幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

空梅雨に蛮社の獄(天保1939年)

2011-12-11 17:16:40 | Weblog
 前回、1839年(天保九年から天保十年)の江戸の気温を現在の気温と比較してみました。
夏の暑さは現在の平年値を上回るほででした。
また、天保十年は蛮社の獄の年です。今回は天保十年五月十八日(1839年6月29日)の夜、高野長英が北町奉行所に出頭した時の
天気を調べて行きたいと思います。
5月(新暦6月11日)に入ってからの江戸の天気を見ますと、本来でしたら梅雨空に雨の日が続くはずですが、江戸神田の月岑日記には「天気よし」の記載が続いています。五月に雨の記載があるのは、5/6,5/13の二日にのみで、5/11には「此の節暑気催す」とあります。
天保十年は、空梅雨でした。
この五月に蘭学者や進歩的な知識階層に激しい弾圧が加えられました。
渡部崋山は逮捕され、小関三英は自殺、高野長英は北町奉行所に自首しました。


(天気図)



上の天気図が高野長英が北町奉行に自首した、天保十年五月十八日夜の天気図です。夜とは言うものの天気データが乏しく、史料がない場合は昼の記事を利用しています。記述のある史料では、夜になるにしたがって、天気は悪くなって来ていますので、実際の天気は天気図の記号より、もう少し悪かったと思われます。
また、高気圧や低気圧、前線の位置は傾向を示したもので、実際とは大分ずれがあることをご了承下さい。
実際の天気概況は、太平洋高気圧の勢力が強くなり、梅雨前線を北上させ晴れて暑い日が続いています。



これは天保十年五月十七日から~二十日日までの気温の時系列です。
晴れの日らしい日較差の山が続いています。
長英が出頭した五月十八日の江戸の天気は、朝は曇りでしたが、昼前から晴れ、気温がぐんぐん上昇して、最高気温は、30度に
達したと考えられます。


長英が十九日に入牢した小伝馬町の牢屋はどんな臭いだったのでしょうか。
想像するだけです。

鳥居甲斐が羽倉簡堂に海岸調査の内容で差をつけられて、嫉妬から蛮社の獄は始まったとの説もありますが、
女の嫉妬より男の嫉妬の方が恐ろしいような気がします。

話しは変わり、全く私事ですが、天保十年七月二十七日(西暦では9月4日)先祖の初代、松野屋勘七が亡くなっています。
其の時の宮城県涌谷町の天気は、「朝冷気にて袷単物着用致し候同朝くもり、、、四ッ時より晴候て照り申」【花井日誌】
とあり、秋の訪れは以外に早かったと思われます。
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