おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-20 13:42:23 | 元荒川

「川島久伊豆神社」脇の解説板。

              「元荒川の水はどこから来るの? 」

「久伊豆神社めぐり」。

「宮前橋」。

下流方向。

上流方向。

              

左に向かうと、JR宇都宮線「蓮田駅」に出ます。

蓮田市のマンホール。

            蓮田市の木「ハナミズキ」のカラーデザイン。

橋のたもとに「元荒川」解説板。

元荒川(もとあらかわ)
元荒川は、熊谷市から南東に流れ、白岡市で野通(やどおり)川を、蓮田市で星(ほし)川を合わせ、吉川町で古利根(ふるとね)川(中川)に合流する、長さ約六〇キロメートルの一級河川である。
現在県中央部を流れる荒川(あらかわ)は古来しばしば流路を変え、県東部地区低地を乱流していた。江戸時代初期の荒川は、現在の元荒川の流路を本流とし、一部は分流として現在の綾瀬(あやせ)川の方にも流れていた。このため沿岸一帯はしばしば大きな水害を受けたので、関東代官頭伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)は現在の桶川市に堤防を築き綾瀬川への流入を防いだ。しかし、これだけでは根本的な解決にならず、寛永(かんえい)六年(一六二九年)には、荒川の流路を変えることとし現在の熊谷市久下(くげ)地先で荒川を堰き止め、その流れを入間(いるま)川の支流の和田吉野(わだよしの)川につないだとされる。こうして、新しい流路を荒川と呼び、旧流路は元荒川となった。
平成二年三月   埼玉県蓮田市

背後の河川敷は、「空飛ぶアヒル夢公園」。

                       ※たくさんのヒマワリが大人気のようです。

上流に向かって歩きます。

            

上流にも公園が続きます。

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東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-15 14:31:49 | 元荒川

草刈りを行った後なので、歩きやすい。

次の橋まではけっこう歩きます。

右手には一面、田んぼが広がります。

県道が奥に。

川面。

この付近の今昔。

(現在)。自然堤防が舗装道路に。

(1880年代)。幅広い流路と河川敷が混在。

振り返る。

大きく右に曲がっていきます。

       

県道に合流、木陰で一休み。

「はすだセントラルクリニック」。

やっと川島橋に出ます。

しかし「なかよし橋」と。

右岸に移ります。

バス停「橋場」。

「東北自動車道」。

       ↑「蓮田SA」。

左手に築山が。頂上まで参道があります。

大木の根っこだけ残され、木々が取り払われ、整備されています。

「川島の富士塚」。 

都内ではいくつか残っていますが、久々に見ました。

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東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-14 13:38:07 | 元荒川

右手は工業団地。

          

「元荒川水管橋」。

※元荒川水管橋は城北大橋から500m上流に架けられている。元来は水管橋(元荒川の上を水道水を渡らせるためのもの)だったが、平成14年に改修され、歩行者も渡れるようになった。

             

上流方向。

下流方向。

土手沿いの道を進みます。

「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。

※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。

民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事です。由来は200有余年前に集落内に悪い病が入り「魔除け、災難除け、疫病除け」として『大蛇(だいじゃ)』を作り、集落境界の2ヶ所に立てたと言われています。集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は細く作りますが、これは何でも悪いことは食べてしまうようにとの願いが込められています。
胴体の巻き方は、注連縄と同じ「左巻き」に撚って作られています。藁で全長約2メートルに作り上げられた大蛇は、「破竹(はちく)」と呼ばれる竹に刺し、現在は3ヶ所に立てられています(東岩槻方面への新たな道路の完成によるため)。以前は、大蛇と共に榛名神社のお札(家内安全・五穀豊穣)を辻札として立てていたようです。これは春祈祷行事も兼ねていたものと思われます。

以前は5月1日でしたが、現在は5月の日曜日に実施されています。令和5年は5月7日(日曜日)に行われました。
かつて、向いの笹山地区でも実施されていましたが、現在は行われていません。伊豆島の大蛇は、市内で唯一現存する藁作りのフセギ行事です。

「伊豆島の大蛇全3ヶ所の北側」。

(この項、「蓮田市」HPより)

※「西側の大蛇」を見逃してしまいます。

道脇の電柱にあったようです。

(「Wikipedia」より)

民家の垣根沿いに木船。

林の中の道を進みます。

川沿いの道へ。

集落を振り返る。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/1d/3d474609a3b5961f13ab644ad3611166.jpg">河川敷の小道に入ります。

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東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第3日目。)

2024-07-13 13:37:00 | 元荒川

今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線も東武線からJR線になります。

「東岩槻駅」。

東武線鉄橋の上流へ出ます。

「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。

この付近の今昔。

               (現在)

東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。

               (1970年代)

元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。

土手沿いの道(左岸)を歩きます。

右手は住宅地。

上流に「慈恩寺橋」。

             

河川敷に畑が広がっています。

                               (1880年代)河川敷が広がっています。

                                (現在)かつての河川敷が農地となっています。

              水道橋が左手奥に。

畑の正面に「水道橋」。

「城北大橋」。

下流の水道橋を望む。

この先に人も歩ける「元荒川水管橋」があります。

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東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

2024-07-11 15:51:17 | 元荒川

国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。

下流方向。

          上流に「新曲輪橋」。

「国道16号線」は首都圏の幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。

(「」より)

           春日部方面。

「新曲輪(くるわ)橋」。

右岸奥周辺が「岩槻城址公園」。

岩槻は「日光御成街道」歩きのときに通りました。

※「本郷追分」で中山道と分かれ、「幸手」で日光街道と合流する。

モニュメントの人形。

旧岩槻市のマンホール。

蓋を三等分し、上部には岩槻城黒門と桜の花、右には園内の池にかかる朱塗りの八つ橋、左には岩槻城鐘楼と市の花「ヤマブキ」がデザインされている。汚水蓋。

「岩槻橋」。

岩槻橋は、第二次緊急輸送道路である主要地方道さいたま春日部線(都市計画道路岩槻中央通り線)と一級河川元荒川の交差箇所に位置し、さいたま市の副都心である岩槻駅周辺地区を横断する路線の一部として重要な橋りょうです。
現在の岩槻橋は幅員が狭く、歩道も片側のみの設置であることから、通行車両や歩行者等の安全確保が課題となっております。一方、車道橋については昭和16年の竣工後、約80年が経過し、老朽化による損傷が著しい状況であり、また現在の耐震基準を満足しておりません。
そのため、歩行者や自転車等の安全性向上や緊急輸送道路の耐震化などを目的として、岩槻橋を架け替え、それにあわせて必要となる現道の影響範囲区間を都市計画道路として整備を行います。(「さいたま市」HPより)

工事中の新橋。

下流方向。

東武線の鉄橋が見えてきます。

今回、川歩きはここで終了。「東岩槻駅」に向かいます。

東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。

かつては「野田線」という名称でした。

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