いったん国道246号の東南に進んだ都県境が再び西側に移ります。
「横浜みどりの森(墓園)」の西をかすめるように進みます。
住宅街を歩くことに。
都県境からは西に外れてしまいますが。
左の森が都県境。
テニスクラブの素敵な建物。
さらに、都県境は、「森村学園」の西側を進みます。生徒がたくさん下校中。
東急田園都市線「つくし野駅」。
右手奥が都県境。
この付近で、線路を越えて都県境が来ます。
都県境を進むと、JR横浜線に突き当たり、さらに、東急長津田検車区へ。
横浜線の踏切を通り、跨線橋で向こう側に。
横浜線。正面が東急田園都市線。
大きな車両基地。
右手、中央付近を都県境(町田市と横浜市)が通っています。
長津田駅方向へ。横浜市のマンホール。
この付近が都県境?
すでに横浜市内に。
横浜ナンバーの車。
横浜市のマンホール。
ベイブリッジがモチーフ。ローマ字で「OSUI」と刻まれている。
車両基地を望む。
都県境は、左手の森付近から車両基地を横切り、右手へ。
「こどもの国線」。
1959年(昭和34年)に、当時の皇太子明仁親王の結婚を記念して旧日本軍田奈弾薬庫跡地の丘陵に1965年(昭和40年)に開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1967年(昭和42年)4月28日に開業した。
当時の国鉄長津田駅から田奈弾薬庫への専用線を利用している。
こどもの国駅からは現在の緑山スタジオ・シティ、三輪緑山付近を経て小田急小田原線の鶴川駅までの延伸案や、同線玉川学園前駅への延伸案があった。
開業初期には大井町駅からの直通臨時快速列車や小学生の遠足などの団体列車の運行もあった。
1986年頃から沿線の大規模な宅地化が進み、沿線人口の増加によって通勤需要が高まり、公益法人としての目的から逸脱するため、こどもの国協会は1997年(平成9年)8月1日付で第三種鉄道事業を第三セクター横浜高速鉄道に譲渡した。
さらに行き違い可能な恩田駅を新設し、2000年(平成12年)3月29日から全時間帯運行し沿線住民の通勤需要も担う通常の鉄道路線として営業を開始した。
新設された恩田駅付近には長津田車両工場があり、東急電鉄と横浜高速鉄道に所属する全車両の整備と、地方に譲渡される車両の改造などを行っている。
(この項「Wikipedia」参照)
長津田駅(東急田園都市線。)
2010年代のようす。丘陵地帯が開発されている。 1880年代のようす。都県境は変わらない。
今回は、ここまで。都県境が入り組んでいて、二駅間を歩きました。次回以降も、町田・横浜・川崎の都県境を行き来することに。
東急田園都市線で帰途につきました。
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