ストまっ最中に3.15弾圧! 評議会日本光学工業争議328名の全面敗北―1928年の労働争議(読書メモ)
参照・協調会史料
ストまっ最中に3.15弾圧! 評議会日本光学工業争議の全面敗北
1928年2月、海軍、陸軍の軍器を製造する会社、芝区三田の日本光学工業豊国工場の評議会関東金属労働組合豊岡分会(435名中組合員230名)は、評議会本部の方針に従い、我が国初の普選投票日2月20日当日午後を公休とするため、4名を労働者代表として会社に「総選挙投票日午後を賃金保障の公休に」と申し入れた。また職場でも「総選挙投票日午後を公休に」と職場運動を繰り広げた。2月10日の昼休みに、キカイ工場、仕上工場、工具場、ターレット工場の職場で、各職場大会を開き、各職場の主任に「投票日午後を公休」要求を提出し、そして更に午後三時半事務所に押しかけ、従業員に一言の相談もなしに、勝手に休日を繰り替えた者に抗議した。会社はこれを職場の秩序を壊したとでっちあげて、この4名の代表に対し無期出勤停止処分の弾圧を加えてきた。怒った労働者は2月13日昼休みを利用して従業員大会を開き、「投票日20日の公休」と4名の無期出勤停止の撤回を申し入れた。
(従業員懇親会)
2月17日午後4時30分より三田玉国寺において約150名で従業員懇親会を開催した。しかし官憲は次々と組合員の発言を「弁論中止」と禁止し、ついには集会自体を解散させた。4名の無期出勤停止に抗議して大井工場の労働者も呼応して声を挙げた。労働者は翌日からは出勤はするも労働はしないサボタージュ闘争に入った。
(労農党ビラ)
中止―解散―検束! 資本家、地主共の死に物狂いの選挙干渉暴圧に吾が労農党城南支部が・・・・大衆的に抗議せんとしている。
我が豊国工場では四人の勇敢なる兄弟が無期出勤停止に遭った。豊国はもっとも勇敢なる人々の集まれる班であり、資本家に対し抗争し選挙にあたっては無謀なる選挙干渉に力強く反対し
日曜日は臨時出勤にしろ!
投票日は午後公休、日給全額支給しろ!
労農党城南支部
(職場ビラ)
投票日は午後公休!
日給全額支給しろ!
(職場ビラ)
諸君、吾々はイツマデも奴隷ではない。・・・・投票日は吾々労働階級が血と涙で闘い取った意義深い普通選挙罷行使日だ。
総員工場を半日で退場し日給全額の要求をせよ!
光学豊国工場投票日対策委員会
(解雇)
会社は、出勤停止の4名を解雇にしてきた。
(328名のストライキ)
2月29日4名の解雇の撤回を求め全労働者435名中、170名が労働を放棄し工場を退場した。組合員は工場内で宣伝ビラを配布しながら、2.30名づつ一団となり工場中の各職場を巡行し、ストライキとサボタージュを参加を呼び掛けた。正午、170名は工場を一斉に退場し、一戸を借り受けた争議団本部に集合した。最終的に、芝、大井両工場約870名中、328名の金属工場労働者がストライキに入った。
(要求)
一、出勤退場時間を10分間の短縮
一、賃上げ
一、健康保険資本家全額負担
一、解雇手当の制定
一、精勤手当の繰り入れ
一、この紛議で犠牲者を出さない事
など
(労農党ビラ)
光学の諸君!
起つ時は今だ!
大井の兄弟は起ったぞ!
資本家地主の政府を倒して
労働者農民の革命的政府を作れ
労農党
(ストライキとスト破り)
3月7日、芝、大井両工場約870名中、約328名の金属工場労働者がストライキに入った。
3月8日、芝、大井両工場の仲間の闘いに呼応したAB工場労働者は全員一週間の欠勤届を提出する同情ストライキに入った。
3月11日、会社の激しい組合切り崩しの結果、24名のスト破り労働者が工場内寄宿舎に入った。夕方、争議団「会社糾弾演説会」開催。
3月12日、さらに4名のスト破り、寄宿舎に入る。
3月13日、1名のスト破り寄宿舎に。
3月14日、争議団五反田互楽館で合同大演説会開催。あらたに7名のスト破りが寄宿舎に入る。
(3.15事件)
1928年3月15日大弾圧が勃発した。3月15日、政府は治安維持法違反で全国で一斉に評議会、労農党員、共産党員ら1,568人を検挙するいわゆる3.15事件、日本史上最大の弾圧を開始した。評議会の活動家や青年も多数逮捕投獄された。続いて4月10日には評議会、労農党、全日本無産青年同盟の3団体への解散命令がでた。こうしてたちまちのうちに日本全国の職場地域の闘う労働運動が圧殺されていった。
3.15事件は当初新聞など報道は禁止されていたが、当然評議会をはじめ労働組合の世界では誰もが知ることであった。特に、評議会内のリーダー、組合活動家の大量検挙で、闘う労働組合、評議会系の労働争議が一気に敗北させられたのだ。ここ評議会系の関東金属労働組合豊岡分会争議団は、3.15事件のわずか二日後の3月17日突然「要求を全部撤回する」と発表し、19日にはストライキを停止した。
3月15日、(3.15事件の当日)
9名のスト破り寄宿舎に収容
午后8時、古川橋付近に数百名の争議団員と応援が集合し、一大示威行動に移ろうとしたが官憲の猛烈な弾圧でたちまち解散させられる。
3月16日、スト破り13名が寄宿舎に入る。
3月17日、スト破り12名が寄宿舎に。労資交渉で争議団「要求を全部撤回する」と申し入れる。
3月18日、会社、あらたに争議団39名に解雇通知
3月19日、スト破り3名を寄宿舎に収容
(全面敗北)
3月19日、争議団はストを中止し全員就労を決定。争議団解散式。2月29日から始まった闘いは20日間の闘争の後、突然組合自ら提出した要求を全部撤回する幕閉めとなった。
被解雇者43名は争議団本部に立て籠もり、新たな争議団をスタートさせた。しかし・・・・。
以上