幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

天保十二年七月四日、 八王子恩方で人足繁蔵溺死 カッパの所為しょうか

2012-06-24 18:09:22 | Weblog

天保十二年七月四日、西暦になおしますと1841年8月20日で、場所は東京都八王子市恩方のことであります。

8月20日の八王子は晴れで、グラフを見ていただきますと分かりますように、
当日は摂氏28、9度ととても暑い日でした。
(右から二つ目の気温のピークで8月では2番目の気温となっています。)


「苦熱」と江戸の松崎慊堂の日暦にはあります。

水車の樋掛けに、安下から働きに来ていた繁蔵が、あまり暑いので、昼休みに大勢の子供を連れて堰に水浴びに行きました。
子供が好きな、気の良い人だったのでしょう。
子供の前で水門から、御宮の下まで泳ぎ、もどる途中事故は起こりました。
帰りの中程で沈み、三度ほど手を出したのですが、そのまま沈んでしまいました。
すぐさま、騒ぎとなり大勢で介抱したのですが、繁蔵そのまま亡くなりました。
こうもんが破れていてなんとも不気味だったと「尾崎日記」には書かれています。

今でも、暑い日は必ずといっていいほど水の事故がありますが、私の知る限りでは皆泳ぎの上手い人ばかりです。
実は私は金槌で柄も金属同然ですので全く水に近づきません。これは自慢になりますかな。

ところで、この話しには後日譚があります。
八王子恩方では、水の事故は三年続いていました。
そこで、住民拾二軒が集まり相談した結果、施餓鬼法要を営むことになりました。
この事件の五日後七月九日、近辺のお寺から和尚さんや弟子も沢山来て、盛大な法要が営まれました。

その費用は拾二軒で割り勘となり、一軒当り、二朱ト七百七十文でした。乱暴ですが、一朱を四百文と計算しますと、千五百七十文、一文を十円としてしまいますと、現在のお金で一万六千円ほどの割り前でしょうか。

今は絶滅危惧種の河童の行いかも知れません。
この事を友人に話しましたら、鼻で笑われました。

鼻で笑った友人が幸せか、神に祈った村人が幸せか、
不可解なものを不可解として理解できない今の世の中ふかかいですなあ。





とゆうわけで、きゅうりは私からの供物です。


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2 コメント

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河童からげて (ぽんた)
2012-07-05 22:24:09
こんばんは。
記事の「八王子市恩方」ってどこかしら、と検索してみたら「北淺川」という川がありました。
淺川と言えば、土方歳三の生家の家伝薬「石田散薬」の原料となる牛革草が自生している所。その薬の製造法は「河童大明神」に教えてもらったとか・・。
もしやこの事件が河童のシワザだとしたら、大明神のご子孫でしょうか?
ちょっと怖い河童さんだったのですね
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さすが、詳しいですね。 (いろは丸)
2012-07-08 18:32:35
お元気ですか。
こちらの方は湿気の多い日が続いています。
河童は湿気に強いでしょうね。

恩方の事は全く調べずに書き込みましたが、
さすが、詳しいですね。
石田散薬ゆかりの河童とは恐れ入りました。

先日、近くに熊が出ました。
河童の話は伝説のみで、とんと聞きません。
江戸時代には、日本全国に生息していたのでしょうか。
やっぱ、怖いかもしれませんよ。
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