『MINAMATA-ミナマタ-』 予告
映画『MINAMATA-ミナマタ-』をみました。最終日10月7日にようやく間に合いました。
チッソによる有害水銀の垂れ流し犯罪で何万人もの人々が被害にあい、水俣病患者とその家族、市民、漁民は命がけの闘いに立ち上がりました。全国の心ある人々も支援し、1968年からは、チッソの労働組合員も自己批判と連帯の「恥宣言」を決議して、この闘いに合流しました。
1976年、5月4日、地検は、元チッソ社長・元チッソ水俣工場長に「患者6人を死亡、1人に傷害を与えたとして、業務上過失致死傷害罪で起訴します。1988年3月、最高裁はチッソの元社長と元工場長を、2名の水俣病患者の発症と死亡に責任ありとして、業務上過失致死傷害罪を適用し有罪と判決しチッソ幹部の刑事責任が確定します。しかし、その刑事罰の中身は禁固2年「執行猶予3年」という信じられない軽いものでした。 水俣病認定患者数は 2,283 名(2020 年 5 月 31 日付)で、水銀で殺された人も実に多くいます。多くの患者は重度の障害を負わされています。認定患者とは別に、何らかのメチル水銀被害を受け、救済対象者として認められた被害者が 67,545 名もいるのにです。巨悪の中の巨悪ではありませんか。こんな軽い刑事罰はあり得ません。
1978年には水俣病患者川本輝夫さんら14人は、歴代の厚生・通産・農林大臣と元県知事を「殺人罪と殺人未遂事件」で告訴します。しかし、81年不起訴処分が確定します。本当に間違っていると思います。川本輝夫さんらが告発したように文字通りの大量な「殺人罪と殺人未遂事件」です。この映画は水俣病はいまだ解決していないこと、福島原発事故や世界の公害被害が続いていることも示しています。
機会があればぜひご覧ください
回想川本輝夫
「水俣と向きあう~記録映画作家 土本典昭の43年~」(1)
「水俣と向きあう~記録映画作家 土本典昭の43年~」(2)
水俣病
ー石原慎太郎環境庁長官の暴言と土下座ー
裁判所の巨悪に対するこの体たらくは政治家も同様です。1976年に環境庁長官になった石原慎太郎は、1977年熊本県へ赴き、水俣病の患者施設を視察します。この時患者に直訴状を手渡された石原はその夜、会見で「これ(抗議文)を書いたのはIQが低い人たちでしょう」と発言し、さらには「補償金が目当ての、にせ患者もいる」との暴言を吐きます。水俣病患者の怒りが爆発します。患者らのすさまじい追及にあわてた石原は、胎児性水俣病の上村智子さんに土下座して謝罪する事態となります。これが日本政府の公害問題に対応すべき最高責任者境庁長官の醜悪な姿ですから空いた口がふさがりません。