通販サイトでモノを買おうとするとき、消費者のレビューをよく参考にします。できれば安くて品質の良いものを買いたいと思うのは消費者の当然の思いです。
いきおい低価格のものを中心にレビューを見ることになるんですが、よく見られるのが、製造が外国であることへの不満。同様に見られるのが、国内製造であることを褒めるレビュー。
私の場合は、こうしたレビューは買うときの参考にはしません。まあ、参考にするかどうかは、各々が決めれば良いことですが。
気になるのは、そうしたレビューのなかに、『ダメ』な根拠が、『海外で製造されているから』というものや、『日本製だから良い』というもの。「海外で製造されているからダメ」というのは、圧倒的に多く見られるのが中国です。こういう考え方は一面的だなあといつも思います。
何年も前の話ですが、知り合いが中国の業者と取引して、試作品の出来がよかったので量産でゴーサインを出したところ、送られてきた製品の品質は、試作品とは比べようもないほど低品質だったということがありました。
どうしてこんなことになったのかを問い質したところ、『示された単価の範囲でやった仕事だ』との答え。もっと丁寧な仕上げを求めるなら、相応の単価が必要だということでした。
日本人の多くが、中国など、アジア諸国は物価も安く、賃金も安くすむから低単価で仕事ができると思っています。低品質なのは、技術が足りないとか不真面目だとか、そういう理由にしているようですが、本当にそうなんでしょうか。実は「単価の安い」海外に対して、日本はとても無礼な振る舞いをしていないだろうか。おおいに考えさせられる出来事でした。
今の仕事に就く以前は、私は町工場で働いていました。仕事の中身の大部分は、他社から請ける仕事です。図面には一流メーカーの社名が入っています。
私は自分の仕事に、それなりに誇りをもって働いていました。自分の品物が、あのメーカーのこの製品を支えているのだと。あるいは、そこいらの同業者より丁寧なつもりだとか。
しかし、現代ではそういう誇りは、評価とは関係ないんです。製品として求められるレベルに到達していれば、それ以上にクオリティが高いから仕事が来るか、単価が上がるかと言えば、そうでもありません。「不良品を出さない」「単価に文句を言わない」「どんなに無茶な短納期でも守る」ことが、下請けの町工場に求められる『クオリティ』なんです。
単価はどんどん「コストカット」と称して削られます。文句を言えばすぐに他の業者に回されます。あるとき、社長が「こんなに削られたのでは材料費も出ない。中国じゃないんだ」と文句を言ったところ、取引先の人は「中国と単価を競ってるんだ」と言い放ったそうです。
「町工場には大企業の及ばない技術がある」などと一部でもてはやされていますが、よほど特殊でなければ、そういう技術を大企業は高く買ってはくれません。
大企業を支え、社会を支えているのは中小業者、町工場です。中小業者の経営を支え、活気を取り戻すことが、今の日本の景気を良くする道筋だと思います。中小業者の誇りは技術力、仕事への真摯な姿勢。ならば、その技術力を正当に評価し、買ってもらうこと。大企業の隷属業者ではなく、事業者同士、対等の取引ができる仕組みをつくることが必要です。
消費税をさらに引き上げ、「赤字経営の中小業者には消えてもらう」などと平然と言ってのける安倍政権のこれ以上の存続を、私は断じて許せません。彼らは仕事をしている人々の誇りを奪い、やる気を根こそぎに奪ってしまいます。