全国を震撼させた小樽港湾ゼネスト(その5) 勝利解決 1927年の労働争議(読書メモ)
参照 「北海道社会運動史」渡辺惣藏
「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研編
「協調会史料」
小樽港湾ゼネスト解決へ
小樽港湾ゼネストは小樽市内の資本家を震がいさせたばかりではなく、全北海道の資本家階級全体を震え上がらせた。彼らは小樽港湾ゼネストが自らの港、工場、鉄道、炭坑等にも波及するのではないかと本気で怖れた。実際この年1927年から28年にかけて北海道全域にわたって争議が頻発し、工代会議が各地で設立されている。全道の資本家階級は小樽港争議の早期解決を小樽港の小樽商工会議所や資本家に強く要望した。小樽商工会議所や商工連合会は連日にわたって争議解決のための会議を重ねていた。また、彼らは小樽港湾ゼネストに対する小樽市民や全道の声援や同情の高まりにも大きな危機感を抱いた。危機感を抱いたのは北海道の資本家だけではなかった。内地の資本家階級、官憲や当局も同じであった。7月2日には、東京から小樽港湾ゼネストの実状調査と称して協調会の常務理事がわざわざ来樽している。
こうした情勢の中、6月27日以来、小樽商工会議所を中心に執拗な争議調停工作が続けられた。事業所や親方の組は73を数えるほど多かったから、資本家側の統一も困難を極めた。しかし、曲卜手宮石炭部が、争議団の要求事項14カ条のうち13か条までを承認してことで資本の一角が崩れた。これがきっかけとなって、7月7日午前5時にいたって、前夜4時からの徹夜交渉で労資の合意が達し、1ヵ月にわたって全北海道をゆさぶり通した小樽港湾ゼネストもついに解決した。
調停条項
一、無条件復業希望者は労資協定の精神を表示したる契約書を差し入れ、事業主はできる限りこれを復帰せしめること。
一、定夫に復帰し得ざる者に対しては金30円を支給す。但し復帰の交渉に応ぜず、又は自己の勝手にて復業せざる者に対しては何等の支給はせず。
一、既定賃金の割引撤廃に関しては、商工会議所および商工連合会に陳情し、荷主互譲して出来得る限り実現に努力すること。
一、公務負傷の治療費親方負担は、協調成立の即日より実施す。
一、公休日2日の制定は協調成立後一ヵ月中に決定すること。
一、水揚高の公表は、既定賃金割引撤廃後に実施すること。
一、自由労働者の公務負傷規定は定夫の四分の三以上を支払う。
(しかし、争議解決の原則的協定は成立しても、73を数える事業主があるため、また企業別、業種別、資本別に、それぞれ格差があるなど、ごだごたがあちこちで続き、完全に解決したのは7月16日であった)。
(次回)
北海道各地に勃発するストライキの波 1927年労働争議(読書メモ)