幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

遠山桜と天保十一年春の気温

2012-06-15 08:58:28 | Weblog

ご存知、長屋の金さんには桜吹雪の刺青があります
「この桜吹雪が目に入らぬか」           
大阪市長と江戸町奉行ではどちらが偉いかは分りませんが        
橋本氏と金公が同じ時代に生きていれば大喧嘩になったに違いありません。

はたして、北町奉行、遠山左衛門尉景元殿が長屋にすみ
背中に派手な桜吹雪を背負っていたかどうかは知るよしもありません。

ただ遠山左衛門尉景元は日記を残しています。
日記は、遠山金四郎家日記として出版されていて、家人が交代で書いています。
日記の内容から察するに、金四郎は絵画とか能など芸能は好んでいたようですが、
常軌を逸脱した行動は記されていません。

遠山景元は寛政五年に生まれ、天保十一年北町奉行、同十四年大目付
弘化二年南町奉行になり嘉永五年まで勤めています。
長く町奉行を務め、江戸町人から信望もあったことが察せられます。
小説になったのは、山手樹一郎の「遠山の金さん」が最初のようで、
昭和36年と、意外に新しいのでびっくりしました。

遠山左衛門尉景元氏が北町奉行になったのは、天保十一年三月二日のことで、
西暦に直すと1840年の4月4日であります。
時期が、なんとなく桜に関係がありそうなので調べてみました。


東京の桜開花の現在の平年値は、3月26日です。
ただ天保十一年の気温は図のようになり年間の平均温度では約3度ほど
現在の平年値より低くなっていました。
3月だけを比較しますと4.6度も低くだいぶ桜の開花も遅かったと思われます。
外の文献を当ってみますと、渋谷の山荘に住居する碩学、松崎慊堂氏の日記の
天保十一年三月十一日の記事に、桜花ひらくこと二分,桃花はまさにさかり【慊堂日暦】
とありました。

山荘より暖かい江戸市中は開花が早かったはずです。
新奉行、遠山左衛門尉景元氏が就任するや否や、桜が咲き始めたことでしょう。
背中の桜吹雪はその時の印象が、何かの形で残っていたのかも知れませんし、
山手樹一郎氏の創作かも知れません。

とりとめもない話になってしまいましたが、味気ないグラフから天保十一年の気分を
味わって頂ければ幸いです。
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