ええっと、出張=党大会への参加以来、ちょっとグズグズしてたら風邪をひきまして。
しばらくFacebookでもご無沙汰でしたが、こっちのブログもしばらく更新してませんでした...(^^;
ところで最近、ちょっと気になることが続いたので、ここで書いてみたいと思います。
テレビを見ていて、ちょっとした場面で「多数決=民主主義」と言ったタレントがいたのが気になりました。
もうひとつ。安倍首相が、何かの発言で「我が国は民主国家」と言った場面を目にしました。
民主主義ってなんでしょうか?
最初の「多数決=民主主義」というのは、ときどき耳にしますし、日本が民主国家であると言われれば、建前はそうだと言わざるを得ません。
が、これらが本当に正しく、「民主主義」としての本来のあり方と言えるでしょうか?
安倍政権は、自民・公明政権の議席の数でもって、秘密保護法を強行しました。
秘密保護法については反対意見も数多く、「慎重に決めるべき」という意見と合わせれば、圧倒的多数の国民が採決に反対でした。あの強行採決は圧倒的な民意とは乖離した愚行だったことは疑いもありません。
民主的な手法=選挙によって国民から信託された権力を、代表者たる安倍政権が行使したら、なぜ民意とは乖離した結果が生まれたんでしょうか?少数の得票で圧倒的な議席を獲得できる欠陥選挙法によって、自民党は多数派となりました。そもそもこれが国民の意図したことだったかどうか、大きな問題だと思います。民意を正確に反映できない選挙制度を作ったのは自民党です。
で、秘密保護法を強行したのは、ほかならぬ多数派の自民党。他の野党もこれを容認、追随する有様で、国会の場で明確に民意を代表して反対したのは日本共産党だけでした。結局、多数決で秘密保護法は成立してしまいました。
では、「多数決で決まったものはしょうがない」でしょうか。民主主義とはそういうものでしょうか?
日本共産党は、「少数野党で力がない」というご指摘をよくいただきます。それ自体はごもっともです。しかし、もし「多数決こそ民主主義のすべて」であれば、少数野党などいくつ議席があってもそれは「無」「ゼロ」に等しいということになりますね。極端な話、過半数にひとつ足りないだけの議席数でも、「無」「ゼロ」になります。この考えは民主主義にかなっているでしょうか?
多数決は民主主義の一面でしかありません。もともと多様な考えを「あってよし」とすることが民主主義。ことを決めるにあたっては、少数意見でも多数派の意見と同じ重さを持ち、尊重され、議論されることが大前提なんです。
ろくに審議もせず、「議論は尽くされた」と勝手に幕を下ろし、採決を強行する姿勢は、民主主義とは到底言えません。
こんなことを平気でやっちゃった安倍首相が、どの口で「民主国家」を語るのか。彼には民主主義を語る資質も資格もありません。第一、彼自身が民主主義を理解しているはずがありません。
民主主義と戦争とは、本来相容れないもの。戦争への道を突き進もうとする安倍さんが民主国家など作れるはずもありません。日本を「民主国家」と言うなら、彼は即刻今いる地位を降りるべきです。