最後の喜田がアウトになった瞬間…今年のカープの戦いは終わった。
まだ試合は続くが、もうCS進出する気力はないであろう。
今日の試合が今年のすべてを物語っていた。
本当に残念である。
ここからはフロントの正念場である。
どの様なチーム作りに着手するのか…
全てはオーナーの腹一つである。
最後の喜田がアウトになった瞬間…今年のカープの戦いは終わった。
まだ試合は続くが、もうCS進出する気力はないであろう。
今日の試合が今年のすべてを物語っていた。
本当に残念である。
ここからはフロントの正念場である。
どの様なチーム作りに着手するのか…
全てはオーナーの腹一つである。
イチロー・松井秀喜をはじめ、古くは山本浩二、落合、衣笠、高橋慶彦…
多くのスラッガーのバットを作成してきた人…
久保田五十一さん…
昨日…久保田さんの講演を聞かせてもらった。
実は私…久保田さんを始めて知ったのは、17歳のとき…
当時スポーツ店に勤務しており、ミズノの担当者からバット職人の逸話を聞いた。
昭和57年…当時のカープ山本浩二は、ヒロウンという広島から発祥したスポーツメーカーと契約していた。
しかし…バットだけはミズノ製品を使用という、当時として考えられないことをしていた。
(スポーツメーカーと専属契約を結ぶと、用品の提供は無償であり、他社の製品は絶対に使用しないという契約を交わすのがルールであるから)
そのことが不思議に思い、メーカーの担当者に聞いてみた。
すると…「山本さんの場合・・・本来であれば、ヒロウンと契約しなくても、いくらでもアドバイザリー契約をする会社はあるのだが、広島発祥ということで義理をたてられた。しかしバットだけは、しっくりこないとの理由で、特別にミズノの製品を使うことが認められた。」と聞いた。
その時…ミズノのバットは凄いのか???と聞くと、
「あそこの職人に久保田さんという人がおり、この人の右に出るものはいない…」と言われた。
数年後…ゼットのアドバイザーであった水谷実雄が、ミズノのバットを使用し始めた。
その時は、メーカーとのトラブルが理由と聞いたが、バットはやはりミズノ…との評価があったらしい。
昨日の講演で…バットの素材に当たる木の話から、選手たちのバットに関するこだわりなど…苦労話をされていた。
特に興味があったのは…イチローの年間使用バット作成本数一万本より、グリップの0.2ミリの話であった。
今朝の中国新聞では、衣笠のみであったが、実は衣笠と落合…この二人が共に0.2ミリ(グリップ)に、こだわったらしい。
特に久保田さんの話では、落合の方が…すごく印象に残ったようである。
ある日…どうして0.2ミリが、バッティングに影響するのか不思議でならない久保田さんは、落合に聞いた…
すると落合は…
「バットを握る時…力は必要ないのよ。しかし…ボールがバットに当たる瞬間、グリップにおもいきり力を入れる。そこで0.2ミリ細いと、いつもの力加減では弱すぎて、打球が飛ばない…」
続いて落合氏…
「ほかの選手は手袋はめてるでしょう・・・オレは素手だから、余計にそう感じるのよ…」
まさにバット職人と打撃職人の相通ずる逸話であった。
最後に…現在66歳の久保田氏…
「この仕事…長年出来たのは、多くの木と多くの名選手に出会えたから・・・」と盛んに感謝という言葉を発せられていた。
また…「バットが…木から他の素材に変更にならなかったのも、私には本当にラッキーだった」と、感謝された。