先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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日清紡績亀戸工場と西新井工場のスト 1926年の労働争議(読書メモ)

2023年02月24日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動

上・日清紡績争議団のビラより(1926.6.14)


上・評議会・東京合同労組・日清紡績争議団ビラ
「われらは屍の上に戦う」1926.6.15


写真・丹野セツと渡辺政之輔

日清紡績亀戸工場と西新井工場のスト 1926年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」日清紡績株式会社争議状況

東京南葛飾郡亀戸町の日清紡績株式会社には労働者2,900名(女性約2千名)で多くの労働者は総同盟関東紡績労働組合に組織されていた。関東地方評議会東京合同労働組合の少なくない組合員もいた。

(亀戸工場の争議の原因)
1926年5月頃、日清紡績労働者の多くの組合員は、総同盟の右傾化に怒り、総同盟関東紡績労働組合をやめて関東地方評議会東京合同労働組合に加盟すべしと盛んに運動を起こしていた。6月10日これを嫌った会社は、評議会の動きをつぶさんと3名の労働者を突然解雇してきた。聞きつけた寄宿舎の女性労働者一同は大いに同情し、3名に応援を誓った。ただちに東京合同労働組合は職工大会を開き、解雇された3名の復職要求と組合承認、待遇改善などの要求書を決議した。

(会社)
会社はならず者暴力団や消防夫を多数雇い入れ「自警団」を組織し、また10数名の正服警官で工場内を厳重警戒させた。

(警官隊と衝突)
6月11日午前5時半、労働者約10名が工場の塀を乗り越え侵入し、呼応した夜勤中の労働者と一団となり食堂に至り、食事中の約600名の労働者に共に闘おうとアジテーション演説を続けた。駆け付けた警察官や自警団と乱闘となり、その場で約10数名が逮捕された。それを見た寄宿舎にいた女性労働者は全員仕事に就くことを拒んだ。あわてた会社は組合に好意的な約50名をその場で「出勤停止命令だ」と工場からの退場を命じてきた。この会社の脅しに寄宿舎の女性たちはしぶしぶ仕事場に入場した。

(要求)
6月12日、東京合同労働組合の代表と日清紡績労働者は、会社に職工大会の決議と要求書を提出した。
要求書
一、待遇改善
一、賃上
一、3名の解雇の撤回
一、組合加入の自由

会社はただちに拒絶してきた。

(工場突入)
6月13日、休業日のこの日、会社は約1千名の労働者を懐柔させようとみなを娯楽場に集め活動写真を見せようとした。まさに上映が開始するかという時、赤旗を先頭に約100名の一団が疾風迅雷に正門を突破し、娯楽場に突進した。工場で待機していた日本刀、短刀や丸太棒などで武装した自警団、ならず者暴力団や職制が襲い掛かり、大乱闘となり、組合員に多数の負傷者が出た。この場で約40名が検挙された。

(*丹野セツ工場に潜入し、食堂で女工たちにアジ演説)
6月14日早朝、日清紡績亀戸工場で働いたことのある東京合同労組の丹野セツら二人が、特高警察と暴力団、守衛の目をくらまし首尾よく工場に潜入し、食堂で食事中の女性たちにビラを撒き、アジテーション演説を行った。亀戸警察官がかけつけ二人はその場で逮捕され、亀戸警察、市川刑務所におくられた。

「朝の六時の交代時間に入っていく女工さんの列に紛れて門を入るのです。スト中の門には特高と抜身の日本刀をぶらさげた暴力団もずらり並んでいます。ピカピカに光る抜身の間をぶるぶる震えながらくぐりぬけ、女工さんたちの食堂に入り、ビラを撒き、アジ演説を始めましたが、たちまちつかまり、がんじがらめにされて亀戸署に連れてゆかれました。『文書偽造(にせの出勤簿のことですかね)、家宅侵入罪』で市谷刑務所に送られましたが、不起訴になり、裁判所で釈放されました」(「革命運動に生きる」丹野セツ 勁草書房)
*丹野セツ
(南葛労働運動以来の組合員、元東洋モスリン女工。1924年東京合同労組の指導者渡辺政之輔と結婚、日清紡績亀戸工場に女工として潜りこむがすぐにばれてクビになる。日本労働組合評議会に加盟し労働運動に奮闘した。1926年日清紡績亀戸工場争議支援で逮捕された。日本共産党再建で入党、党婦人部長。1927年関東婦人同盟に加入。1928年8月に検挙され、1932年懲役7年の判決。非転向を貫き、1938年宮城刑務所を満期出獄。戦後は1956年東京都葛飾区に四ツ木診療所を開設し、労働者の医療活動につくした。)

(会社の暴力)
会社のならず者暴力団や職制は、日本刀、短刀、丸太棒、鉄パイプなどで武装し組合員を襲撃した。6月15日、評議会と東京合同労働組合、日清紡績争議団は「われら屍の上に戦う」と悲痛なビラを撒いた。

(争議団)
日清紡績争議団と応援団は、持久戦に備え、行商隊を組織し即時活動を開始した。また争議団員の家庭訪問及び慰問による家族との結束をはかった。そして全国の労働組合に檄文を送り支援を要請した。

(会社)
6月15日にいたり、工場長は、出勤停止にされた者を出来る限り復職させたいという意向を示めしてきた。

(日清紡績西新井工場女性たちも決起)
この年の11月、南足立郡梅島村の日清紡績株式会社西新井工場(労働者1,607名、うち女性1,273名)で、会社が労働強化を命じてきた。これに反発した寄宿舎の女性労働者から労働強化の撤廃か、さもなくば賃上をとの要求がだされた。即座に横田工場長が拒絶してきた。11月9日、91名の女性たちは午前6時頃寄宿舎をひそかに抜け出し、裏門より江北村荒川放水路脇に集合してストライキを敢行した。
会社は非常に狼狽し、ただちに社員を向かわせ彼女らの慰撫にこれ努めた結果、ようやく午後4時頃彼女らを工場に連れ帰った。しかし、11日、横田工場長の言行に怒った女性たちは一斉に労働を放棄し寄宿舎に戻って再びストライキに突入した。会社は横田工場長を先頭に18名の女性たちを暴力的に拉致・監禁するなど強引なストの切り崩しをはじめたが、怒った女性たち一同は一丸となって横田工場長の部屋に押しかけ「仲間を返せ」と迫り、泣き叫び、廊下のガラス戸を破壊するなど喧騒を極め、ついに奪われた仲間たち全員を実力で奪還した。こうして会社の切り崩しは全く失敗した。

(西新井工場争議の解決)
11月12日午前10時頃、本社工場長がかけつけ女性たちを必死に慰撫し、ようやく午後1時に解決した。全員13日から仕事についた。
解決内容
一、検査は従来通りとすること
一、横田工場長と紡績主任は更迭する

女性労働者91名ストライキの全面勝利だった。
以上



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