小渕氏が経産相を辞任した騒ぎは、私の周辺でもそれなりに騒ぎになってます。まあ、当然と言えば当然 。21日付「しんぶん赤旗」日刊紙には、小渕氏の選挙区内(群馬5区)で配られたワインが見つかり、写真入りで報道されました。
以前にアポなしで職場へ取材にきたテレビ朝日の記者さん、一昨日には私の自宅まで来て「あれ?」なんて言ってました。私の顔と名前が一致しなかったようで。そのとき私に、「(小渕)ワインは見たことありますか?」と聞いてきました。これも地元で聞いた方が良いだろうと言っておきましたが、テレビ朝日のニュースで取り上げられたようです。うまくいったのかな?
地元では小渕氏に同情的な声もあるようです。
こういう人たちの多くが考えるのは、地元びいきもあるでしょうが、「他の議員だってやってるだろう」ということではないでしょうか。
このことは、同情的な人にかぎったことではありません。「またか」とか、「しょーがないなあ」くらいに思い、大して気にしていない人にもあてはまるかもしれません。
この国は、長いことカネによって政治が動かされてきました。今だってそうなんですが。でも、カネが政治を動かす時代をもう終わりにしませんか?
自民党は、金権体質では折り紙付き。昔から汚職の絶えない体質でした。たまたま見つかったことが大きな事件に発展したことも数知れず。
そういう体質の政党ですから、「ここにカネを注げば、自分たちの思い通りに政治が動く」と考える大金持ちは自民党を応援するし、政治をやろうと志す者の動機も、初めからカネ目当てだったりするんじゃないでしょうか。なんといっても企業献金も政党助成金も「歓迎」の体質の政党です。
使い古された言葉ですが「赤信号 みんなでわたれば怖くない」といいますね。「みんながやってるから問題ない」「みんながやってるからしょうがない」では、いつまでも私たちの思いが政治に正しく反映されることはありません。何しろ「カネを持っているかどうか」が政治の行方を決めることになるんですから。連中が「怖くない」のは、みんながやってるだけでなく、主権者がそれを黙っているからです。主権者が、自分たちの権利をカネでどうこうしようということを許さなければ、彼らは怖くてしかたないでしょう。
原発が地震大国日本にこれだけ増えてしまった要因には、原発を置く自治体をカネ漬けにした歴史もありました。群馬5区だって、八ッ場ダム建設を巡って村を分断したのはカネでした。巨大な企業の利権のために巨額のカネが投じられ、小さな、真摯な声はその口をふさがれてきたのです。
カネが政治家(政治屋という方が適切か)を動かし、主権者国民を黙らせる。これが残念ながら自民党が長年続けてきた「政治」の性質なのだと思います。こういう人々は「国民にはカネを配れば大丈夫」だと思っています。はっきりいえば、有権者をなめているんです。
主権者たる国民のみなさんが、「しょーがない」と思うことなく、本気で「カネが政治を動かす」歴史を終わらせようと思うこと、そのために自らが政治を見つめ、監視して、主体的に関わることが必要なのだと思います。
あきらめないこと。政治を遠くの誰かのものだと思わないことが大事です。政治は、余所事ではなく、身近なあらゆるところに関わっています。民主主義、国民主権の日本なんですから、みなさんの声こそが政治を動かすようにしたい。そのために私は今ここにいるのだと、あらためて思います。