先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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治安維持法⑦ 暴虐の嵐! 治安維持法「検挙者数」(読書メモ)

2022年09月27日 08時00分00秒 | 1925年治安維持法

ポスター「労働者農民恨みの日!!三月十五日を記憶せよ」
・労働者農民解放運動の被投獄者を即時釈放せよ!!
・治安維持法を撤廃せよ!!
・帝国主義戦争絶対反対!!
・資本家地主の政府を打倒せよ!!

治安維持法⑦  暴虐の嵐! 治安維持法「検挙者数」(読書メモ)
参照「特高警察」萩野富士夫(岩波新書)
  「治安維持法小史」奥平康弘 (岩波現代文庫)
  「証言 治安維持法「検挙者10万人の記録」が明かす真実」NHK「ETV」特集取材班
  「治安維持法犠牲者国歌賠償要求同盟編 抵抗の群像」(光陽出版社)
  「女性革命家たちの生涯」広井暢子(新日本出版社)

暴虐の嵐! 治安維持法「検挙者数」

(犠牲者数)
 治安維持法犠牲者国歌賠償要求同盟の調査によると犠牲者数を「送検者数75,681人、実刑5,162人、虐殺された者90人、拷問で獄死1600人余、逮捕は数十万人」(第180回国会「治安維持法犠牲者に対する国家賠償法の制定に関する請願」)と発表し糾弾しています。
 NHKの学校向け教材「治安維持法」の動画で、この法律で逮捕された人は数十万人。1000人以上が虐殺・病気などで命を落としたと言われています」とまとめています。なんという恐ろしい社会だったのでしょうか。故元首相はこれを美しい国と褒め称えていたのです。 https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005403086_00000#in=0&out=117

治安法違反年度別 国内検挙者数
1925年(大正14年)        0人
1926年(大正15年)      38人
1927年(昭和2年)        20人
1928年(昭和3年)        3,426人
1929年(昭和4年)        4,942人
1930年(昭和5年)        6,124人
1931年(昭和6年)    10,422人
1932年(昭和7年)    13,938人
1933年(昭和8年)    14,622人
1934年(昭和9年)      3,998人
1935年(昭和10年)    1,785人
1936年(昭和11年)    2,067人
1937年(昭和12年)    1,313人
1938年(昭和13年)       982人
1939年(昭和14年)       722人
1940年(昭和15年)       817人
1941年(昭和16年)      1,212人
1942年(昭和17年)       698人
1943年(昭和18年)       600人
1944年(昭和19年)       501人
1945年(昭和20年)       109人

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(この年)
1925年       0人
―――治安維持法、普通選挙法公布。中国青島の在華紡ストに旅順から駆逐艦派遣。上海5.30ゼネスト。京都学連事件。暴力行為等処罰に関する法律の公布(治安警察法第17条廃止との関連で制定)。農民労働党結党即日解散命令。
1926年       38人―――共同印刷争議、治安警察法第17条撤廃、労農党結成。 
1927年       20人―――中国蒋介石4.12クーデター。田中内閣「中国における共産党の活動に日本は無関係でありえず」と声明。第一次山東出兵2千名。山一林組争議、野田醤油争議。
1928年(昭和3年)     3,426人―――普選第一回選挙、3・15事件(共産党関係者1600余人が検挙)、無産政党選挙運動への弾圧強まる、香川県大山郁夫の運動員500余名検挙。労働農民党、評議会、全日本無産青年同盟に解散命令。治安維持法改正案(最高刑死刑)緊急勅令上程。文部省各学校へ思想善導「国体思想」強化の訓令。「思想係り検事」の配置。張作霖爆殺事件。治安維持法改正案上程(最高死刑導入)。全県警察部に「特高課」設置。文部省に「学生課」(思想調査)設置。全協結成。(特別要視察人1309人前年比443人増)。渡辺政之輔台湾基隆にて官憲に包囲され惨殺。作家島木 健作3.15で検挙
1929年(昭和4年)     4,942人
―――朝鮮元山ゼネスト。治安維持法改正案緊急勅令、衆議院で事後承諾された夜山本宣治殺害。4.16事件(共産党関係者大量検挙)。3.15事件で獄に繋がれていた伊藤千代子松沢病院で死去。世界恐慌。大山郁夫新労農党結成。
1930年(昭和5年)     6,124人―――昭和恐慌、鐘紡・東洋モスリン、富士瓦斯紡績川崎工場(煙突男)等争議多発。5.1武装?メーデー、共産党員全国検挙。間島暴動事件と弾圧。台湾の霧社抗日蜂起と警官軍隊1千名による弾圧、住民約1千名が殺害。
1931年(昭和6年) 10,422人―――台湾総督府、台湾民衆党の結社禁止命令。3月事件(軍人クーデター未遂)。万宝山事件、満州事変(柳条湖事件、中国への侵略)。中国抗日闘争爆発。社会民衆党「満蒙の権益の不可侵、満蒙の社会主義的国家管理」を決議、同党顧問の松谷与次郎(満州侵略支持の意見書)、同党「三反綱領①反ファシズム②反共産主義③反資本主義」を決議、その実質は反共産主義だけ。東京地下鉄「ろう城モグラ」争議。ブロレタリア詩人陀田勘助獄死
1932年(昭和7年) 13,938人―――コップ大弾圧。満州国建国宣言。上海で日中両軍衝突。桜田門事件、血盟団事件、5.15事件。警視庁特別高等警察部設置(特高課昇格)。第18回総選挙。32年テーゼ(天皇制打倒)、全協も「君主制廃止」を行動綱領とする。全国の新聞社132社「満州国独立支持」の共同宣言発表。共産党熱海事件1500余名検挙。共産党岩田義道(34歳)虐殺
1933年(昭和8年) 14,622人―――ヒトラー政権。長野教員赤化事件。作家小林多喜二虐殺。国際連盟脱退の勅令。滝川事件。閣議「思想取締対策具体案」決定。佐野・鍋山転向声明以後大量転向者続出。関東地方防空大演習。内務省「出版法改正」方針決定。閣議「忠孝思想批判取締強化方針」を決定。警視庁に「特別警備隊」設置。満州事変以後の戦死者2530人、負傷者6896人。海軍の中で「聳(そび)ゆるマスト」を発行するなど反軍闘争の阪口喜一郎獄死。全日本鉄道従業員組合本部書記だった西田信春拷問のすえ虐殺
1934年(昭和9年)   3,998人―――野呂栄太郎虐殺。鐘紡前社長狙撃殺害。松谷与二郎ら国家社会主義政党「勤労日本党」結成。3.15・4.16事件非転向派に無期懲役などの判決、転向者佐野・鍋山らは懲役15年の判決。大阪機械製作所争議約700人余が高野山にろう城闘争。陸軍パンフレットを社大党書記長麻生久が支持表明。東北大凶作。東京合同労組の婦人部長だった田口ツギ、過酷な残虐な取り調べで喀血を繰り返し、保釈出獄後群馬の実家で死亡
1935年(昭和10年) 1,785人―――貴族院、美濃部達吉「天皇機関説」を攻撃。内務省「特別要視察人」3倍(5919人)。小作争議件数戦前で最高。宗教弾圧第二次大本教事件(3千人検挙、拷問などで16人が獄死)。小作争議戦前最高数。フランス人民戦線。中国12.9闘争。田中サガヨ、拷問、虐待で衰弱し死ぬ直前に執行停止で釈放されたが20日後に死亡。飯島喜美(東京モスリンストライキを指導、モスクワプロフィンテルン大会で日本婦人代表の演説)獄死古川苞4度めの検挙でハンガースト、腸結核で自宅に戻されるも死亡
1936年(昭和11年) 2,067人―――富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場出身の女性活動家相沢良投獄拷問のすえ重病、仮釈放されるが死亡。第19回総選挙(無産政党躍進)。2.26事件と戒厳令。メーデー禁止命令。思想犯保護観察法公布(刑が終っても収監され続ける)。朝鮮祖国光復会抗日パルチザン闘争。上海32日系紡績工場抗日大ストライキ。戦前の組合員数ピーク。米GMスト座り込み工場占拠闘争。スペイン人民戦線内閣、スペイン内戦。
1937年(昭和12年) 1,313人―――盧溝橋事変、日中全面戦争勃発。国民精神総動員。協調会「日本主義労働運動」本格化。京成バス争議。第18回メーデー禁止通達。第20回総選挙社大党37議席戦前最高の議席とるも右傾化も進んだ。中国「抗日民族統一戦線」。宮中に大本営設置。東大教授キリスト者矢内原弾圧事件、人民戦線事件446人検挙。総同盟「戦時中のストラキ中止と戦争支持」を決議、鈴木文治、組合会議の遣米使節として「日支事変は中国の赤化排日激化のためやむを得なかった」と全米各地で宣伝演説会。南京大虐殺。
1938年(昭和13年)   982人―――近衛内閣「国民政府対手にせず」と声明。全国水平社中央委員会「大アジア主義の国策に沿い、人民戦線絶対反対」と決定。西尾末広、衆議院本会議で国家総動員法に賛成演説。メーデー挙行今後一切禁止。国家総動員法成立(朝鮮・台湾・樺太にも公布)。産業報国聯盟発足。日本労働組合会議、産報運動への参加を決定。全国水平社「国体の本義に徹し、国策協力をうたう」。日本軍、武漢占領。近衛首相「東亜新秩序建設」声明。反戦川柳作家鶴彬獄中で赤痢に罹り?豊多摩病院で病死「間島パルチザンの歌」の作家槇村浩、度重なる検挙と拷問により体を壊し入院先で死亡
1939年(昭和14年)   722人―――賃金統制令。市川房江ら、国策協力の「婦人時局研究会」結成。市川房江ら「国民精神総動員委員会」に参加。ノモンハン事件と大敗。ILO東京支局閉鎖。国民徴用令公布。社会大衆党労働国策。内務省「朝鮮人労務者内地移住に関する件」(45年まで約150万人が炭坑などに連行された)。第二次世界大戦勃発。朝鮮総督府「創氏改名」強制。滝川事件に抗議した長尾孫夫さん拷問のすえ病死
1940年(昭和15年)   817人―――「北海道綴方つづりかた 教育連盟事件」百数十名の教師、治安維持法違反で検挙。吉田茂厚相「労組の自発的解消を要望」。社会大衆党解党。東交労組解散。各労働組合・農民組合軒並み解散。大政翼賛会結成、大日本産業報国会創立。国民服令。労働組合の組織率大激減。中国八路軍日本軍に反撃。京浜グループの加藤四海検挙された翌日には虐殺伊藤千代子の同志紡績女工出身の労働運動家2度検挙された平林せん、清瀬の病院で死亡
1941年(昭和16年)   1,212人―――国防保安法(スパイ取締法)公布、改正治安維持法公布(刑が終わった後でも引き続き拘束できる「予防拘禁制」この年620人。宗教弾圧)。左翼出版物一括発禁。ゾルゲ事件。東条内閣成立。真珠湾攻撃太平洋戦争勃発。言論出版集会結社等臨時取締法。経済統制令。
1942年(昭和17年)   698人―――全国水平社解散。大日本婦人会。細川喜六ら雑誌記者6人の検挙。朝鮮語辞典関係者検挙。小林陽之介獄死。秋田刑務所に収監されていた小学教員、俳人・エスペランチェストの斎藤秀一肺結核が悪化し釈放されるが死亡灯台社の藤井惣吉栄養失調で保釈されたが死去。灯台社の寺井幹彦獄死。
1943年(昭和18年)   600人―――中国人強制連行(約4万人)。学徒出陣。創価教育学会幹部牧口常三郎など検挙。春日庄次郎の同志であり妻安賀君子獄死
1944年(昭和19年)   501人 ―――  横浜事件4人獄死牧口常三郎獄死プロレタリア作家池田勇作獄死弁護士布施辰治の三男・杜生獄死ゾルゲと尾崎秀実死刑灯台社田辺とみ獄死、明石順三の妻明石静栄獄死学徒勤労令。 
1945年(昭和20年)   109人―――市川正一獄死詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)獄死。特高警察大拡充、内鮮警察増員。東京大空襲。沖縄戦。花岡事件。広島・長崎に原爆投下、8月14日ポツダム宣言受諾。地下鉄ストライキの先頭にたった赤塚正子獄中で体を壊され、出所後貧窮、結核で死亡内村鑑三の弟子で反戦を貫き投獄された末永敏事きびしい取り調べで釈放の後死亡戸坂潤終戦の6日前獄死三木清終戦直後の9月26日に獄死灯台社村田芳助拷問のすえ、9月に出所したが死去



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