糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

お久しぶりです

2017-06-02 | 雑想

 何気なくこのブログを開いてみると、2年近く放置状態でした。まあ、2年前の11月半ばから体調を崩して休職してました(今も休職中)ので、当然といえば当然ですが、この間、いろんなことがありました。

 私自身の休職もさることながら、母がすい臓がんで逝きましたし、私の状態がよくない頃にカミさんも腰を痛めて入院するとか、上の娘も休職になるとか。

 今も休職中の身ではありますが、だいぶ回復し、時々みなさんの前に顔を出すこともできるようになりました。これまでご心配やご迷惑をおかけしたみなさんに心からお詫び申し上げるとともに、我慢強く私の回復を見守ってくださっているみなさんに感謝申し上げます。

 このブログを改めて更新しようと思える程度には回復しておりますし、自己判断ですが、完全復帰も近いと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 さて、休職中ではあるものの、今の情勢を見ていると黙っていられなくなり、このブログでちょっと発散しようとw。他でもない、安倍政権への怒りですよ。

 自民党といい公明党といい、政権与党の民主主義や国民主権への認識のなさ、あまりに程度が低いと言わざるを得ません。安保法制、特定秘密保護法、そして共謀罪。どれも現行憲法と相容れない、違憲立法ではありませんか。集団的自衛権の是非をめぐる議論では「合憲」と強弁していた安倍さんですが、やっぱり整合性をもつために、「憲法9条に自衛隊を明記する」などと言い出す始末。しかもオリンピックと結びつけて政治を転がそうだなんて、不純甚だしい。

 

 主権者である国民の声には全く耳を貸さず、国会での論議もデタラメです。だいたい、「これ以上の議論は無駄」とか言っている人たちの姿勢が、議論のなんたるかをわかっていないとしか思えません。

 国連のケナタッチ特別報告者の質問に対してまともな回答もなしに国連に抗議したことや、前復興相の記者に対する「出て行け」発言などが、そのことを顕著に現していると思います。

 

 自分の主張を理解して支持してもらうためには、質問や疑問に対する誠実な回答は必要不可欠。人によって考えが違うのは当たり前ですから、相手に理解を求めるために説明するのは当たり前の話であり、それが民主主義の基本中の基本でしょ。

 「多数決だから民主主義」というのは、認識が間違ってます。安倍政権のやっているのは「数の暴力」。多数決は、意見の違うもの同士が討論を重ねた上で、一つの解決方法として存在するもの。少数意見もきちんと議論に反映させ、より良い結果を導き出す努力が、民主主義には必要なんです。

 法案を「違憲ではない」とするなら、その根拠を示し、説明するのは、安倍政権の責任です。「説明したけどわかってもらえない」というのは、説明が下手なのか、不十分なのか、どこかが間違っているかのどれかでしょう。それに安倍政権は質問にまともに答えていません。

 第一、数だけでいうなら、「今国会での共謀罪の成立はすべきでない」という国民の声の方が圧倒的です。これを無視して強行するのは、民主主義、国民主権の精神に反する行為ですよね。

 

 共謀罪の中身もさることながら、これを強行しようとする安倍政権の姿勢も民主主義とは無縁のやり方。うわべだけなぞっているつもりでも、国民の方が民主主義のなんたるかをわかっています。

 民主主義を形骸化して自分の都合の良いように日本を作り変えようとする安倍政権の暴走を、私はこれ以上許せません。「言っても無駄」は、安倍政権と同じ。諦めて、あるいは呆れて黙ってしまうのは、それこそ安倍政権の思うツボです。今、多数の国民が諦めずに声をあげる時ですよ。

 


旅自転車は嵐とともに

2015-09-10 | 雑想

 このところ悪天候が続いています。おかげで、嵐とともにやってきた新車「ARAYA Federal(アラヤフェデラル)」も、ほとんど出番なし。鬱々とした日々を過ごしております。

 

え?このタイミングで戦争法案の話じゃないのか? いやまあ、それもそうなんですが、私はもともとこういうタチで。

 

 そもそも今回旅自転車(ランドナー)をチョイスしたのは、「雨が降っても走れる」ことも選択基準に加えていたはず。ロードバイクに(雨でないときだけ)乗っていたために、「雨でも大丈夫」という感覚をすっかり忘れていました。

 

 思えば高校入学を機会に購入したランドナー(ヨンキュッパ)。通学に使用していましたから、雨が降ったって走ってたんですよね。あの頃は若かった...。高校に通う3年の間に、フロントフォークもホイールも2度ほど交換しました。

 

 

 しかあし、フェデラル号ならば、雨天でも大丈夫。いや、ロードバイクで走れないわけではありませんよ。実際レースは雨が降ったってやるんですから。ただ、レースと日常使用とはやはり違います。経験している方はよくお分かりと思いますが、泥よけのついていない自転車で雨の中を走るのは、なかなか根性のいることです。

 後輪の泥ハネは尻から背中に数字の「1」を刻みこみ、ちょっとでもハンドルをきれば、前輪の泥ハネが容赦なく顔面を襲います。膝から下の部分の濡れ方、汚れ方も尋常ではありません。雨に降られて濡れるのは大丈夫でも、泥ハネはメンタルが削られる思いがします。

 

 泥よけがある自転車って、なんて快適なんだろう...フェデラル号に乗った第一印象ですw。初走行は小雨の降るなかでした。

 

 

 仕事の都合上、自転車ばかりというわけにもいきませんが、ある程度荷物を載せることができて、長距離をそこそこの速度で走破できる自転車といえば、私にはやっぱりランドナーです。

 ロードバイクほど気負わずに乗れ、MTBと違っていろんなハンドルポジションがとれ、何より、荷物を乗せることに全く違和感がない。素晴らしい自転車です。ママチャリや通学用自転車よりもスポーツ走行に向いた作りも二重マル。

 最近はロードバイクにキャリアをつけたり、デイパックなどを背負って走っている方も多いです。かくいう私もそうでした。

 が、自分が荷物を背負うというのは、ダメージも相応にあるものですよ。その点、荷物を自転車に乗せられるメリットは大きいといえます。また、ロードバイクはもともと競技用。荷物を載せて走るようなことは本来想定されていません。自転車にもよろしくないと思います。

 

 

 さて、少々の雨が降っても自転車で移動できるよう、装備を考えることにします。

 とりあえず戦争法案を止めないとね。


似て非なるもの

2015-06-19 | 雑想

 戦争法案が国会で本格的に論議されています。

 党首討論でも特別委員会質疑でも、安倍首相のへどもどした語り口にはいらだちを感じていますが、国民世論の反対の声が高まるなかで、強がってみせていても、安倍首相本人が一番いらだっているのかもしれません。いや、いらだちを通り過ぎ、今や不安なのではないでしょうか。

 

 「今の状況が戦前に似ている」というご意見を、ネット上で目にすることがあります。日本が、国民の知らないうちに深刻なまでに戦争の深みにはまっていく頃のようだということなのでしょうか。

 確かに、私もそう感じたことはありました。もっと前に。小泉氏が首相になったときでした。異様に高い支持率もあり、自民党内にとどまらず、他の野党も追随、マスコミまでも異様に持ち上げる雰囲気に、「大政翼賛会」ができたころの情勢って、こんな雰囲気だったのだろうかと思いました。

 今は、まさに「海外で戦争できる国」になるのかどうかが問われている情勢です。権力を掌握している一握りの少数派によって、この国のあり方が大きく変えられようとしているときです。

 しかし、当時とは決定的に違うことがあります。社会の仕組みです。この社会の仕組みが違うことが、当時とは大きな違いを作っています。

 戦前、日本は絶対主義的天皇制であったことは、中学校までの授業で教わっていると思います。選挙制度があり、内閣、国会もありましたが、全ては「天皇の許す範囲」でのこと。教育の現場でも、子どもたちは天皇を「現人神」だと教えられ、当時の憲法にも、「神聖にしておかすべからず」と明記されていた存在でした。

 当時国民がもっていた自由は、「天皇の許す範囲」にとどまりました。国民は天皇に仕える「臣民」にすぎませんでした。

 

 敗戦後、日本は国民が主権者となって国をつくる民主主義の国になりました。紆余曲折を経て、選挙制度などに新たな問題を抱え込んだりはしていますが、国民のもっている自由は、戦前の制限されたものとは全く違います。

 

 決定的な違いは、まさにここです。

 国民は、自分たちの自由を享受して育ち、国民主権、民主主義をまがりなりにも経験しているということなんです。

 戦前なら、「御上の言うことだから」で終わっていたことでしょう。何しろ主権者は国民ではありませんでしたから。しかし、国民主権の国で安倍首相の所行が許されるはずがないことを、現在の国民は知っています。

 

 「戦争をしない」と誓った国で、主権者としてこの国に生まれ育った国民にとって、安倍自民・公明政権がやろうとしていることはルール無用の暴挙であり、この国の主人公である国民に対する反乱=クーデターであると言っても過言ではありません。何しろ国のカタチを変えるおこないです。

 

 改憲という過程を経ることが難しいと思うと、「解釈」の変更だけで進めようとする無理がすでに露呈し、破綻しています。それでもなお、安倍政権はゴリ押しを進めています。「国会では多数だから」と思っているかもしれません。「とにかく戦争できる国への道筋をつけておけば、あとはどうにでもできる」というのが、安倍首相の狙いでしょう。

 

 しかし、強引に押せば押すほど、国民との矛盾は深まります。今まさにそういう状況ではないでしょうか。戦争を知らない多数の国民が「戦争したくない」と願っています。世論調査でも明らかですし、一頃は見向きもされなかったデモや集会に、老若男女を問わず、多くの国民が集まり、声をあげています。

 安倍政権を世論で包囲して孤立させ、断念させることが今の日本でできること。この声と運動を、「国民の声を無視すれば、自民党、公明党の今後の存続すら危うくなる」と思い知らせるほどに大きくすることが、いま大切なことだと思います。

 

 勇気を持って、声をあげましょう。一人で声をあげるのはなかなか度胸のいることです。一人が難しくても、私たちがいます。集会やデモも各地で行われています。そこに参加することも大切な「意思表示」です。

 この意思表示こそが、安倍の反乱を鎮圧し、私たちの命を守るための手段となります。何かの機会に、そういう集まりがあることを知ったときには、ぜひご参加ください。

 

 


共感、共同のDNA

2015-02-14 | 雑想

 「ニホンザル」といえば、いわゆるサル山を連想します。序列社会であり、ボスザルが群れを率いる一党、いや一頭独裁であることが知られていると思います。私自身はそのように理解してきました。ボスの入れ替わりは、若手の強い個体がボスと争い、奪取するとの話もありましたよね。

 

 ところが、お互いの争いを避けるためにハグをして、そのときのストレス、不満を解消していることが発見されたというのは実に興味深い話ではありませんか。

 NHKのニュース番組のなかで放送されたことなんですが、このときに紹介された例は、「二頭のサルの片方が毛繕いをし、それが終わっても、もう片方は毛繕いをしてくれなかった場面」です。毛繕いを先にした方(A)は、お返しをしてくれない相手(B)にいらだちを感じる仕草をします。「ムッとする」という状態です。が、次にはAはBを抱擁するんです。お互いに抱擁しあい、身体を前後に揺らします。お母さんが子どもをだっこするかのような風情です。で、Aは再びBの毛繕いを始めるというものでした。

 サルにもそういう社会的行動があるのだと知って、驚きました。

 

 人間には、外敵と戦う強力な武器を持ちません。裸では季節の変化にも対応できません。自然に対して、人間という個体はあまりに脆弱です。

 この自然の中で人間が反映できたのは、共同、共感するDNAを持っているからだと言われています。他の個体の状況を、人間は汲みとり、共感する力を持っています。そして、それを解決するために共同する力も。その力で助け合い、反映してきたのだと言うのです。

 

 つまり本来、人間は助け合いの動物なのだということ。人は、人助けをすると、脳内の快楽物質が分泌されるのだそうです。「人助けをすると気持ちいい」というメカニズムが、人間には備わっています。

 

 現代社会を、自然界にてらして「弱肉強食」と言う人がいます。こんな概念は、ごく一部の人間の都合で考えられたことでしかありません。弱肉強食は、自然界の法則とは関係ありません。そもそも、強弱の判断は人間が決めた基準です。

 まして、同族同士、繁栄しようとすればお互いに足を引っ張るなんて、考えられないことではありませんか。

 

 人間の英知は「民主主義」という仕組みをつくりました。より多くの人間が気持ちよくなるための仕組みを模索した到達です。

 

 一方、現代資本主義の人間社会において、強者とはお金を持っている者、弱者とはお金のない者を指します。強者は何をやっても良いことになり、弱者は何をされても文句を言えない仕組みになっています。カネの力を使って権力を振りかざし、まさに暴力で外交をしようとする安倍政権の政治は、民主主義に対して真っ向から挑戦する危険な政治です。

 

 いっせい地方選挙が近づいています。「国政は国政、地方は地方」というご意見もよく耳にしますが、そんなこと、安倍さんは考えてませんよ。地方で自分の言うことを聞く議会を増やし、己の力を強くして、己の夢=「軍国主義の日本」づくりに邁進する姿勢です。

 

 私たちもまた、「国政と地方は別」だなんて思っていません。国の悪い政治は、地方議会から声を上げることができます。国の悪政に対して、防波堤となる地方議会をつくるために、国会で増やしていただいた議席と共同して、全力でたたかいぬく覚悟です。日本共産党の議席の価値は、国政でも地方でも重要なものだと自負しています。

 

 また、地方政治で日本共産党がのびることは、悪政に対する住民みなさんの、もっとも明確な「NO」の意思表示になります。「共同、共感のDNA」をきちんと受け継ぎ、人間らしい社会をめざす日本共産党への応援をよろしくお願いします。

 


新年のごあいさつを

2015-01-04 | 雑想

 あけましておめでとうございます。

 昨年もいろいろありましたが、とりわけ総選挙のたたかいは特別でした。

 

 さて、今年はのっけから仕事。大晦日にダウンした役員のかわりに職場で日直に始まり、気がつけば4日間、まる一日休めた日はありませんでした。2日は基本的に休みだったのですが、夕方にひと仕事ありましたから、フルに休めたわけではありません。

 

 年明けの写真撮影を楽しみにしていただけに残念な正月となってしまいました。

 

 なんて、新年早々ぼやいてますが、日本の行方を思うと、ぼやいてばかりもいられません。

 

 総選挙の前は「アベノミクスの信を問う」なんて言っていた安倍首相。総選挙が終わったとたん「安保国会」だなどとぶちあげ、集団的自衛権行使容認の閣議決定にもとづく法制化を進めると言い出しています。

 秘密保護法も、それこそ総選挙のどさくさで施行され、危険な国への一歩を踏み出しています。自民党は議席を減らしたものの、与党は国会で2/3。

 一見すると強気で、相変わらず暴走を続けようとしている安倍さん。じゃあ本気で「わが世の春」を謳歌しているのでしょうか。絶対にそんなことはないでしょうね。

 

 彼がおびえているのは、他ならぬ国民の声、民意です。

 

 「戦争できる国」づくり、原発再稼働、TPP参加交渉、消費税増税、労働基準法の改悪、etc...。どの問題も多数の国民の思いとは真っ向から矛盾しています。そして国民の声も強い。日本共産党の躍進こそが、それを明らかにしています。

 少数議席でも、その力が大きく、与党を怯えさせることができるのは、日本共産党の背に国民の声、思いがあるからです。今回の躍進で、日本共産党は衆参両院で議案提案権を得ることが出来ました。党首討論にも参加できます。

 

 私たち日本共産党は、今後もこの姿勢=国民の利益を守る、「国民こそ主人公」の姿勢を貫き通します。

 今年は、みなさんの力がこれまで以上に必要になる年になるでしょう。私たち日本共産党は、みなさんと一緒に運動をすすめ、安倍政権の暴走を止めるために全力を尽くします。みなさんのお力を、日本共産党にお貸しくださることを心からお願いします。