上・村松時計製作「目覚」時計(1926年)
村松時計製作所争議 1927年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」
村松時計製作所争議
皇室御用達として銀座に店を持つ村松時計店。豊島郡西巣鴨町池袋の個人経営の村松時計製作所の工場では200名労働者への賃金未払い、遅配が頻発していた。その上前年末には大幅な賃下げも強要してきていた。次いで1927年1月6日、「目覚部」50余名労働者全員を解雇してきた。全労働者は評議会・関東金属労働組合北豊島支部に加盟していた。1月10日正午より全員が会社食堂において従業員大会を開き、解雇と賃下げ反対を決議し、代表11名で会社に解雇と値下げの撤回を申し入れた。しかし、会社は即座にこれを拒絶したため、争議団を結成し池袋の空き家を借りて争議団本部とした。
(地域ビラ)
!! 町民諸君 !!
我々は決して無理な要求をするものでもなければ、又、事を好んで行うものでもないのだ。ただし働いた金も支払わず、しかも無警告に70余名も首にする。こと事に至っては我々はもはや黙っては居られません。
問題は常に、より以上儲けんとする資本家より起こされたので、我々は右に述べた種々の不当な行為に対して、自己の生活を守るべく戦うのであります。
西巣鴨十万の町民諸君に、この我々の真情を声援し、賢明な公正なる御批判とご助力を頂きたく、ここに町民の・・に訴ふものであります。
1927.1.8
日本労働組合評議会関東金属労働組合
村松時計争議団
従業員一同
西巣鴨町池袋九三四 高野方
(職場ビラ)
村松全従業員諸君に訴ふ!!!
―目覚部全員の解雇は賃金値下げの前提だ―
全従業員諸君!! 我々目覚部50余名の全員解雇は何を意味するのか? 村松工場主が行詰まった営業状態を打開していくらかでも利益を挙げて行くには、どうしても全職工の労働条件を極限に低下しなければならぬ。しかし、賃金の値下げをなすことは、前回の値下げのごとく全員の反対を受けて事件を一層拡大する。それを恐れた彼村松は先ず一部の解雇で全員の腰の強さを見たのだ。
もしこれに反対運動が起らないと見れば、直ちに賃金値下(請負単価の値下)を行い、更に全員解雇をすべく二段三段の計画を企てていることは明白な事実だ! 吾々の解雇は以上のごとき全員に対する労働条件低下の瀬踏である。やがて仕事始めと共に諸君らの頭上にも値下げの宣告が下されるであろう。彼等もまたそれを言明しているではないか?
諸君が我々と共に解雇に反対することは彼村松恵一をして、全従業員の結束の前に畏怖せし、彼をして労働条件の低下を断念せしめその計画を放棄せしめることになるのだ。
・・・・・・・(略)
諸君も直ちに起って吾々を支援せよ!!
吾々を見殺しにするな!
解雇に反対せよ! それは諸君の生活を守る唯一の手段だ!
全従業員団結せよ!!
1927.1.2 村松時計製作所 解雇者一同
(工場閉鎖)
会社は1月9日より工場を閉鎖しつつ、部長らが労働者宅を訪ね争議団員の切り崩し攻撃をはじめてきた。
要求
一、賃金未払い分を即時支払うこと
一、工場閉鎖を直ちに取り消し、従前の賃金にて全員を復職せしめること
一、工場閉鎖を直ちに取り消しできない時は、解雇手当として一人あたり日給5ヵ月分を支給すること
一、本問題解決まで全従業員に日給全額支給すること
一、争議費用は全額支給すること
1月10日午後7時頃、争議団員約20名は京橋区銀座の村松時計店を訪問し、工場主村松恵一に面会を求めたが官憲の介入で目的は果たされなかった。12日夜8時半に再び店を訪ねた。
(持久戦を決定)
1月13日、争議団本部に集合した争議団員は持久戦を決めた。17日銀座の村松店に行き、あらためて要求書を提出した。
(解決)
1月20日午後5時半より銀座村松店において、はじめての労資の交渉があり、賃下げ問題、解雇問題、組合切り崩し問題について話し合いが行われ、以下のように賃下げ問題が解決した。解雇問題なども近々解決の見込みである。
記
一、賃下げは1月26日より満一ヶ月間だけ実施し、今後は生活の脅威無き程度に改め解決していく。
一、争議中の日給は5日分支給する
一、金一封を支給する
一、不払い賃金を支給する
以上