上・花木護謨争議(地域ビラの報告)
下・花木ゴム争議協定書
南千住地方の争議の激発! 検束された19歳青年が警察署留置内で深夜死亡! 日本花木ゴム労働争議 1927年の労働争議(読書メモ)
参照 「協調会史料」
日本花木ゴム労働争議 1927年の労働争議(読書メモ)
日本花木護謨会社(ゴム製品製造工場)
社長 花木松太郎社長(女性5・6人を所謂「妾」にしていた)
場所 東京府下南千住町
労働時間 11時間
日給 50銭
労働者数 90人(女性51人)
労働組合 評議会関東化学労働組合に12人
争議参加者数 62人
1927年(昭和2年)6月16日日本花木護謨会社62人労働者が立ち上がった
要求
一、労働時間の短縮
二、日給1割5分の値上げ
三、定期昇給の値上げ
四、衛生設備の改善
五、会社の臨時休業の際は全日給支給のこと
(「評議会を駆逐する」と62人全員解雇)
花木松太郎社長は「評議会を駆逐する」と豪語し、争議団員62人全員に対して、「会社に不当な要求を提出し、同盟罷業を宣言するものは工場規則違反なので解雇する」と通知書を送ってきた。工場は、軟派職工24人(男12人、女12人)を使い作業を続行させている。
(暴力団の襲撃)
6月19日、20日と会社は暴力団100人に争議団を2回も襲撃させ、女工30人はじめ争議団員に多くのけが人がでた。
(会社糾弾演説会)
6月24日午後7時20分より南千住町橋場の評議会・関東化学労働組合本部で会社糾弾演説会を開催した。労農党、東京合同、関東化学など多くの地域の仲間が結集した。労働者は口々に会社の横暴、官憲の圧迫を叫び、6人が「弁士中止」にあった。
(検束された19歳青年労働者、南千住警察署で死亡)
6月25日午後10時半ごろ橋場空き地にいた争議団員約40人を所轄南千住署の一隊が襲った。警官隊は口々に「反抗すると承知せんぞ」と威圧しながら争議団員を追いかけまわした。逃げ遅れた19歳の青年大塚一郎と朝鮮人供達洙の2人が検束され、南千住警察署で厳しい取り調べを受けた。その夜留置所で大塚一郎が死亡した。警察の発表では、26日午前0時25分頃就寝のまま死亡している大塚一郎を留置人が見つけ、最寄りの医師を呼んだ。その後検事と警察医の検視を行い、死亡の原因は心臓麻痺とされ、遺体は26日午後10時頃父に引き渡された。
(関東地方評議会)
関東地方評議会は、大塚一郎の死は、官憲の拷問・暴行による疑いが強いと南千住警察署糾弾の闘いを準備した。弁護士布施辰治らと医師に緊急調査を要請し、弁護士と医師は南千住警察署に駆け付け、きちんとした死体の検診を強く要求したが、南千住警察署は「なんらの疑いはない。死因は心臓麻痺だ」ととりあわず、更なる検診や解剖を拒否してきた。
(6月26日地域住民向けの緊急ビラ)
血迷った南千住署の狂暴と
暴力団重囲の中に闘う
悲壮なる花木争議団を助けろ!
南千住地方における争議の激発、各工場の動揺にキモをツブシタ官憲は争議を徹底的に蹂躙し、千住地方における労働大衆の階級的自覚を抑圧せんとして理由なき検束、泊留等限りなき弾圧を加えてきた。しかしなお争議団の団結強固にますます戦慄した悪工場主は暴力団を雇い入れて、我が争議団に対抗せんとする。
見よ! 奇怪な官憲の取締りと狂暴化せる暴力団・・・だが我らが戦闘力はこれら威嚇に断じて弱まることはない!
激烈なる戦闘はますます継続する!
南千住の天地を戦闘的組合の力でフルワセ! ・・・橋場一切の力を集中せよ!
基金を即時送れ!
闘士を派遣せよ!
総同盟に負けるな!
関東化学労働組合 花木ゴム争議団
(労農党の応援)
6月26日労働農民党東京府支部聯合会は会社の暴力団による襲撃に対し抗議文を提出した。
(協定書)
7月13日以来労資の協議が続いていたが、18日午後7時、解雇者は23人とし、会社が解決金を支給すること、夜業時間の1時間短縮等で労資は合意した。19日午後1時、協定が締結された。
協定
一、解決金3千円の支給
二、工場主花木松太郎は、従業員の待遇改善に対し、誠意をもって改善の実行をする(夜業時間の1時間短縮、日給の値上げ、臨時休業時半額支給など)
三、本協定成立の上は解雇者はなんら異議を申し出ないこと
四、従業員は誠意をもって業務に勉励する事
以上