糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

公安調査庁などからマークされる団体 チラシへの反論その3

2019-06-27 | 雑想

 「公安調査庁は共産党に対して『破壊活動防止法』に基づく『調査対象団体』であると公式見解を発表しています。共産党は必死に否定していますが、1950年代、当時の共産党が武装闘争を掲げ、騒乱事件や警察襲撃事件を起こしたことは紛れもない歴史的事実です。警察庁も『暴力革命の方針を堅持する』と断定し、その動向をマークしています。」

 という内容です。

 いつだったかは忘れましたが、公安調査庁だか警察庁だかが、日本共産党の本部を盗聴していたことが明らかになり、大問題になったこともあります。

 長くなりすぎる上に複雑な話なのでだいぶ端折りますが、1950年代、日本共産党は中国を通して「武装闘争」の方針を持ち込んだソ連の干渉によって分派が作られて中央委員会を解体、分裂され、党の内外に大きな混乱をもたらしたことがあります。当時の党員には、実情がわからず、分派の「武装闘争」の方針を「党」と信じて活動した人もいました。党ではこの一連の出来事を「50年問題」と呼んでいます。

 この問題はその後、調査を進めて自主的に総括し、改めて党の活動方針を定めました。マニフェスト=綱領を定めたのも、この問題を経てからです。 日本共産党はこの間多くの議席を失い、党勢も減少を続けました。この問題を通して、日本共産党は「暴力による革命」の考えとはキッパリと手を切り、それを進めようとする諸外国の干渉とも徹底してたたかって退けてきました。

 この問題を通して日本共産党は二つの大きな歴史的教訓を得ました。一つは、党はいかなる大国が相手でも、自国内の党への干渉や誤りは認めない「自主独立」の立場を確立しました。もう一つは、暴力による変革を目指しても国民の支持は得られないことです。

 このような経験をしてきた政党が今だに「暴力革命」などと言っているとしたら、もはやそれは政党と呼ぶにふさわしくありません。第一、国民から認められないことは明らかです。

 

 こうした誤りを克服して総括し、武力革命などとはキッパリ手を切っているにも関わらず、公安の調査対象になっているのは間違いであることを指摘し、日本共産党は公安の調査対象から外すよう、主張し続けています。

 「共産党」と聞くと拒絶反応を示す人もいます。「怖い」というイメージも持たれるようです。そこには、戦前からの歴史とともに、「50年問題」と「レッドパージ(赤狩り)」の影響もあるかもしれません。ソ連や中国の一党独裁のイメージとか。

 

 日本共産党が産声をあげたのは1922年。日本が侵略戦争の道をひた走り、天皇を頂きにした国民が「臣民」と呼ばれていた時代です。当時、戦争に反対することや、国民主権を訴えることは文字通り命がけでした。天皇の体制を批判し、天皇のやること(戦争)に反対したことが「非合法」でしたから、日本共産党は徹底的に弾圧されました。そんな時代に、「アカとかかわるな」と言われた人々からすれば、共産党に怖いイメージがあったことでしょう。

 戦後も、やはり50年代、日本でも大規模な「レッドパージ(赤狩り)」が行われました。公安からも敢えて調査対象とされていることも、怖いイメージに繋がっているかもしれません。

 しかし、日本共産党は、ソ連や中国からの何度も行われた干渉とたたかい、自分たちの国の政党なのだから、自分たちで決める「自主独立」の立場を確立し、議席で多数を得て、国民合意とともに社会変革を進めることを徹底している政党です。「なんとなく怖い」と思う人々にこそ、そして「すきあらば共産党を攻撃して貶めてやろう」と企む人々にこそ、日本共産党の綱領を偏見なく読んでみて頂きたいと思います。そして、誤解や歪曲で誤ったことを喧伝するのはやめてもらいたい、日本をどうしたいのか、JAPAN Guardiansには表明して頂きたいものだと思います。

 念のため言っておきますが、日本共産党には「ウラ綱領」とかありませんから。日本共産党に入党して学習するのは、みなさんに広く公開しているものと同じ内容です。

 


自衛隊の解消について チラシへの反論その2

2019-06-27 | 雑想

 さて、「JAPAN Guardians」のチラシにある「日本共産党に協力してはいけない理由」の2、「自衛隊の解消」について、事実と日本共産党の考えを述べます。

 チラシ「2016年6月、共産党の藤野保史政策委員長(当時)がテレビの討論番組において防衛費を『人を殺すための予算』と発言し、大きな問題となりました。この発言からもわかるように、共産党は自衛隊を『敵』だと考え、『自衛隊の解消』を目指しています。」という内容です。

 藤野保史氏が上記のような発言をしたのは事実です。のちに正しくなかったこととして謝罪したと記憶してます。党もその旨を表明していると思います。

 じゃあ、自衛隊を「敵」と捉えているのかといえば、それは全くの的外れです。

 このチラシには上記の内容しか書かれてませんが、「JAPAN Guardians」のホームページには、「日本共産党本音はあくまでも、『自衛隊を解消』し、中国共産党のように『憲法改正して自衛のための軍隊をつくる」とも書かれています。

 「はぁ?どうしてそうなるの?」というのが私の第一声。日本共産党の綱領には、そんなこと一言も書いてませんが。

 前回の天皇制のところでも触れましたが、日本共産党は、現行憲法の前文を含む全条項を守ることを綱領に明記しています。

 安倍政権下で自衛隊が「自衛のため」ではなく、憲法9条を蹂躙して海外へ出かけることまで認められてしまいました。

 憲法9条は、この問題をめぐって改めて認識が広がっていると思いますが、軍隊を保持しないこと、交戦権を放棄することが書かれており、本来武力を持たないことが素直な解釈と言えます。

 憲法の本来の精神とは矛盾する自衛隊ですが、「敵」だなどとは思っていません。「もしも」他国からの不当な武力行為が日本に対して行われた場合、国民の利益を守るために自衛隊が出動するのは、現状では当然のことでしょう。

 しかし、「敵を作らない」ことこそが本来憲法の精神であり、「もしも」を作らない外交努力こそが、憲法下で権力を代行する者の役割ではありませんか。

 国際的には、戦争による解決を望まない声が大きくなっています。戦争を仕掛ける国は、そのうち国際的な総スカンを食らうことになるでしょう。そういう中でなお武力を保持してそれをチラつかせ、外交を自分の都合の良い方向へ仕向けようとする姿勢は感心できませんし、将来に渡って戦争という手段が認められるとは思えません。日本共産党は、武力が不要となる国際社会を展望しているのです。これこそ日本国憲法の精神と言えませんか?

 憲法を変えて国軍にしたいと望んでいるのは安倍首相です。改憲を言っているのは自民党ですし、「9条に第3項を設けて自衛隊を明記する」と言っているのも安倍首相です。日本共産党は、戦争のない社会を目指し、その規範として憲法9条を守ろうと主張し続けています。自衛隊の解消は、時代とともに、「戦争はしない」ことが国際的な常識になって行く段階で、情勢を見ながら、国民との合意の上で縮小、解消の方向に、という話です。これも、やはり長い期間の議論が必要でしょう。

 日本共産党は、自衛隊を敵視しているのではなく、自衛隊を「集団的自衛権」と称して海外にまで出して戦争の片棒を担がせようとする自民党に対して反対しているのです。

 

 のちに改めて触れますが、日本共産党は、1922年に創立しました。日本が戦争の道を突き進むなか、「国民主権」と「侵略戦争反対」を掲げ、戦争に反対したために「治安維持法」により、非合法活動を強いられました。いまでは、「国民主権」も「戦争反対」も当たり前の主張として認知されていますが、当時はそんなことを公然と言うことが文字通り命がけでした。

 こうしたルーツを持つ日本共産党が、「憲法改正して自衛のための軍隊を作る」ことを目指すなどあり得ません。

 

 


天皇制について  チラシへの反論その1

2019-06-27 | 雑想

 6月27日朝、地区事務所に党員が「うちの郵便受けに入っていた」と、一枚のチラシを持ってきました。

 「JAPAN Guardians」と名乗る団体の作成によるもので、表には「令和を批判する日本共産党にNO 日本共産党に協力するのはやめましょう。 その理由は...」と書いてあり、裏面には「協力してはいけない理由」として、三つの項目が挙げられています。

 1、「天皇制の廃止」を目指しているから

 2、「自衛隊の解消」を目指しているから

 3、公安調査庁などからマークされている団体だから

という見出しとともに、その根拠とする文章も書かれています。

 

 ツッコミどころはたくさんあるのですが、まず、「JAPAN Guardians」なる人々が、それじゃあどんな社会を目指しているのか、何をしようとしているのかは、一言も書いてありません。日本共産党に対する事実の歪曲と一方的な思い込みで「協力するな」と書いてあるだけで、まともな意見とは思えないと言わざるをえません。

 がしかし、だからと言って看過できるものではありません。

 

 というわけで、事実と日本共産党の考えについて、上記の項目に沿ってお話ししようと思います。長くなるので1項目ずつ。

 

 まず、「天皇制の廃止」について。

 チラシには「共産党は『令和』を批判しているだけではありません。志位和夫委員長は2012年1月、党本部で開かれた集会で講師を務め、『日本の将来の発展の方向性としては、天皇制度のない、民主共和制を目標とする』と述べています。共産党の本音はズバリ、「天皇制の廃止」なのです。」と書かれています。

 日本共産党は、マニフェストと言える方針、「綱領」を持って活動しています。綱領には「現行憲法の前文を含む全条項を守り、特に平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」ことを明記しています。また、天皇条項について、「『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する」とも明記しています。

 日本共産党が政権の一翼を担ったからといって、すぐに「天皇制は廃止しろ」などとは言い出さない、まずは憲法の天皇条項もきちんと守りましょうよ、という話です。

 じゃあ、天皇制をどう捉えているのか。

 戦前、天皇制といえば専制君主でした。国会も選挙も存在しましたが、それはあくまで「天皇の許す範囲」であり、国民主権とは本来矛盾する体制です。戦後の現行憲法には、天皇条項がありますが、第4条に「天皇はこの憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と書かれてあります。これが、国民主権の仕組みとの折り合いをつけていると言っていいでしょう。現行憲法下では、主権者は国民であり、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となる天皇ではありません。この矛盾を、将来国民の総意で、国民主権の方向で解決しましょうと言っているのです。そのためには、今後に渡って長く議論が必要だということは、日本共産党も重々承知しているところです。

 天皇をいただきに据える戦前のような社会を目指す人々や、天皇の政治利用を考えている人々からすれば、けしからんと思うことかもしれません。これは民主主義の発展に伴い、いつかは正面から議論することになることでしょうね。

 日本共産党は、天皇制の廃止を目指す。これは事実ですが、そこだけを取り出して「だから協力するな」というのは、JAPAN Guardiansの一方的な見解であり、日本共産党の主張の中身をよく見ていないか、あるいはわざと無視しているとしか思えません。JAPAN Guardiansは民主主義、国民主権には反対だということでいいのでしょう。

 


核兵器は廃絶を

2017-08-10 | 雑想

 小学生の頃、夏休みの8月6日は登校日でした。広島への原爆投下の日で、この日は「平和授業」と言ってたっけかな?戦争に関するお話が毎年恒例で行われていました。

 群馬に来て子どもが生まれ、小学生になって夏休みの予定表を見て、8月6日が登校日でないことに驚きました。てっきり、全国でやっているものと思っていたのです。

 群馬出身のカミさんに聞いてみると、カミさんもそのような記憶はないとのこと。ショックでした。

 なぜ福岡で8月6日が登校日だったのか。私の勝手な憶測ですが、当時小倉が標的にされていたことや福岡でも大規模な空襲があったことなども理由だったのかもしれません。

 ある時の登校日では、福岡大空襲の体験談を、学校放送で行い、生徒はその放送を聞いたことが記憶に残っています。

 日本共産党員の両親の元に生まれた私は、おそらく周囲の人よりも核兵器や戦争について考える機会は多かったと思います。「はだしのゲン」は言うに及ばず、絵本も原爆や戦争をテーマにしたものが家にありました。

 小学生の修学旅行で長崎に行き、原爆資料館にも入った覚えがあるし、それ以前にも、原水爆禁止世界大会が長崎で行われた時には、母に連れられて行った記憶もあります。

 

 

 核兵器や戦争に対して、幼少の頃から「絶対悪」である教育を受けた私にとって、核兵器廃絶への道を行くことは当然のように思いますが、なかなかそうは行かない現実も知っています。

 それだけに、国連が核兵器を「絶対悪」と断罪し、禁止条約を採択したことは、歴史的な前進だと受け止めています。

 「核廃絶」や「戦力を持たない平和」を言うと、「平和ボケ」「お花畑」などと揶揄する声も聞かれますが、ここに至るまでの道が平坦でなかったことは、私は知っているつもりです。いや、私の知る以上の努力がされていたことでしょう。高校生の時、クラスの級友に「核兵器廃絶を求める国際アピール署名」への協力をしてもらったことがあります。この時のみなさんの協力も、ここへ至るまでの力になったはずです。

 

 太平洋戦争後も、日本は幾度となく戦争に巻き込まれる危機を乗り越えて来ました。今日の平和は、それを願う人々の、多くの国民のみなさんの不断の努力によって勝ち取られたものであり、その努力は、安易に戦争への道を行こうとする勢力のそれより、はるかに困難で、苦労を伴うものだったはず。ボケることなく、お花畑を夢見て続けられた運動と努力が、今日に至っているのだと確信しています。

 戦争の本質を知らず、核兵器の脅威を真面目に知ろうとしない安倍政権こそ、「平和ボケ」と言うべきだと思います。

 

 毎年この頃になると改めて平和について考え、それに伴う想いも溢れ出てくるため、文章が長くなる上にまとまりませんが、核兵器禁止条約を日本が批准すること、そして、核兵器廃絶に向けて、私は私にやれることをこれからも続けたいと思います。


やったぜ!

2017-07-04 | 雑想

 ...というほど、私は何にもやっちゃいないのですがw

 

 2日投開票で行われた都議選。私の所属する地区委員会は文京区へお手伝いに。私自身は、7月から職場に復帰し、復帰したと思ったら終わっていたわけで...。

 

 事務所に訪れる党員はちょっと複雑な表情でした。日本共産党の議席が増えたことはもちろん喜んでいるのですが、応援に行った文京区では僅差で議席に届かなかったことが無念でならないそうです。

 なるほど、言われてみれば、私自身はお休みしていたので、今回は何もできませんでした。そのためか、他の方よりも一歩引いたところで、この都議選の結果を見ることができました。

 

 「自民VS都民ファースト」との対決構図がメディアで散々流され、あたかもこの構図しかないような雰囲気の中、それでも日本共産党が議席を増やしたというのは、とても重要なことだと思います。

 自民党が不人気な時には、泥舟から逃げ出すが如く「新党」なるものが現れ、「反自民」を標榜して、票を集めるのが常です。今回は、その役割を「都民ファースト」が担ったものと思われます。

 そして、こういう時、日本共産党は大抵「蚊帳の外」に置かれることになるのですが、今回は違いました。タイトルの「やったぜ!」は、まさしくそこへの思いです。

 これは、多分に国政での動きが影響しているものと思います。「戦争できる国」づくりや、「森友」「加計」疑惑に対する与野党の態度がどうだったか...。

 

 自民党は、こんな時必ずこう言います。「国政と都政は別」だと。しかし、その言い逃れを都民が許さなかったということでしょう。国民の多くは、安倍政権に対して怒りをもっているのだというあらわれではありませんか?

 自民党は今回の都議選で、歴史的大敗を喫しました。この原因は何だったか?多くの人は、「国政における安倍首相の振る舞い」「安倍内閣の閣僚の言動」だと答えることでしょう。だとすれば、今回の自民党敗北の責任は他ならぬ安倍首相にあると言えます。

 ところが、安倍さん本人は自覚していないのか、責任には一切触れない。これだけの敗北を喫していながら、です。「反省すべき点は反省する」と言ってますが、ここまで無責任な人が総裁をつとめ、まして国の代表者として居座り続けるのは、国民にも、国際的にも恥ずかしいことではありませんか?それとも、本人は恥ずかしくないのか?