先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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佐賀県基山村小作争議 1925年主な小作争議(読書メモ)

2022年08月29日 08時00分00秒 | 1925年の労働運動

写真・土地取り上げ絶対反対(場所・年不明)

佐賀県基山村小作争議 1925年主な小作争議(読書メモ)
参照 「日本労働年鑑第7集/1926年版」 大原社研編

基山村小作争議
 佐賀県基山村小作争議は1924年(大正13年)11月にはじまり1925年(大正14年)11月に解決した。

 1924年(大正13年)10月、佐賀県三養基郡基山村、基里村、田代村鳥栖町地方に日本農民組合支部が約580名で設立された。同年末にはその組合員数は700余名にものぼった。11月23日農民組合は、地主210余名に対し、小作料永久3割減を要求した。地主側は小作料減額を一斉に拒絶してきた。12月には、地主44名は小作農民60余名の小作料と田畑の仮差押を行い、1925年1月には小作料請求の本訴をしてきた。また、一般地主も内容証明郵便で農民に小作料を催促し、続いて債務不履行を理由として小作人との契約を解除し耕地返還を要求してきた。
 しかし、階級的意識に目覚めた農民は、固く団結して闘い抜いた。この年3月の県会議員選挙と4月の村会議選挙に農民組合より候補者を立てて闘い、また4月9日の農民デーには神社参拝と称した示威行動を大々的に執り行った。

(耕地立ち入り禁止等仮処分と農民激怒)
 6月、地主側は小作人の耕地立入禁止を行い、40名の地主が80余名の小作農民に対して不法占拠とする耕地の引き渡しの仮処分を求め、裁判所は818町歩余の耕地に対してその執行を許可した。この執行に農民側は激昂し、以下の決定をした。
  一、地主と冠婚葬祭を共にしない
  一、部落所有財産を分割する
  一、消防組を分離する
  一、地主の家に雇われている子弟を全員引き上げる

 その上怒った農民は、9月1日から一斉に基山など5校の子供たちの登校をやめさせる同盟休校(スト)を敢行した。

 10月上旬、地主140余名は小作人300余名を相手取り稲立毛仮差押の手続きを取った。小作側は小作調停法に基づく調停を申し立てた。しかし、地主側は10月13日から6日間にわたり稲立毛仮差押の差押を強行した。

(暴動)
 農民の怒りは頂点に達し爆発した。10月18日夜9時頃農民組合の青年ら約200名が、突如田代村の二軒の地主宅を襲撃した。また約60名の別隊は、基山の地主宅に殺到し屋内になだれ込み、また戸外を取り巻いた青年たちは口々に地主の横暴を叫んだ。同夜午前1時頃には別の地主宅から出火騒ぎがあり、これは小作人の放火だとのうわさがしきりに流された。警察当局は組合幹部29名を騒擾罪と住宅不法侵入で検挙し、又、組合員2名を放火の嫌疑で検挙収監した。

(解決)
 一年間に及んだ基山村小作争議が、11月弁護士らの斡旋により以下の条件で解決した。
一、1924年(大正13年)度の小作料は、1割から4割の引き下げ
一、1925年(大正14年)以降は小作料を永久1割3歩減とする
一、灌水工事費はすべて地主負担とする
一、1924年(大正13年)度の不足分小作料の支払いは翌年4割、翌々年3割などとして支払う



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