福」をもってくるものと信じ、大切に扱った。
 風屋はトレモスの町にしかない珍しい仕事だ。昔は多くの風屋がいて網を大空に流していたが、一人残ったのがリオンというおじいさんだった。
 そこへアルトという若者が弟子入りする。細い山まゆの糸で編んだ大きな「風網」を作り、風にうまく流すのは難しい。
 アルトはりっぱな後継ぎとなれるだろうか―。

 もちろん私の周囲に風屋はいない。
 ロゼルに会いたければ探すしかない。
 見えるか見えないかもわからないロゼル。とらえられられるかどうか。美しい姿を見せ、声を聞かせてくれるかどうか。

 私にとってロゼルは希望だ。
 希望は一心に追いかければやがて光になる。
 どこにでもある風のように希望もどこにだってある。
 希望を握りしめて生きていれば、いつかきっと大きな光になると私は信じている。

 人は希望を見つける職人なのだから。

 『トレモスの風屋』はそんな夢のような心持ちにさせてくれる本だ。
 架空の存在は時を経ても色あせず、読んだ時の年齢や気分によって思いも変わる。
 本棚に大切にしまい、またいつか読み直そうと思っている。

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産経新聞8月8日夕刊「ビブリオエッセー」(本に関するエッセー募集、あなたの一冊をおしえてください)に掲載していただきました。
  


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心の栄養

2020-06-30 | エッセイ
心の栄養

 欲しい衣類があっても、予算の関係からセールになるのを待つ。けれど、自分が欲しい物がいつまでも売れ残ってて、セール価格になっても売れなくて、投げ売り状態になってるのを見ると、誰もほしくないのか、それを身に着けているとどう思われちゃうんだろう、やだあれ買った人いるんだと思われるのかなと不安になる。それでも底値だと思った時にやっぱり欲しくて買ってしまう。
 欲しかったものが手に入ってうれしい反面、大変に複雑な気分だ。
 タンスの肥やしと言う言い方があるが、持っているだけでうれしいってこともある。買ってすぐに着て鏡を見て、
「うん、いいじゃない」
と自分で自分に酔う。
 好きなものに囲まれているとほっとする。
 だから、身につけないから無駄とは言い切れない。
 買った時、自分の物になった時、見ているだけでうれしい。身に着けるチャンスがあまりないと思えたり、似合わないかもと思えたりしても、いつか着られるかもとか、いつか似合うようになるかも、やせて入るようになるかも、などとワクワクしただけで十分役割は果たしている。
 カラッポのクローゼットは悲しい。

 だから、収集癖はないけどフィギュアや骨董を集める人の気持ちはわかる。限度はあるけど。

  いつか捨てるとわかってても、ストラップや置物など、かわいいものを買っちゃう、見ているだけで楽しい。
 それがささやかな贅沢で心の栄養でもある。


6月30日の産経新聞 朝晴れエッセーに掲載されました。



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迷子の迷子の…

2020-03-07 | エッセイ
産経新聞「朝晴れエッセー」に掲載していただきました。

迷子の迷子の…

 あたりを散策していると、一匹の中型犬が飛びついてきた。リードを引きずっていたのですぐに飼い主が来るものと思い待っていたが、二十分待っても誰も来ない。仕方なく、人通りの多い駅前に行き、涙のご対面を待つことにした。
「お、シェットランドシープドッグじゃん」
 まず声をかけてきたのは二十代と思えるお兄さん。


上記に記載されています。


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Grapeにエッセイを掲載していただきました

2019-07-31 | エッセイ
下着売り場に挙動不審な男性が! 気持ち悪い、と思ったら…

毎日読んでいるgrape様に自分の作品が掲載されるなんて夢のようです。
ん?
夢が叶ったんですね。
そう、これを読んでいるあなたの夢も必ず叶います。
夢が叶うという呪いをかけておきます。
 

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終の花園

2017-12-07 | エッセイ
 数年前のことだ。
 通勤途中の薄暗いガレージに、しょぼくれた中型犬がいて、いつも所在無げに道行く人を眺めていた。
 年季の入った犬小屋から考えて、年もいっていたのだろうが毛並みが悪く、あまりかわいがられていないように思えた。
 一人暮らしだった私は、朝な夕なに声をかけ、互いの孤独を埋めあっているつもりだったのだが、ある日、
『タロウは今年二十一になりました。病気のように見えますがいたって元気です』
という貼り紙に、子供達に誕生日を祝ってもらっている写真が添えられていた。
 頭には三角帽子、目の前には手製らしいケーキが飾ってあった。
 都会に日当たりの良い庭があるわけはなく、ガレージとはいえ、結構広い場所を与えられているタロウは幸せ者なのだった。
 また、病気を心配して家人にお節介を焼いた他人がいたらしいことに、笑みがこぼれた。
 それでも、時折ポケットにビーフジャーキーなどを忍ばせて、友好を深めていたのだが、桜が終わり、しのぎやすい季節がやってくる頃、再び貼り紙があった。
『タロウは○月×日、二十一年十ヶ月の天寿を全うしました。かわいがってくれてありがとうございました』
 それまでも、姿が見えないことはあったが、いないのと亡くなったのでは趣きが違い、寒々しい空気が漂っているのを感じた。
 帰りに小さな花束を手に立ち寄ると、タロウは私以外にも家人の知らない友達をたくさん持っていたらしく、古ぼけた犬小屋のまわりには、チューリップにフリージア、かすみ草にカラー、ゆりにたんぽぽ、シロツメクサで作った花輪、さらには犬用のおもちゃや骨などがところせましと飾ってあり、まるで花園のようだった。
  私も手にしていた花束を供えて、タロウにありがとうを言った。

随分前に、マ・シエリミニエッセイ賞を受賞した作品です。
読みたいと言って下さった方がいらしたので掲載しました。

ちなみにビーフジャーキーは家の方の許しを得ています。

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たおやかに

2015-12-04 | エッセイ
「芽が出ている」
 一月半ば、ベランダの小さな植木鉢をのぞき込んでつぶやいた。秋に突然たずねてきた母が置いて行った鉢植えだ。何が植えられているかは聞いていない。
「植えただけでは育たないから時々水をやってね」
 言われたものの、興味がなかったので雨ざらしにしていた。それでも寒くなると気になって母に連絡すると、
「秋植えの球根は寒さにあてないと花を咲かせないから、そのままでいい」
とのこと。それをいいことに相変わらずベランダに放置していた。
 それまでは土だけだったので放っておけたのだが、顔を出した小さな芽を見ると、これからますます寒くなってゆくのに大丈夫なのだろうかと心配になった。小さな鉢植え一つで何度も母に相談するのも大人気ないと思い、近隣の花壇や鉢植えなどを注意して観察すると、霜柱の中でも元気に若い芽が育っていた。そう言えばこの季節、郷里の庭では母の植えたチューリップやクロッカスが芽を出したり、パンジーやプリムラが花を咲かせたりしていた。
 実家では、学校や友達付き合いなどであまり家にいつかなかったので庭仕事を手伝ったことはなかったが、庭や野に咲く花の名前は母に聞いて知っていた。
「うちで採れたトマトよ、採れたてだからおいしいわよ」
 家庭菜園で採れたトマトやキュウリが食卓に並んだ。庭を通りぬけるとフリージアや百合の香りが漂い、季節を感じた。うまく花や実をつけることもあったが、虫や病気で枯れてしまい、母を落胆させた植物もあったようだった。
 鉢植えの小さな芽は、雨にもみぞれにも雪にも負けずにじっくりと芽を伸ばし、葉を広げ、二月半ばに小さな蕾をつけた。そうなると楽しみになり、朝な夕なに観察していると、蕾を見つけてから一週間後に真っ白な三枚の花びらを開いた。
 濃い緑の葉、たおやかな茎、控えめな下向き加減の花。
 希望という花言葉をもつスノウドロップ。
 ふきすさぶ風にその身をまかせながら、静かに日の光を浴びている。


「800字文学館賞」入選作

世間的には小さな賞ですが、私にとってはとても大きな賞です。
「たおやかに」は母との思い出話です。両親とも元気です。



このブログを見た人には「優しい手」という呪いをかけてやる。おみゃーの手が触れた人は、ほっとするであろう。


コメント (18)
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